『幸福論』ヘッセ | すっぴんマスター

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■『幸福論』ヘルマン・ヘッセ著/高橋健二訳 新潮文庫


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「あらゆるものから自由であり得た子ども時代の貴重な体験を回想しながら、真の幸福とは何かを語る『幸福論』。バーデン湯治中にめぐり会ったユーモラスなはぐれ者のからすに自画像を重ね合わせて、アウトサイダーとしての人生を描く珠玉の短編『小がらす』。人間として文学者として、幾多の危機を越えてきたヘッセが、静かな晩年の日々につづった随想と小品全14編を収録する」裏表紙から



滋味あふれる、っていうのは、こういうときにつかうべき表現だな~


幸福とはなにか、という問いは、なにも哲学者や思想家だけに限ったものではなくて、かたちや方法を変えて、すべての人類が取り組んできた、あらゆる思弁的問いの最後にあらわれる、いわば「問いの窮み」でありましょう。なぜなら、幸福感こそが、人生が無意味に見えたとき、唯一依って立つことのできる、実感を伴った意味であるから。


ここでは「幸福論」と銘打たれているけれど、その内容は決して哲学的なものではなくて、書かれてあることはごく短く、個人的とすら言ってもいいような、晩年のヘッセの穏やかな随想であります。その他の小品も含めて、「回覧書簡」というものがなんなのかはよくわかりませんが、いずれにしてもヘッセじしんが書いているように真に過去の体験とその記憶をわかちあえる、旧知の間柄のにんげんたちに向けて書かれてあるものが多く、こないだ読んだ村上春樹と河合隼雄の対談じゃないけど、個人的な「癒し」のために書かれた、あるいはそういう出来事について書かれたという面が大きく、それはある意味では閉じていて、「共感」であるともいえるのかもしれないが、あらゆる経験を糧として成ったひとりの老人の深み…人間としての「滋味」が、まったくそのような感触を除き、ただただ、ことばの、特にこのばあいは翻訳者の仕事も大きいのだろうか、品のあるリリシズムが、「部外者」の読み手にも癒しを与えるようであります。読みやすいとは言いがたい、長く、対句的な、アナログに連続した表現は、美しく、なにかこころが清められるようでした。これはやはり、翻訳者の高橋健二さんのすばらしい仕事の結果もあるでしょう。


ぜんたいとしては、ヘッセの年齢や体調などもあってか、すべて回想とそれをする年老いたじぶんということが書かれています。すべての文章にいえたことだけど、はなしのはじめかたが独特で、ちょっとのあいだしんぼうしないとなにが言いたいのかよくわからなかったりしますが、解説によるとヘッセはこのときすでに本格的な創作活動から退いていて、テーマ性だとか「書きたい」という衝動より、筆のおもむくままに、くちにしてしゃべるように書いたというところだったんではないでしょうか。



作家として功成り名遂げたヘッセのもとには、毎日のように手紙が届くが、なんでもない、情熱的だがとるにたらない、若い詩人のことばなどから、過去のじぶんと、それを受けとめていた、現在のじぶんにあたるような人物を思い起こしたりする。ほんとうに思い出をわかちあえる家族や、尊敬すべき知人などが次々と死んでいく年齢になって、ある程度虚無的な気分になってしまうのはしかたないとしても、ヘッセはそのさきに幸福のこたえを見出す。それは時間を越えたところにある体験なのである。



「幸福(という言葉)のもとに、私は今日、何かまったく客観的なものを理解する。つまり、全体そのもの、没時間的な存在、世界の永遠の音楽、他の人々が天球の調和あるいは神の微笑と呼んだところのものを理解する」P48より。()内tsucchini。


「年をとった人々が、いつ、どんなにたびたび、どんなに強く幸福を感じたかを思い出そうとすると、何よりも幼年時代にそれを求める。もっともなことだ。なぜなら、幸福を体験するためには、何よりも、時間に支配されないこと、同時に恐怖や希望に支配されないことが必要だからである」P49より



ヘッセはこのあと具体的な体験について描写して、幼年時代のそのような体験の感覚を幸福であるとするが、こうやって回想することはできても、再び体験することはむずかしいともいっている。だからこそひとはそれを幸福と認識するということなのかもしれないが…。幼年時代にしかそういった体験はなく、再体験もできないのだとしたら、老人には幸福はないことになってしまう。これはたぶん、一般的な、僕が最初に書いたような「幸福」ということばの意味とはちがった、もっとかけがえのない感じが含まれているのでしょう。じっさい、青年時代の「慰み」や「おもしろさ」とは別だとしている。そして、前半部に展開される、ヘッセの考える「幸福」ということばの意味こそが、じつはこの「幸福論」の枢要だったりするのかもしれない。


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