久しぶりの野球本書評です。
本日の書評は名投手コーチとされる権藤博さんの著書『権藤主義』(ベースボールマガジン社)です。
権藤さんの名コーチとされる所以は数多くありますが、私が感じるのは
1 敢えて教えず、選手に考えさせること
2 投手を守るためなら監督と衝突することも厭わないこと
3 選手を減点式で評価するのではなく、加点式で評価すること
と思います。
1は、今では割と普通ですが、私が野球を見始めた時はアマチュアからプロに入った選手は、当たり前のようにフォーム改造やクセの矯正が行われていました。
その結果「角を矯めて牛を殺す」がごとく、本来の持ち味まで消してしまったり、本来の自分を見失う選手が多数いました。
しかし、権藤さんは「才能のある選手は勝手に育つ、指導者に求められるのは逸材をつぶさないこと」と公言しており、選手を見守ることの大切さを説いています。
2ですが、権藤さんは投手コーチとしての確固たる矜持を持っていることから投手陣からは慕われる一方、多くの監督と衝突する形で退団しています。
特に近鉄時代の仰木彬監督、中日時代の高木守道監督との衝突は有名ですが、これは「勝利を追い求める監督」と、「投手をつぶさずシーズンを乗り切る投手コーチ」の違いが大きいと思われます。
権藤さんのようなコーチと折り合いをつけてやるには、監督はある意味「丸投げ」できるタイプと思われます、
3は、横浜監督時代に選手を大人として扱い、尊重していたことからもわかるように選手の良いところを見ていたと思います。
また、「楽しくやれば野球はうまくなる」という信条に基づいているものと感じます。
また、本書を読んで意外に感じたのは、監督・コーチ時代にしばしば対立していた野村克也監督や、高木守道監督を監督としてはきちんと認めていたことで、やはり他人の良い部分は尊重していたと感じました。
権藤さんのような名投手コーチと呼ばれる人は、中々出てこないと思います。
是非まだまだ元気に解説していただくことを願います。
クイズに参ります。テーマは「権藤博」です。
【問題】
1 1961年、ルーキー・権藤博投手を「権藤、権藤、雨、権藤」と呼ばれるほど酷使して物議をかもした中日の監督は誰でしょう?
2 1961年に記録した、新人としての最多勝利記録はいくつでしょう?
3 中日投手コーチ時代の1982年、前年まで先発だったもののクローザーに配置転換することを進言した投手は誰でしょう?
4 横浜監督時代に選手に「あること」を行うと1000円の罰金を徴収していましたが、それは何でしょう?
【解答】
1 濃人渉
2 35勝
3 牛島和彦
4 自身を「監督」と呼ぶこと