「背景を知らないと読み込めない小説は疑問だ」というふうに書きましたが、読み返してみたらちょっと誤解を招きそうな感じしたので補足。
ある作品がどんな思想で書かれたか、またそのとき筆者がどのような境遇にあったか、前もってそれを知らないと小説的機能が失われる、そういうものは疑問だ、ということです。しかし世の中にどのような主義・思想が存在するのかということを体系的に勉強したり、ある作品を読み込むことでなにかに気がつき、その作品の背景にどんなものがあるのかと考え、場合によっては調べる。これは問題ない。それが掘り下げるということでしょう。たとえば…ある作品を書いた当時、筆者が不本意な離婚をしたばかりだとして、「離婚したばかり」ということを知らないと、作品の暗さが伝わらないというのは意味がわからなくて、その作品は最初から暗くあるべきで、人はそれを読み込んで、このとき筆者になにがあったのか、と考え、調べ、離婚を知って、納得する。これがホントでしょう。こういう過程で、坂口安吾のいうスペシアリティは養われる。読み込む力がつく(“暗さ”に気付けないのはおはなしにならないから…)。なんか前の記事だとなんにも知らなくてもいい、み
たいにも読めそうだったので…。前提情報のようなものが必要でしかもそれが作品以外のところにあり、それがないと読むこともできないというのは、ちょっとちがうんじゃない、と、そういうことです。
すいません、最近訂正ばっかで。あったかいからぼーってしてるのかないつもだけど。