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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

ぼうずにしてから駐輪場のおっちゃんが目を合わせてくれなくなりました、tsucchiniです。

今朝はアメーバのメンテナンスが昼近くまで延びたために更新ができませんでした。ごめんなさい。



『闇金ウシジマくん』は今週もおやすみ。

新シリーズ開始は6月9日発売28号の予定だそうです。今日は過去のエピソードについて。



僕はつねづね、このマンガは、それぞれ「~くん」という副題として掲げられたジョブに規定されるにんげんの物語であり、いわゆる、一般にいわれる「リアルな」物語(たとえば新宿スワンとか)とはもう少し意味がちがうんじゃないかということを書いてきましたが、しかしそうはいっても、なんというか、少年心をくすぐるというか、わるい丑嶋、つよい丑嶋というのもまちがいなく魅力のひとつであるということを認めるに吝かではない。そういう点では、やっぱり「ヤンキーくん」や「ギャル汚くん」はとてもおもしろかったし、かたいこといわずに毎週わくわく読むことができた。


現在とは異なる一話完結、長くて二話という短篇集的傾向のあった一巻から、長期にわたってある特定の人物を描くかたちになったのは二巻の「ヤンキーくん」からだった。このヤンキーというのは愛沢ともマサルともとれるけど、いずれにせよ第三者的な立場から丑嶋というキャラを眺めることのできる最初のエピソードだとおもう。つまり、一巻では丑嶋と客のやりとりに焦点をあわせてリアリズム的に描いていたものが、ここからもう一段階高次の視点にシフトしているのです。これまで「~くん」に感情移入することで丑嶋に脅され続けていた僕ら読者は、ここではじめて「誰かを脅している丑嶋」を客視するようになる。


ヤクザの滑皮に脅され、金の工面に腐心する愛沢は前後のさまざまな局面で恐慌をきたし、連れのガキどもとともに、マサルを殺したり(いきかえるけど)通りすがりのカップルを拉致してレイプしたり滑皮の銃を盗んだり、もうありとあらゆる罪を犯してしまう。そんな混乱のなか、ガキのひとりが丑嶋んとこを襲おうと提案する。マサルとつきあいのあったガキは、給料日がいつだとか、現金給付だとかいうことを知っていて、金をおろしたとこを全員で襲えばちょろいと、こう言うのですね。そのときの愛沢のリアクションがおもしろい。


「だが、しかし…

ウシジマんトコ襲うのはマジ、ヤベーぞ!」


彼の述懐するには、「ウシジマは中坊の時から噂で知ってたが、ハンパなく強え」と。また社員の柄崎は格闘家目指してたくらいだし、加納もキレるとなにするかわからんと、こうビビるわけですね。ひと殺したにんげんがいまさらなにをビビるのかって感じもしますが、この場面はおもしろかった。うえに書いたように、ほとんどはじめて丑嶋というにんげんについて書かれたトコだったから(ウサギの飼育とかをのぞいたら)。


四から五巻収録の「ギャル汚くん」にも似たような描写がある。イベサー「バンプス」の代表、ジュンの謀略(というほどでもないか)でいちどは逮捕された丑嶋は、柄崎たちのはたらきで釈放され、取り立てのためにジュンを拉致しようとする。そこに現れたのは「バンプス」のケツモチ、八王子の暴走族の豚塚ミノル。豚はただジュンからチケットの売り上げを奪おうとやってきただけなのだが、遠くからこの状況を目にし、ジュンの相手が「闇金のウシジマ」だと気付いた途端、わからないふりをして帰ろうとするのだ。カウカウ・ファイナンスがどこにあるのかはよくわからないのだけど、少なくとも八王子に近いということはないだろう。この描写は丑嶋のちからを示すとともに物語を瞬間に立体的にしてしまう。丑嶋の恐ろしさが相対ではなく、第三者の確認によってにわかに絶対的なものとなって迫ってくるのです。

このあと、ジュンの作為で丑嶋は物語中最大のくせ者、“キ〇ガイ”肉蝮と遭遇するのだけど…、これがわくわくしないでいられるかっての。あだ名が示す通り、作中唯一ジョブのないキャラクターがこの肉蝮だ。豚の描写のあとにこれをもってくるってのがすごいよなぁ。


でも、どのエピソードがいちばん好きかってはなしになったら、僕はやっぱり三から四巻収録の「ゲイくん」だな…。これまでのすべてのおはなしと比べてもっともスタティックな物語です。

語り手は、カメラマン志望、28歳のゆーちゃん、ゲイ。街金闇金問わず借金しまくりの「36歳のパラサイトシングルのニートのゲイ」、“ジャニヲタ”は、丑嶋に脅されて金を貸してくれたゆーちゃんに、パチスロやめて、しゅーしょくして、借金もしないと誓う。しかしゆーちゃんはおもう。


(ジャニヲタの誓いは全部叶わないと思う。

誰にでも出来る簡単なコトが本当に出来ない人間もいる。

ジャニヲタはそーゆー人間だ。



僕もそーゆー人間だからよくわかる)



多くのまともに生きるひとたちは、これを“甘え”ととるかもしれない。そして事実、甘えていない人間と比較すれば、そりゃ彼らは甘えてるんだろう。取り立て後、マサルは「あんなんで楽しいのかな?もっとガッツリやったほうが楽しいじゃん」と、強者側の指摘をする。対し丑嶋は無表情に「人それぞれだろ?」という。


「それがずっと続けば最高なんだろうけどな…」


人生がどんなに無意味でも、かつつらすぎるものでも、生きているにんげんはまさに生きていることそれじたいの宿命のため生きていかねばならない。自分勝手にゆるいままでそれを果たすことはたいへんにむずかしい。そんなことはわかりきった正論だ。しかし作中に頻出する丑嶋の沈黙が示す「冷徹な共有」とでもいうべき意志の向きは、これを踏まえながらも、じぶんとはべつのところにある他者の意識を想定している。だからといって彼はこれを手助けしたりはしない。なぜなら彼は「ウシジマくん」であるからだ。このゆーちゃんの自覚的な述懐、マサルの現実的な指摘、そして丑嶋による疑問の投げかけのようなことがそれぞれ見事に作用しあい、このシークエンスは非常に美しいものとなっている。


それから、このエピソードはゆーちゃんのお母さんの場面もすごい。ここは特に、個人的には「共感」せずにいられない。「お母さん 毎日一人でごはん食べてるのかな?」という画面の、なんというさびしさ。ウシジマ史上屈指の名シーンだとおもう。


ウシジマを未読でたまたまこれを読んでいるかたは、まず「ゲイくん」編をオススメします。③、④巻です。

闇金ウシジマくん 3 (3) (ビッグコミックス)

闇金ウシジマくん 4 (4) (ビッグコミックス)