プロ野球は現在はリクエスト制度があるため、審判の判定に疑義があった場合、監督からリクエストを行ってリプレー検証が実施されるため、審判をめぐるトラブルはかなり減っています。
しかし、かつては疑惑の判定により救われる選手がいる一方で多くの選手が泣きをみました。
今回は、その中でも東京ドームを変えた疑惑の本塁打を紹介します。
1990年4月7日、東京ドームで行われた巨人ーヤクルトの開幕戦、ヤクルトはこの年から知将・野村克也監督を迎え万年Bクラスからの脱却を図ります。
試合はヤクルトが小刻みに3点を取る一方、巨人はヤクルトの開幕投手である内藤尚行投手を打ちあぐね、8回表を終了して3-1とヤクルトがリードします。
このままいくと思われた8回裏1死2塁の場面で打席は篠塚和典選手を迎えます。
その初球、ボールはライトポール際を通るもわずかに切れたように見えますが、一塁塁審の大里晴信氏は右腕をグルグルと回しホームランと判定します。
実はセ・リーグではこの年から審判を6人制から4人制に変更、ライト際の打球は従来はライトの線審が判定を行っていましたが、それを一塁塁審が行いました。
その初日に起こったことから早速物議をかもします。
しかし結果としてこの判定は誤審であることが認められ、顛末として
1)大里審判は二軍降格処分(のちに復帰するも、その年限りで審判を自主退職)
2)東京ドームのポールを白から黄色に変更
されました。
上の動画をみていただいてお分かりの通り、東京ドームの白いファウルポールでは白いボールが同化しているため、そもそも最初から色をつけていないのが疑問でもあります。
さらにこの時東京ドームは開場3年目で天井も白く天井にかかる位置まで高く上がったボールは見づらいケースが多くありました(現在は汚れで黒くなっているため、かえって見やすくなっています)。
後味の悪い内容でしたが、この時内藤投手はショックを受けるも、引退後に「おかげでファンが増えた」と前向きなコメントを残しているのがせめてもの救いと感じました。
また、野村監督のスタートがこのような形での船出だったからこそ、「打倒巨人」の思いが一層燃えて、のちのスワローズ黄金時代につながったと感じています。
ちなみに私は2019年に長野での試合で解説に来ていた内藤さんにお会いしましたが、にこやかで明るく、素晴らしい人柄でした。
クイズのテーマは「内藤尚行投手」です。
【問題】
1 内藤尚行投手が1990年に開幕投手を務めたときの相手チームは巨人ですが、翌91年に開幕投手を務めたときの相手チームはどこでしょう?
2 本塁打、三塁打、盗塁、死球。このうち打者として内藤尚行選手が記録しているのはどれでしょう?
3 現役引退後の2013年から2年間監督を務めた、独立リーグのチームはどこでしょう?
【解答】
1 広島東洋カープ(2年とも勝ち負けつかず)
2 本塁打(通算3本記録しています)
3 新潟アルビレックスBC