『ピッチ・ブラック』 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

■『ピッチ・ブラック』
監督・脚本:デヴィット・トゥーヒー/主演:ヴィン・ディーゼル



ピッチブラック



同じくヴィン・ディーゼル主演の『リディック』前編。こっちは商業的にはかなりすべったみたいですが…。なんで続編つくられたんだろ?というか、『リディック』じたいもヒットしたのかな?

分類的にはアクションとかSFとかになるんだろうけど…僕は『ソウ』みたいなソリッド・シチュエーション・ムービーとして観たい。つまり、ある限定された状況下で、限られた人員、アイテムでサヴァイバルする、みたいなやつ。


リディックがいいですね~人を食ったような、ってこういうことを言うんだろうな~。登場人物のひとりが間近で顔を向き合わせてしまったリディックにびびって、苦し紛れに「古美術商だ」と自己紹介をすると、どうぞよろしくと握手でもせんばかりに「脱獄殺人犯だ」と口にするところ…。この諧謔性は、ウシジマの兎好きみたいに、ダーク・ヒーローをキャラとして立体的に確立させるばあいには欠かせない大事な要素ですよね。しかし続編の『リディック』は、悪人にはちがいないんだけど、この「ヒーロー」の部分がどうも強く表出されすぎてしまっていて…。はなしの規模がでかくなりすぎて、個のおはなしとして語るには、『スターウォーズ』と比べれば一目瞭然だけど、土壌が弱すぎるってのもあったんだけど、あの映画がおもしろさ云々以前にどことなく欝陶しかったのは結局リディックを普通の土臭いヒーローにしてしまった点にあると思います。


この『ピッチ・ブラック』は…実はかなりおもしろい映画なんじゃないかとおもう。リディックの存在感はもちろんのこと。考えるとどうも納得いかない部分は多々ある。22年にいちどしかない完全日食以外は地下に潜むエイリアンたち…。怪物たちは、ほんのわずかの光りにあたるだけで火傷してしまうような日蔭の生物。三つの太陽に常に照らされるようなあの星でこの生態にあるのは、どう考えたって不自然だ。そのほかにも不満な点はいっぱい。くりかえしになるけど、おしまいあたり、みんなを見捨てて逃げたリディックがちらちら背後を振り返ったり、フライに悪魔の囁きをしながらも、結局はみんなを助けに戻るところとか。しかしこれに関しては、リディックの台詞が中和するけど。やっぱりみんなを置いてはいけない、みんなのためなら死ねると言うフライに対して、リディックは「面白い(HOW INTERESTING)」とつぶやくんですね。あとは、ちょっとヴィン・ディーゼルが下手くそってのもある…。役者じしんの個性にたよりすぎちゃってるっていうか。しかしそういう欠点を補って余りある魅力が、この映画にはある。まず映像が、光と闇のうつりかわりはむろんのこと、その光じたいも黄色くなったり赤くなったり青くなったり、とってもきれい。撮影についてはくわしくないのですが、広すぎる砂漠や渇ききった不毛の惑星の印象も映像にしっかり浮き出ていて、こういうばあいは誰をほめればいいのかわからないけど、とにかくセンス抜群。はなしの流れが妙なところでぶつ切りみたいになっているようにもおもえたけど、全体にただよう夢うつつのような、別次元っぽい感じを考えると、こんなものなのかなーとも思う。(登場人物のセリフにいちどだけ「フランス」ということばがでてきますが)。

この限定された世界軸に登場人物を投げ込み、すべての人間からジョブをはぎとって条件を同じにしてしまうというシチュエーションは、やっぱりおもしろいなー。ひとびとはただ与えられた世界に規定される。そこに徹頭徹尾ジョブを失わないリディックみたいな、通常の世界軸ではむしろ不自然な人物をほうりこむことで、世界をうちやぶる…。これは実はこのように限定された世界でなくても、我々が住むこの“世界”を舞台にしたヒーローものでもおんなじことなんですよね。固定されていない、自由意志のもとにあるようにおもえても、僕らは構造上、つねに“世界”に規定されるものですから。その限定の度合いをこうやってせばめたり極端にしたりすることで、逆に意識が付託しやすくなるわけですよね。


まあ、とにかくオモロイから、『リディック』観てがっかりしちゃったひとはぜひこっちを観てみてください。


リディック / ピッチブラック ツインパック