■『ロスト・ストーリー』伊藤たかみ 河出文庫
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「ある朝彼女は出て行った。自らの『失くした物語』をとり戻すために―。僕と兄のアニー、そしてナオミの三人暮らしに突如訪れた変化。『失われた物語』を取り戻すために迷い続ける、残された者の喪失と苦闘の日々を描き絶賛された、芥川賞作家による初長篇にして初期代表作」裏表紙から
これはメタ小説というやつですね。
ぜんたいの手触りからは村上春樹の強い影響を感じた。もちろん、近代文学の作家はすべて二葉亭四迷の影響を受けている、というのとおなじ意味で、村上春樹の影響下にない小説家というのは、それ以降ではまずいないんじゃないかとはおもう。たんにフォロワーというだけではなく、たとえばハードな報告的文体で曖昧さを回避する阿部和重のような作家にしても、このひとが春樹のいわばアンチテーゼとして登場したみたいな見方はべつに突飛ではないだろうし、それもある種の影響でしょう。でも伊藤たかみはそうではなくて、この表面の感触は小説のなかに根本的にある世界への対峙のしかた、いや世界のありかたが村上春樹に近いことで生まれてくるものなのかもしれない。じっさい、読みながら直観的に『ダンス・ダンス・ダンス』や『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を想起したひとは多いんじゃないか。
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「初期長篇」らしく、書きたいことをすべて詰め込んだ意欲作というふうで、やたら長すぎるという感じがややあるし、文体や登場人物なんかもむしろ短篇向きというふうなのだが、おそらくはかなり綿密に、意識的につくりこまれた構成は完全に長編小説のもの。“おそらく”と書いたのは、まあ言い訳なのですが、このところコレ以外でおもしろい読書が続いていたために頻繁に中断していて、読了まであまりに時間をかけてしまって、うっすら断片的な、それこそ「かけら」のような印象しか残っていないので、正直言って最初のほうとかをあんまり覚えていないんですよね。部分ぶぶんで、これはこういうメタファーかもとおもったらしいことはページを折ったりしているのでわかるのですが、これらを比較しておはなしの構図を浮かび上がらせることがちょっと困難になってしまって。…いや、というか、じっさいムズカシイ小説なんじゃないか。少なくとも拾い読みですむようなシロモノではない気がする。しかし村上春樹のうえの二作を読んでいるひとなら、体感レベルでははなしの立体感を読むことができるとおもいます。
とはいえ、語り手が小説家志望ということもあってか、レトリックというか、比喩なんかではうまいことを言おうとしてもうひとつみたいなところが正直見られた。これも村上春樹と比べてしまうからでしょうか。しかしこれを意図的にやってるとしたら見事だ!書いてる本人は小説家なのだから。
もちろん主人公が小説家“志望”であることは意味があるでしょう。読者をいらつかせる種類の、まわりと一定の距離をとったものわかりのよさ…。彼はアニーの抱く攻撃的な情熱とやらを、兄弟として受け継いでいるのだが、本人が気付かないほど深い暗部にそれはしまわれてしまっている。というか、彼はそれがおもてに出ることをどこかでおそれている。あるところで、「僕(名前あったかな?)」はナオミに指摘される。「貴方は、不完全なものを恐れすぎている」と。
「ひとつ、何かひとつ不完全なものがあると、全てが受け入れられなくなるのね。情熱は、一度に全てを欲求するものだからなんでしょう。貴方は情熱をぶつける代わりに、不完全なものを全て受け付けないで生きてきたんだわ」
小説家志望は小説の、物語のありかたを探究する。「僕」は、結末(ではないが)としてあたらしい小説観を獲得する。それは不完全ということ。物語は終わっていないことが重要なのだ。そこには可能性があるから。「僕」や、晴美や城戸さんやアニーや猫のまる、こういった存在が一カ所に集まる瞬間が、ふとした拍子にバランスがとれたというように、ちょうど大晦日周辺にある。しかしそれは僕らが思い返す、いまではもう非現実におもえるくらいの学生時代の無垢な思い出的に、そのまま停止して封じられた映像のようなもので、やがてこれは壊れてしまう。この理由は、まるが「なんのために」死んだのかということに返っていく。それは完全という不完全性だろうか。まるは死をもって小説的にそれを指摘したか。
「永遠に全てを満たしてくれる恋人がいないように、誰にとっても、その他の誰かが完全なんてはずはないでしょう?唯一あるとしたら、それは、まだ終わっていないものだけよ。終わっていない物語、終わっていない夢、それだけが完全なの。完全と言うよりも、不完全だからこそ完全なの」
伊藤たかみはたぶん、小説とは…ひとひとりの物語とはなにかということを考えていた。もちろんこの『ロスト・ストーリー』という小説もひとつの物語だ。これをおおまかに「僕」という物語の、部分的抽出だとしよう(もう少し広い意味をとったほうがいい気もするのだが)。ひととひととの関わり、共生は、その数だけの物語がひとところにあるということ。たとえばナオミは、『ロスト・ストーリー』という小説の登場人物だが、したがってこのとき彼女はじぶんの物語を捨ててこの物語に出演していることになる。充血したアニーとの関わりにおいてもナオミは出演者だった。じぶんの物語を見つけるためには、物語のすきまを通ってここを出ていく以外にない。小説がなにかを描くということがあるならそれは、瞬間の、刹那的な「それぞれの物語」の交わりなのではないか…。
しかし…完全なにんげんが物語の隙間をさまようというのなら、なぜ松葉杖のおとこは松葉杖なのだろう。アニーの不能と同様、まちがいなくこれもなにかのメタファーだと最初から読んでいたが、不能を回復して完全になったアニーは情熱を全開にして物語の破壊者的に隙間をさまよう。しかるに、なぜ松葉杖のおとこは片足が不自由なのか…。とすればこの男はアニーとは別の、あの少年のように、もう少し高次の役割ということになるが。なにか見逃してるか忘れてるか…。じっさい当初僕は、松葉杖のおとこは伊藤たかみの担当編集者なんじゃないかとか考えていた(笑)登場人物というよりは、マトリックスでいうエージェント的な…。こういうこともちょっと氷解しないまま終わってしまったのが心残り。
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