携帯でアメブロの検索エンジンつかって作家名とか検索しても、理由はわからないけどものすごいひっかかり悪いので、僕はペタとかそういうのは除いた、ブログ巡りみたいなことは基本的にしていません。そうすると必然的に趣味とかブログの方向性とかは無関係な、無作為の訪問になるわけですが、そういうとき、15歳くらいの女の子のブログがわりに多いことにびっくり。そしてさらに、その内容にもびっくり。別に難解なことやってるわけじゃないんだが…。むかしも書いたことだけど(5/09記事、『リトル・バイ・リトル』参照)、この年齢のころは、女の子ほうがずっと大人だ…。というかそのころの僕がガキすぎたのかな。15歳のオレ…。乳臭さとなんの根拠もない反抗心が共存する、世にもみっともない物体。いまだって本質的にはなんにも変わらないけど、あのころの無自覚な不完全性って、思い返すとやっぱり気恥ずかしい。比べて女の子は…、想像も及ばないくらい冷静で、自覚的。さぞかし僕はアホに見えたことでしょう。そういうことの本
能的な察知が、小学生の高学年あたりから高校生にかけての、あの男と女のあいだの気恥ずかしさを伴った壁をつくるのかもしれないな。
ちょっと卑屈になりすぎかな?だけどこれは正直な感想です。そのころから僕は「ジャズは瞬間の、緊張感の音楽だ」みたいな融通のきかない考えをもっていたし、本もいっぱい読んでいました。わけのわからない理由で変人扱いされても(これは日常でしたが…)、他のやつらよりはいくらか大人だ、とすら思っていたのです。しかしふりかえってみると、それはたんに僕のまわりに転がる、ジャズとか演劇とか小説とか、そういうアイテムがそう思わせていただけで、そういうことにまったく気付かず、自分に酔っていた僕の姿は、やはり乳臭い。「自分は大人だ。まわりとはちがうんだ」みたいに、声にはださずとも確信しきっていた…。こう大人になってみると、自分がなんの変哲もない、ただ小説家志望というヤクザな夢をみる学のない、ひとつかみすれば何粒かは必ず混ざっているような有象無象の一員だとわかりましたが、しかしあのころの根拠のない自信は、少し懐かしかったりもします。ものを創り出すというときの、やっぱり大きな原動力ですしね。