工藤公康クイズ(今月の「ベースボールマガジン」) | 尾林衡史のクイズブログ

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今月号の月刊「ベースボールマガジン」の特集は「工藤公康と西武ライオンズ」ということで、西武黄金時代にエースとして活躍した工藤公康投手です。

 

私が野球を見始めたころは西武が強くなり始めた時で、監督が広岡達朗さん、エースが東尾修投手、主軸は田淵幸一さんでした。

 

工藤投手は1981年ドラフト6位で西武に指名されますが、6位指名ながら同年の1位指名だった伊東勤捕手よりも契約金・年俸ともに高く、期待の高さがうかがえます。

 

ルーキーイヤーの1982年に中継ぎで27試合に登板するなど1年目から一軍でプレーし、4年目の1985年に初めて規定投球回に到達し8勝をあげ、最優秀防御率のタイトルを獲得しブレイクします。

 

監督が森祇晶さんに代わった1986年からは渡辺久信投手とともにエース格として活躍すると、1994年までの9年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一を経験、その中で7度の2ケタ投手を記録しており、西武黄金時代の屋台骨を支えた投手でした。

 

ちなみに、森監督時代に唯一優勝を逃した1989年は工藤投手が4勝に終わっており、リーグ優勝を逃した戦犯のように扱われていたのは記憶にのこっています。

 

その後、1994年オフに森監督の退団と合わせるようにFAで福岡ダイエーホークスに移籍、ダイエーでは城島との師弟コンビで1999年に日本一を達成するなど、西武退団後は選手として、また監督として「優勝請負人」と呼ばれるようになりましたが、ここでは割愛します。

 

少し前に仕事で工藤さんの講演を聞く機会があり、ひとつの世界で結果を極めた方の発言はビジネスにも役立つ内容がたくさんあることを感じました。

是非、監督として現場復帰してくれることを願います。

 

クイズに参ります。テーマは「工藤公康さん(1994年に西武を退団するまで)」です。

 

【問題】

 

1 名古屋電機高校時代の1981年の夏の甲子園の2回戦で、ノーヒットノーランを達成した相手高校はどこでしょう?

 

2 西武が0勝3敗1分から4連勝した1986年の日本シリーズで、工藤投手がシリーズの流れを変えた第5戦12回裏にサヨナラ安打を打った相手投手は誰でしょう?

 

3 1994年の日本シリーズ第2戦3回裏に工藤投手が達成した、シリーズ史上初の記録は何でしょう?

 

 

【解答】

 

1 長崎西高校

 

2 津田恒実

 

3 三者連続三球三振