昨日、新宿シネマートにて「スープ」をまた見てきました。
シネマートでは昨日が最終日。
この映画、勿論「生まれ変わりの物語」という副題もついているし、「原作」は森田健さんの「生まれ変わりの村」だから、それが主題ではあるのですが、改めて思ったのは「父と娘の物語」だということ。
主人公と一人娘の年齢差(父50、娘15)が自分と同じ、というところで重ね合わせて見てしまうのかもしれない。
一人娘、も同じだし。
話のスケール、驚愕度から行くと、原作の「生まれ変わりの村」の方が凄いのはあることはある。
(小説ではなく、15年にわたる現地調査のインタビュー記録の一部)
娘を残して死んだ父が男の子に生まれ変わる。
生まれ変わって8歳の時に、28歳になっている「娘」の経営する店に娘に会いに行く。
最初は本当のことは言わず、時々遊びに来る男の子として。
何回めかで、自分が「父」であることを明かし、その後も交流を続け、「娘」が老衰で亡くなるまで見届ける。
これに比べれば、映画のスープの方はずっと抑制が効いているというか、「父」が「娘」に会いに行くのはおそらく一回きりでしょう。
ただ、「新しい自分」としての今を100%生きていく、にはこれもまた選択だろうと思います。
生まれ変わり記憶者の多い「生まれ変わりの村」と、そういう記憶者が殆どいない東京では人間関係の状況も相当違うわけだし。
勿論これは、今後変化していく可能性(意識的な記憶者が増えていく)可能性も大きいけれど、、。
この分野、精神科医になってきちんと研究したいな、と思っていた領域でもあります。
ブライアン・ワイス博士の「前世療法」なんかも有名ですね。
もっと前(60年代)のイアン・スティーブンソン博士の研究、「前世を記憶する子どもたち」もまだちゃんと読んでいないので、これから読んでいこうと思います。
今はスティーブンソン博士のヴァージニア大学の調査にも参加したサトワント・パスリチャ(インドの国立精神衛星神経科学研究所の助教授、執筆時)の「生まれ変わりの研究」を読み始めたところ。
あくまで実用主義者の自分としては「現在の生活に役立たせる」という視点で(笑)生まれ変わりを考えていこう、と思います。