第118話/超音速
主人公が新聞紙相手にひとりで遊んでるあいだ、愚地克巳は対ピクルのこれ以上ないアドバイザー、烈海王と新マッハ突きの開発に取り組んでいた。新たな必殺技ではなく、もともとある長所を掘り返して伸ばすという手法であるので、読者にとっては親切な復習も兼ねた、まずは既存の音速拳の分析だ。ふたりの真剣な表情やテレビ画面、詳解にしてロジカルな言葉運びはなにか新商品のプレゼンテーションのようだ。天才の宿命か、ひとりでどんどん内向的になっていく刃牙とは対照的である。物語的な成長の波はいままちがいなく克巳のほうにある。
ふたりはビデオで、発射された銃弾の停止映像を見ている。海上を行く船のかきわける波を上空から観察したように、先端から衝撃波が発生している。音速=マッハを超えたことを知らせる波だ。ふつうでは、火薬やジェットエンジンなど、文字通り爆発的なエネルギーを瞬間に生むしかたでなければ起こりえないコレを、人力で出せる道具が存在する。鞭である。克巳はこれをふりかぶり、空を叩いて鋭い破裂音をたてる。じっさいには鞭はなにも叩いていない。これもまた音速超えを知らせる音なのだ。どこで入手したか、ふたりは鞭の先端が空で跳ね返り、衝撃波を出す瞬間を高速度カメラで捕えた映像を見る。
音速超えと破裂音の復習はとりあえずそんなところだ。では同様に音速を超えて破裂音を発する克巳のマッハ突きとはどのようなものか。前後に大きく足を開いて、克巳は構える。
「足の親指から始まる都合約10か所の関節
これをフル可動させ音速を超える」
音速は時速1225キロ。したがって各関節のスピードはおおよそ100キロということになる。肩とか腰とか、加速しやすいとこを考えても、ぜんたいで見たらまあそんなとこか。そしてそれは克巳をしても不可能だ。ここには言葉のトリックがあったのだ。
「31個の骨片をジョイントさせた背骨
内 動作に関係する17か所の各骨片を
同時加速ッ
可動部位計27か所
だから壁を超えられる」
衝撃に烈が片目をつぶってしまうほどに見事な克巳のマッハ突きだ。このコマだけ見ると、馴れないウインクをしてはみたが両目をつぶってしまわないかが心配で不自然に顔がこわばっちゃったひとみたいだ。
克巳は烈に問う。こんなんでピクルの筋肉を貫けるのか。ティラノサウルスら、ピクルの親友たちの破壊力はこんなもんだったんだろうかと。無論十分ではないと烈は応える。だからこそいまこうやって研究してんだもん。復習おわり!
烈はこの技にさらなる速度と重量を加える余地、可能性を指摘する。とはいえ、このあとのリアクションを見ると烈にこたえがわかっていたのかどうかはよくわからない。少なくとも克巳には言われるまでもなくわかっていた。これまで正拳の先、拳頭でとまっていた加速を、開手して貫手とすることで先へ進めるのだ。
「手指の第三関節から第一関節までを駆動させ
さらなる加速を生む
そんな超高速へ贅沢にも
重量(おも)さを加えたいと言うのなら
ここ」
克巳はじしんのあたまを指す。頭脳をつかうという意味ではない。人体最重量の頭部を、ちょうど正拳突きのときに逆の手を強くうしろにひいて上半身を入れるように勢いよくふり、「鋭利な貫手に頭部の重さを備える」のだ。空手史上最完全の究極技を前にして、烈海王も冷や汗とともに克巳が「最終兵器」と呼ばれる所以を認める以外にないのだった。
つづく。
烈、いらないし。
克巳の長所が文字通り拡張された。正直言って指関節の駆動というのがどういう意味なのかはよくわからないのだけど…。はじめにゆるませておいたものを当たる瞬間に伸ばすみたいなことだろうか。
しかし克巳は指を鍛えているのだろうか。貫手というのは相手の柔らかい部分をピンポイントで狙う技だ。指を鍛えなければならないと同時にこれをうまく当てる高度な技術が要求される。その難度ゆえに、現在では空手の技のなかでもっとも非合理な技といえるかもしれない。しかし使い途はもちろんあった。たとえば手刀の横顔面打ちは、ボクシングにおける顔面フックの空手訳だ。もともとフックやアッパーといった技はグローブありきの技術だった。もし正拳を相手の顎に当てようとしたら、すくいあげるように拳先で打つボクシングよりはるかに接近しなくてはならない。フックも同様。そのために空手には手刀、裏拳、孤拳といった技術がある。いま僕らが目にすることのもっとも多い空手のルールは極真仕様だろうけど、これが顔面への手技が禁止されているため、使われなくなったこれらの技はなにか謎に包まれた神秘的な技術のようになってしまっているが、じつは非常に理にかなった技なのだ。もちろん貫手も同じ。しかし何度もいうように、これはそもそものどやみぞおち、あばらのすきまなど柔らかいところを狙う技だ。ピクルの筋肉が厚いから速くしなくては、威力をあげなくてはというのはわかるが、貫手となるとどうなのか。もしこれがピクルの弱い部分に通用するというのなら、マッハである必要はあるのか。それとも部分はかんけいないのか。しかしナイフの切れ味を備えた龍書文の貫手ですらが、オリバの腹筋の前ではあの有様だった。ピクルをや。二十歳かそこらの克巳がいくら天才であっても、龍以上に指を鍛えているとはちょっとおもえないし、くりかえすがそもそも貫手と正拳では扱われる文脈じたいがちがうんではないか。
それともあの速さになれば、刃牙が末堂の拳を顎だか頬だかで砕いたように、かためた新聞で割り箸を叩き切る理論で、腹筋や指じたいの硬度はかんけいなくなるのかな…。
いずれにせよ、もしこの技が決まれば、それは当然出血をともなって「刺さる」ものとおもわれる。角や牙、爪など、原始世界の住人たちの武器を考えると、ピクルにはふつうの打撃よりむしろ馴染み深い種類の痛みかもしれない。一撃で内臓までアレして仕留めないと、へんなスイッチ入っちゃうかもしれないぞ。