宝塚月組公演「ミー&マイガール」、観に行ってきました。最高の気分っすわ。♪あの子っこそワンダフルでマーベラスでビューティフル、誰にだってわーかるーさ~♪、ですか。夜勤明けから無睡で行ったので集中できるか不安でしたが、終始感動しっぱなしでした。全日程満席がほとんどらしいのですが、知り合いの生徒さんにお願いして、千秋楽までにもう一回観に行きたいです。ええ、つまりそれだけよかったということです。客層は平日にも関わらず幅広く、外国人や男性も多かった。特に男性は、僕がむかし観ていたころとは比較にならないくらいたくさんきていました。といってもぜんたいの一割にも満たないでしょうが…。幕間に喫煙室でぼんやりしていると、興奮気味のスーツの男女五人組みが脇にやってきて、しきりにすげーおもしろいすげーすげーと連呼してましたね。たぶん僕とタメくらい、会社の同僚かあるいはしゅーかつ中かなんかなんでしょうか、少なくとも男性に関してはぜんいん初体験なようでしたが、「想像してたよりずっと」的な発言をくりかえしていました。そう…そうなんだYO。宝塚の閉鎖性がもたらすイロモノっぽさ…、たとえばヒップホップやプロレスでも、いまだにお笑いのモノマネ罰ゲームのお題に「ラッパー」が出てきたりするけど、これはもう、他の分野と交わることの少ない排他的文化の宿命で、たぶんコアで冷静なファンほどそのことはよく承知してるんですよね。つまり、世間にどう見られてるかっていうことを。しかし…、その先入観は痛いほどわかるけど、とにかく無心に観てみてくれと、その一言なんですよね。そりゃあんだけ公演してれば玉石混淆、作品と役者の質は観客の好みや観賞力なんかと複雑にからみあうわけだから、選択に失敗することもあるかもしれないが…。ピンとくるときはくるんじゃないのかな。
お芝居じたいについては、書きたいことがいっぱいありすぎて逆にほとんど忘れてしまった…。今回の公演は三演で、前回――といっても十年以上前?――の天海祐希と麻乃佳世の再演がほんとうにすばらしく、どうしてもこちらと比較したいろめがねで観てしまうぶぶんもあったのだけど、とんでもない。すばらしい完成度でした。
なかでもジョン卿役の霧矢大夢の存在感はすさまじかった。僕はよく考えるのですが、宝塚では女性が男性を演じるわけですが、この習慣には必然性、あるいは必要性があるべきだと、あるいはそれをこそ模索すべきだとおもうのですよね。限りなく「男」を演じ、「男みたい」になることも、それはそれで別にかまわない。しかしそれではげんに「男」である俳優をつかえば用は済んでしまうのではないか?だとしたら、たんに「男」に漸近するだけではなく、女が男を演じて生まれ出る別のなにか、というかたちへの姿勢があるべきなんじゃないかと。これはジャズの即興演奏への態度にも似てる。即興演奏は、ぶっつけ本番でやってるからすごいんではない。ぶっつけ本番という方法から生じるなにかがすごいのだ。僕はこれはべつに後付けでもかまわないとおもう。
こういうことを、たとえば真矢みきさんなんかはよく考え抜いていた。あのひとが人気も実力もあたまひとつ抜け出ていたのは(失礼)、もちろん才能や努力は不可欠として、こういうことを腕を組んで考え抜いていたからなんじゃないかと想像する。
で、霧矢さんもこっち側のひとだとおもうんですね。あたまのいいひとなんじゃないかな。舞台を見た限りの直覚ですが。これは、「中性的」ということともまたちがう。涼風真世さんとか朝海ひかるさんみたいなね。もちろん、これも大きな魅力ですよ。ちゃんと読めばわかるとおもうけど、僕は一カ所も否定はしてないですからね、いちおう。しかし僕のおもう「女性が演じた男役」というのはもう少しちがう。これはことばでは説明できない。「宝塚の男役」という方法以外では具現不可能な、これはある種の表現なのだ。
そしてこういう舞台上でのありかた…ありかたへの向きこそが、あのしゅっとした存在感、男性では表現できない、しかしきわめて「男性らしい」、気取ったふるまいを成立させるのだとおもう。霧矢さんもいずれトップになるんでしょうか?やばいよーあのひとは。
あとサリー役の彩乃かなみさんもかわいかった。言うこときかない子猿みたいで、とても愛らしかった。ぜったいにやにやしてたなーおれ。暗くてよかった。第1幕でサリーが着てる赤い衣装、むかしから大好きっすわ。彼女は今作で退団されるそうで…。いろいろ観とけばよかったな~。素できれいなひとなので退団後の潰しもきくでしょう。
そして僕はこのミュージカルは音楽も大好きで、ダンスとあわせてこれもすばらしかった。意外なくらい丈夫で芯の強い瀬奈じゅんの声と、彩乃かなみの高級感溢れる声も相性がよかった。生演奏ってのもやっぱいいね。観たことないひとのために書きますと、宝塚はつねにオーケストラつきなんですよね。舞台の前に「銀橋」と呼ばれる宝塚独特の細い花道が、客席側に食い込むようにカーブを描きながら下手から上手まで伸びていて、ちょうど舞台と銀橋のあいだの細長い半円の、深いくり抜きに、指揮者含めほぼすべての楽器が入った楽団が設置されて、音楽はすべて彼らが演奏するのですよ。金管楽器が心地よかったな~
夢のように美しく、印象的なシーンばかりで、夢が全体の印象でひとまとまりになりながら言語レベルでは記憶に残らず、再構築できないように、なにがどう…と説明するのはたいへんにむずかしい。そういう意味で、お芝居は「お持ち帰り」ができないのがずるいよな~。普段眠ってるべつの感覚作用をつかってるとしかおもえない。だから終わったあとの名残惜しさときたら映画の比ではない。しかしそうおもうというのは、それだけ上演中、意識を作品世界にすべて没入することができたから。その不足感を補うために、ファンはくりかえし劇場に脚を運ぶのでしょう。
いままで包み隠してきたけど、そろそろばれたかな。ええ、僕はファンですね。ふつーに。ランベス行きてぇ~