絶対音感という言葉、いまでも定義が曖昧なこともあり、「誤解」はずっと続いている気がします。
過剰な期待を抱く人、逆に敵意に近い嫌悪感を持っていて「ない方がいい」とまで言う人、その間に色んな考え方、感じ方があるかなと思います。
絶対音感と聞くと「聞こえた音が何の音(音名)かすぐにわかる」が多くの人のイメージでしょうか。
まあこれは、どの定義の人も反対する人は少ないのではないかと。
中間音まで含め、1オクターブを12音に分けた時のどこに一番近いか、ズレ具合まで含めてわかる。
絶対音感がある、と言われる人の多くがわかることと思います。
絶対音感は訓練できない、特殊能力と考える人もまだ多いかなと思います。
出来ても幼少期の訓練に限られる、と考える人もやはり多いかな。
実際には大人でもリラックスして練習すればできるのですが。
私がレッスンなどで活用している教材は、どれも「大人になってから自力訓練で音がわかるようになった」人が、自分のトレーニングをより一般的に活用できるように作成したものばかり。
彼らが特殊な少数者ということはないと思います。
ない方がいい、もしくは必要ないという意見も多くあるかなと思います。
ちょっとのピッチの上下を気にする絶対音感者がうっとうしい、的な意味合いも大きいのかも。
「ちょっと」ではないから気になる、戻したくなる、いう感覚が全く理解できない人もいるのかな。
あるいは、人間だからこのぐらいのズレは出て当たり前だからズレに合わせてくれ、と思ってしまうのか。
言い方は悪いですが、少しぐらいのズレと感じるのは感覚が現状では雑で粗いからです。
しかもその粗さはちゃんと訓練すれば丁寧な感覚になります(戻ります)。
必要ない、に近いニュアンスとして「絶対音感より相対音感が音楽的に大事」というのもよくある意見。
これは「誤解」ではないけれど、絶対音感と相対音感を比べているところが微妙なところです。
確かに絶対音感自体は「音がそのままそれとしてわかる、出せる」だけなところがあるので、それだけでは「音楽的」な能力とは言いにくいのかもしれません。
相対音感は勿論音楽の文法能力です。
ただ「ピッチカラー」や「クローマ」という考え方、感じ方からすれば視覚でいうところの「色」に相当するので、全然ない状態だとモノクロの形の動きだけを楽しんでいることになり、やはり音楽の全情報を聞いていることにならないかと思います。
まだまだ色々あることでしょう。
音楽の楽しみ方は人それぞれだし、色々あっていいとは思います。
ただ、入力時点での知覚力、識別力で楽しみの度合いもかなり変わってくるかなと。
音楽を十分に楽しみ、聞いたり演奏したりする上では、やはり絶対音感も相対音感もしっかりある方がいいと思います。
そんなことを思いつつ、時々トレーニング方法をあれこれ書いていきます。
ではまた!