L.I. M. | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

真っ昼間にちんたら自転車を走らせていたら警官にとめられました、月二です。僕の前ではサングラスのサーファーっぽいあんちゃんがなんか怒られてました。「いまみなさんの防犯登録をチェックしているんですよ」って、その脇をびゅんびゅん通りすぎる自転車たちは調べなくていいんですか、ねえ。



なんか暑いなーとおもったら七月か。夏だなぁ。なにか起こりそうと見せかけてなにも起こらない、例の思わせぶりな季節だ。今年こそたのむよ、おれのSIX・E・R・サムシング!


そして七月ということは、今年ももう半分を過ぎたことになる。僕の実感の問題になってしまうが、去年に比べると今年はやや停滞感が強い気がする。つまり、去年における哲学との出会いや、習慣的な批評の姿勢とか、あとはブログをはじめたこととか、明らかなレベルアップはまだない気がするな~。マンガ感想はじめたくらいか。年はじめの日記なんかを読むと物語力をつけたいみたいなことを書いたりしてるけど、どうだろ。ていうか「サイレント・ヒル」の分析したのもう半年前かよ…。瞬く間だぜ。


最近おもうのは、小説家(あるいは小説家志望)というのは、じっさいいまのこの瞬間に小説を書いていないと、そうは呼べないという当たり前のこと。


ヒップホップの四大要素にグラフィティというものがあって、これはまあ要は落書きなんですが、ライムスター「グレート・アマチュアリズム」を引き合いに出すまでもなく、ある瞬間からこの絵はグラフィティとなる、みたいな段階というのはあるんだろうかと考えるのです。公共物に落書きをするという方法ゆえ、つねに「本番」であるはずのグラフィティの姿勢は、ヒップホップの他の要素はもちろん、芸術ぜんたいにあてはまるのではないかな。

逆にいえば書き続けている限り僕らは小説家であるはずで、その意味では「小説家志望」ということばは矛盾していて、ここにある「小説家」は職業の名前であって、「小説を書いてるひと」という意味ではない。この理屈でいえば、書き続けている限り僕はすでに小説家であり、キャリア12年のベテランだ。


…というのはいかにも僕のように未熟な芸術家の言いそうな屁理屈で、これを職業としての小説家と一致させることが現実には目標となっているわけだが、しかしそこにある欲求・衝動は小説を書きたいというそれとはまったく別だということは注意しないといけない。「意志の向き」についての意識を失ったら、芸術なんてゴミの価値もないからね。