「非(ナル)Aの世界」(ヴァン・ヴォークト)を読み返し、「君の名は。」(新海誠)も読み直し、「生まれ変わりの村④」(森田健)も再読しつつ、「祈りの海」(グレッグ・イーガン)の「貸金庫」を読み始め。
これらの共通主題はアイデンティティ、自己同一性だろう。
「非A」ではゴッセンは幾つもの身体を用意されていて自己は引き継がれていく。
「君の名は。」では身体が入れ替わりつつ各自の自己は保持されている。
「生まれ変わりの村」では前世の記憶を保持している。(この本はドキュメンタリー)
「貸金庫」では自己意識はあっても固有の肉体はなく乗り換えているようだ。
自分が自分であるとはどういうことか、というのは子供のころのある時に考え始め、そのうち考えるのを止めてしまうことも多いかもしれない。
でも疑問は先送りされたままだったりする。
自己そのものが幻想という見方もある。
「君の名は。」の中に度々出て来る「お前は誰だ」は、特殊な状況でなくても出てくる素朴な疑問と言えるだろう。