いやー雨ですね。梅雨ですか?そうですか。じめじめした時期に出てくるあの生き物…。ついに姿を現したかナメクジめ。むかし『矢口ひとり』で劇団ひとりがゴキ〇リについて、あいつらは普通の自然界の食物連載みたいなものに含まれていないはずだ!みたいなことを言っていましたが、僕はナメクジについてもそう思います。
いやいや、それは冗談としても、きちんとそこに存在しているなら役割があるはずで、世界の均衡を保つためにわさわさ生まれてくるわけなんだけど…。つまりアイツラを食するものがいて、アイツラが食するものがいるという…。信じられないけど。かたつむりは別に触れるんだけどなぁ。むしろ目ん玉つつくと臆病に引っ込むところなんてかわいいんだけど(…触れるのは目だけだが)。安部公房は、蛇があのように嫌われもので、理屈抜きで人間に嫌悪感抱かせるものであるのは日常性の欠如からきている、と書いています。擬人化がひどく困難で、日常を類推し得ないということが、「幽霊のように、日常のない虚無の中から、突如出現したような印象を与える」のだと。これはナメクジにも言えますよね。こいつらは、いったいどのように生活しているか…。なにを食ってどのようにくたばるのか。
いま均衡について書きましたが、もし世界がこのように無意識に均衡を保とうとするものなら、人間とはなんなのか?つまり、人間も自然から生じたものである以上、我々がどのように行動しようと(つまりどれだけ環境破壊をすすめ、ばしばし核戦争をしようと)、それもバランスをとるための一行為となるのか、それとも言葉の発明に代表される行為の意識化のために、均衡は破壊されようとしているのか…。普通に考えたら後者ですが…人を食す動物というのがいないから。それというのは人間が道具を使うため。道具には目的がある。団体で生きるためには、目的の共有が必要。このように言葉は生まれた…いま考えたこじつけですが。いずれにせよ、言葉というものが自然界のサイクルに含まれるものなら問題ないんだけど。人間以外がしゃべってるところ見たことないしなー。暇つぶしの浅い考えですが…。
しかしですね…食い食われるサイクルを考えると、究極の均衡って、なにも存在しないことなんですよね。地球もなにも。それでもこう、全部がここにあるというのは、あらゆるものが時間に含まれているからなんだろうけど。それでもやっぱり、最後には「生きる意味は?」みたいな問いにたどりついちゃうから、そこには無目的という言葉がちらついて見えます。僕らが「無目的」というのを信じられないのは、そこには言葉が欠けているからでしょう。やっぱり、世界と言葉は相いれないものなのかな。