尾林衡史のクイズブログ

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クイズ作家の仕事を行っております。
こちらでは趣味のプロ野球とクイズを主にアップしてまいります。

前回の『第1回アメリカ横断ウルトラクイズ』振り返りに続いて、1978年の『第2回アメリカ横断ウルトラクイズ』の振り返りです。

 

第1回は本来は1回限りの特番でしたが、好評だったため開催、さらに前回は前後半の2週構成でしたが、3週連続にスケールアップされ、チェックポイント数も増やされました。

 

後楽園球場の第1問では700名が参加、第1問は「ニューヨークの自由の女神像は石でできている。」と第1問の定番の自由の女神問題が初めて出題されました。

この問題間違えたのは1名のみでした。

通過した100名が成田の第二次予選に参加、ジャンケンで半分の50名に絞り、続いて筆記で40名に絞られます。

 

筆記で1位となったのは後にチャンピオンになる北川宣浩さん、北川さんはこの大会に参加するために会社を辞めてきたとのことで覚悟の高さがうかがえます。

 

続くサイパンでは○×札上げクイズ、ここで7名がまず勝ち抜け、続く「ドロンコカルタクイズ」で13名が復活します。

 

サイパンを通過した20名はハワイで、フラダンサーの記憶力クイズに挑戦し10名が本土進出を果たします。

 

本土ではまず前回に続きサンフランシスコのゲストクイズです。ちなみに第1回、第2回のゲストクイズで「3人のゲストのなかから正しい人を選ぶ」問題はすべて3番が正解で、おそらく第1回を見ていた人は「3番を挙げる」と決めうちしていた人もいたのではと思います。

ここでの罰ゲームは、伝説の「ゾウの下敷きになる」というもので、これは2026年の復活特番でも再三紹介されていました。

 

次いでレイクタホではリレークイズ(9人→8人)に絞られ、リノではギャンブルクイズという、正解するとルーレットを回し6ドル以上で勝ち抜けとなる「正解+運」の要素が絡むクイズが行われました。

この時、6ドルを超えた差額は現金で支払われるボーナスがありましたが、ここで通過した女性は40ドルを引き当て34ドル(当時の為替レートで約6,000円)を手にしました。

 

続くデンバーは標高2000mを超える高地で実施され、間違えると服を1枚ずつ脱ぐという形式でしたが、先のリノで34ドルを獲得した女性は、まったく勘がさえずTシャツ1枚となった段階で敗退、罰ゲームはドクターストップで行われませんでした。

 

放送3週目の最初のチェックポイントであるシカゴでは「国際電話連想クイズ」で、挑戦者は日本の家族に電話をかけ、答えとなるワードのヒントを挙げて日本の家族が答える形式でした。

ここで北川さんは成田で敗退した妹さんと行いましたが、適切なヒントを続け他の挑戦者が5問正解程度だったのに対して、実に9問正解を重ねます。

 

続くナイアガラでは正統派の早押しクイズで4人に絞られます。

 

準決勝のボストンは熱気球をつかった「○×アップダウンクイズ」です。ここで北川さんは1問目を唯一間違えてピンチを迎えます。

苦戦する3人を尻目に、間下友美子さんはストレートで通過でニューヨーク進出を決めます。

その後2人が地上に同時に着き、サドンデスを制した北川さんが決勝進出を果たします。

 

決勝のニューヨークは北川さんがさすがの実力で圧勝でした。

 

第2回は基本的には第1回を踏襲しながら、体力や運要素のクイズも増え、また罰ゲームも厳しくなり、後のウルトラクイズの原型となった感じです。