■『マレー蘭印紀行』金子光晴 中公文庫
「昭和初年、夫人森三千代とともに流浪する詩人の旅は、いつ果てるともなくつづく。東南アジアの圧倒する自然の色彩と、そこに生きるものの営為を、ゆるぎない愛と澄明な詩心で描く」裏表紙より
ジャワ、スマトラなど、詩人・金子光晴の異国放浪紀、紀行文である。土佐日記以来日本では日常的な形式だけど、ここには「紀行文」という名称が含む記録作業的な感じはほとんどない。いやちがうな…どこまでも紀行文なのだけど…、緻密や詳細ということともまたちがう、原因がどこにあるのかよくわからない、僕の語彙では詩心としか形容のしようがない、匂いたつように生々しく、風景や空気などをその場所で知覚する際の、その深みじたいをうつしたような精彩さは、書かれてあることはまったく写実でありながら、夢などもそうだが、僕らが目をとじてあたまを探り、記憶をある程度以上の集中で再体験すれば、げんにいま体験している現実と厳密には区別できないというのと同じ意味で、読者にまったくジャワを、シンガポールを、金子光晴を体験させてしまう…。具体的にはどういった方法がこんな感覚を生むのか、かなり慎重に読んだつもりなのだけど僕にはよくわからなかった。無限の語彙か柔軟にして的確なことばのセレクトか…。しかしここにあるのはもはや体験をことばで編み上げ、規定し、表出するというソシュール的な作業ではない気がする。もっと縦方向、垂直というか…。こちらからの知覚…、体験から文字への写像という段階を踏まえた表現ではなく、まさにここにその世界が、自然と人間の交わりが、詩人を通して、臭みすら伴ってあるとでもいうのか…。
「爪哇」という章のおしまいあたり、島嶼群の描写は特にすばらしい。引こうとおもったのだけどキリがないし、どこで略せばいいかもまったく判断がつかないので、じかに読んでもらいたいのだけど…。
世界は広いぜ…。いろんな意味でね。