『寝ながら学べる構造主義』内田樹 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

■『寝ながら学べる構造主義』内田樹 文春新書

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)/内田 樹
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「構造主義という思想がどれほど難解とはいえ、それを構築した思想家たちだって「人間はどういうふうにものを考え、感じ、行動するのか」という問いに答えようとしていることに変わりはありません。ただ、その問いが、常人より強く、深い、というだけのことです。ですから、じっくり耳を傾ければ、「ああ、なるほどなるほど、そういうことって、たしかにあるよね」と得心がゆくはずなのです」まえがきより



これぞ入門書って感じで、ほんとに寝ながら読んでしまった。構造主義の入門書ではもう、かんぜんにオススメです。ソシュールやフロイトはすでにあちこちで読んできたが、ほとんど知らなかったフーコーやレヴィ=ストロース、読みはしたが一知半解のまま放ってあったバルトなども、少なくとも本書でとりあげられている層においては、なんの過不足もなく了解することができた。それは、まえがきに書かれてあるように、内田樹じしんが専門家ではない(もちろんしろうとでもないわけだけど)ということからきてるとおもう。専門家が専門的な用語(概念)でもって思考するところを、思考そのものには抜群に長けているがそれ(構造主義)を本職としているわけではない筆者が、筆者の用語で理解し、そして書き記していることがよかったのだ。といっても内田樹は文学部の教授でフランス現代思想の専門家でもあるから、いうほどへだたっているとはおもえないのだが…。とにかくそのような姿勢で書かれたことが効果的に働いたのだとおもいます。


これこそが哲学を学ぶ最大の意義だとおもうが、とにかく目を開かされっぱなしだった。いやわかってはいたけど、構造主義がこんなに知的にスリリングでおもしろいとは…。そう、とにかく「おもしろかった」のです。
最近続けて読んでいるからか、内田節とでもいったらいいようなロジカルな書きかたもよみてをぐいぐい引き込んで問答無用に納得させるようで、バルトなどはまったく「腑に落ちた」という感じそのものでした。


とはいえ、こういうときは注意しないとなー。やっぱ訳書でいいからもっと思想家本人の書いたものを読まないといけませんね。そのことも同時に痛感した。入門書は読むぶんにはおもしろいし、今後も読み続けるとおもうけど。



備忘も含めてラカンについて少しだけ書いておきます。ラカンはフロイト派の精神分析医であり、フロイトの仕事をさらに深く応用ひとだとか。ここではまず「鏡像段階理論」について書かれてある。これは、かんたんにいってしまえば、茫漠といきばのないエネルギーが体内に渦巻く幼児が、鏡をのぞくことで「私」というものを発見する段階をさします。鏡のない集団ではどうなるのかということは筆者も知らないと書いているが、ここではとにかく『幼児が「私」を発見するある段階』ということでくくってしまっていいとおもう。というのは、それがどんなしかたであれ、発見された「私」が、こうしてここにあるはずの「私そのもの」とは異なった、ある種のフィクションであることにちがいはないはずだからです。はじまりからして「私そのもの」ではないフィクションの「私」をそう思い込んでいる以上、この世に生きとし生けるすべてのにんげんは狂気を背負って生きていることになるわけです。


「人間は『私ではないもの』を『私』と『見立てる』ことによって『私』を形成したという『つけ』を抱え込むところから人生を始めることになります。『私』の起源は『私ならざるもの』によって担保されており、『私』の原点は『私の内部』にはないのです」P172


だから、精神分析において「自我」は「治療の拠点」にならない。では医者と患者はなにをしているのかというと、「物語」を創造しているのである。我々はじぶんの過去の記憶を語るとき、それが精神分析だろうと飲み会だろうとブログだろうと、あるいは誰に見せるでもない日記においてもみずからを読者とすれば同じことなのかもしれない、とにかくつねにききてが想定されている。逆にいえば、ききて(よみて)が獲得されたときだけ、僕たちはありありとした記憶をとりもどす。しかしそれだけに、その語りには「自分が何ものであると思って欲しいか」というバイアスがつねにかかっている。だからはなしてもききても、厳密な意味での「真実」に到達することはできない。だが被分析者は「語る」ことで、やはりある種のフィクションを形成する。そして治療としてはそれでいいのである。精神分析の目的とは真実を探ることではなく、治すことなのだから。その語りのなかで「私」がリアリティを増していけばそれでいいのです。これはふつうの会話でもおなじことでしょう。この、核となり永遠に到達できない「真実」と、その周辺に生成される「物語」ということは、まったく小説の書きかたそのものといってよいとおもう。また到達できない「真実」とは、バルトにおける「作者の死」にもつながるんではないか。



「精神分析の目的は、症状の『真の原因』を突き止めることではありません。『治す』ことです。そして、『治る』というのは、コミュニケーション不調に陥っている被分析者を再びコミュニケーションの回路に立ち戻らせること、他の人々とことばをかわし、愛をかわし、財貨とサービスをかわし合う贈与と返礼の往還運動(これはレヴィ=ストロースの概念※tsucchini註)のうちに巻き込むことに他なりません。そして、停滞しているコミュニケーションを、『物語を共有すること』によって再起動させること、それは精神分析に限らず、私たちが他者との人間的『共生』の可能性を求めるとき、つねに採用している戦略なのです」P197‐198




《関連図書》

(構造主義にかかわらず入門書は、ある一冊を聖典としてあつかうより、たくさんの著者のものを広く読むのがもっとも効果的かつ安全だとおもいます)


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