心を磨く -6ページ目

知盛さん、本当に無理しなくていいですよ

コメントが長すぎて返事するのにも困るんですが、とりあえず一つだけ返信しておきます。

18 ■エゴイスト呆け

>tshadeお兄ちゃん

お~やっとツハデじゃなくなりましたねぇ~~。やっと理解して頂いて光栄ですわ。


日顕の悩乱の 答え 説明しろよ

「凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり。三宝一体なるが故なり」(真言見聞)

この御文に反して日顕上人を呼び捨てにするなんてあなたが悩乱なんですよ。


1
「末法において正しい信心ん持つ人は これを一生のうちで死ぬ時に悟人が多い」

一凶 念仏の邪義思想

そもそも引文が間違っていると思うのですが・・・。もう一度見直してもらえますか?


「題目を唱えたからといって、直ちに九識の境界を得ることができたなどといっていうことは、おそらくない」
平成16・8夏期講習会

九界即仏界の否定

「九識」と「九界」は別のものなんですが・・・。

よくわかってもいないのに無理するからこういったボロが出るのですよ。恥ずかしい。


精神破滅人お前だ 日顕宗門 日蓮正宗邪宗だ

文章構成能力、読解力にどう考えても難があるあなたに言われてもなぁ。

私のブログにコメント入れる時間があったら病院に行かれた方があなたにとって良いことだと思います。

悩乱ニセ法主 に エゴイスト呆け管理人。 素直に謝罪して答えろ ヘタレ

何か謝らなければいけないことありましたっけ?

どちらかというと私に対して悪口雑言を行い、コメントも書き逃げばかりでまともな対話もできないあなたに謝罪して頂きたいところですが・・・。

過去の記事・コメントを見れば、あなたがどれだけ私からの詰問に対して返信に窮しているのか、常人なら理解できると思いますけどね。

ウジウジするな お釜か暴力坊主の手下が
ブッ潰すぞ
自尊心バカ。


相変わらず汚い言葉遣いですね。とても仏法を信仰する人間の書く文章には思えません。

創価学会を信仰すると、三毒が強盛になり心が濁ってしまうんでしょうね。

創価学会では「人間革命」など夢のまた夢です。


その心の濁りは創価学会を辞めて、正しい仏法に縁しない限り直りませんよ。

まあ今回はこんなところで。最近また忙しいんで他のコメントにはまた後日触れるかもしれません。

知盛さんへ

>知盛怛彌さん


だからツハデじゃないって言っているじゃないですか?本当に頭大丈夫ですか?ネットなんてやってないで病院行った方がいいと思います。本当に。



>大ご本尊が ないから 功徳は出ない ウソつきです 大ご本尊は 弘安二年に御図顕されている
それまでは 功徳がなかった? 功徳がない宗教は拡大しない


大聖人様がご自身の滅後のことも考えられて末法万年の為に大御本尊様を御図顕されたのです。その時点で三大秘法が世に現されたのです。それ以前の時代とごっちゃにしてはいけませんよ


>仏像 拝遠 題目などにより 信徒は題目を上げていた


それはその方達に、「戒壇の大御本尊様を渇仰恋慕する想い」があったからでしょう。翻って今の創価学会員は「戒壇の大御本尊様を拝まない」ということを自ら敢えて選んでいるのです戒壇の大御本尊様への姿勢が全く異なります。一緒に語るのが失礼ですよ。


>二回のブレ大会 昨年の嘘数字75000人 大総会


「嘘数字」という根拠をどうぞ。挙げれなければ、またあなたが嘘をついたことになります


>偽物法主 日顕のご本尊で 功徳があると いった 人の証拠あるかな


では、日顕上人が昭和54年に御登座されてから平成2年に創価学会が破門になるまで、創価学会には功徳はなかったんですね?(苦笑)
その当時の聖教新聞を読めば功徳の話しなんてわんさかありますね。以上


>今年は学会偽本尊キャンペーンですか


キャンペーンなんて別にやってませんよ。創価学会が平成5年にニセ本尊を作り始めてから、ず~と言い続けているだけですからね。


>日蓮宗 の大聖人御真筆のご本尊も 偽本尊ですか


「御真筆の本尊もニセ本尊ですか?」って頓珍漢な質問をしていることからもあなたが本尊論について全然理解していないことがわかります。
「御真筆本尊は御真筆本尊です。」


>大ご本尊を占有しなく 人類に解放すべきでしょう なぜなら 大ご本尊は 世界人類のもので
特定の坊主 信徒のために 大聖人は 御図顕されてはいない。


今の創価学会には必要ないんでしょう?じゃあ「開放する」必要もないじゃないですか。既に矛盾してます。
ちなみに戒壇の大御本尊がなぜ蔵の中におしまいしてあるか、それすらもわからないから、そんな阿呆なことがいえるんですよ。


>貴殿のめちゃくちゃ屁理屈は正論とはならない


どこをどう考えてもあなたが言っていることが屁理屈です。
まあ屁理屈を言っている人自身は、自分が屁理屈を言っていることに気付かないし認めないでしょうけどね。

知盛さん、無理しなくていいですよ

何やら最近知盛氏からペタがあるので何かと思っていたのだが今日やっと意味がわかりました。


彼の記事タイトル「日蓮正宗ツハデの得意技 屁理屈」の「ツハデ」とは私のことらしい。

つまりtshade→ツハデ・・・・

昔にhttp://ameblo.jp/tshade/entry-10420317363.html において「tshadeとはtomoshadeを省略したもの」と教えてあげたはずなんだが・・・・。

なぜツハデ・・・・orz

理解力がないのなら大人しくしていればいいのに、首を突っ込むから恥をかくというのがわからないんでしょうか?(;^_^A アセアセ…


それはさておき全部は面倒なのでところどころお答えしようかと思います。

いつものように

青地 知盛氏

赤字 私の返信


日蓮正宗 法華の集い
ツハデ まあ ヘタレ自尊心の塊


>「法華講の集い」の間違いでは?正確にお願いしますよ。

>ツハデ・・・orz

>毎度のことですが、その「ヘタレ」「自尊心の塊」の私に対して建設的な意見で返答ができないあなたって・・・もの凄い恥ずかしい姿を晒していることに気付かれた方がいいかと思います。


人本尊とは 日蓮大聖人
法本尊とは 三大秘宝 一大秘宝 南無妙法蓮華経
大御本尊
ゆえに人法一箇


人本尊はその通りですね。しかし、法本尊は少々おかしいですね。

まず「秘宝」ではなく「秘法」です。ワンピースじゃないんだから(苦笑)

そして三大秘法は

本門の本尊・・・戒壇の大御本尊

本門の題目・・・南無妙法蓮華経

本門の戒壇・・・本門の本尊が安置される場所(現在では大石寺)

です。

日蓮正宗ではこの三大秘法を世に弘めています。つまり、「『本門の戒壇』で『本門の本尊』に向かって『本門の題目』を唱える」人を増やしていくことが日蓮大聖人の教えを弘めていくことになるのです。

翻って、創価学会には「本門の本尊」も「本門の戒壇」も存在していません。存在しないものをどうやって弘めていくというのでしょう?常識的に考えてできませんね。

つまり今創価学会がやっていることは中身のない無駄なことであるといえるでしょう。


結論として 御本尊は人間の生命を現したものであり 御本尊があるから大丈夫と いう 考えは 邪義と言える


以前にも言ったが「御本尊=人間の生命」であるのなら御本尊は必要ない。人間自身を拝めばいいのだから。

本当にそう思うなら、鏡に映った自分でも拝んでいなさい。

ちなみに誰も「御本尊があるから大丈夫」などとは言っていない。きちんとした修行をしなければたとえ御本尊が優れていても成仏は叶わないのである。当たり前のことですね。


例えば ニセ法主 日顕の曼陀羅など 不幸になるために祈っているようなもの。

これも以前に触れた気がするが、では日顕上人が御登座されてから、創価学会作製ニセ本尊が世に出回るまでの数十年間に渡って、日顕上人御書写の御本尊を拝んでいた創価学会員は皆不幸になっていたのですね?

体験発表などで「功徳がある」と言っていたことも大嘘なのですね?

よくこんな大矛盾したことがぬけぬけと言えたものです。これぞ頭破作七分の現証であるといえましょう。


何故なら 高齢化している 後がない

まあ少子高齢化時代にどこもある程度同じだと思いますが、

作太郎さんのブログから引用しますが引用箇所は紫

 


7 ■無題

内の地区も昨日でした。

男子部はオレだけでした。もちろんオレが司会です。

人数なんて関係ありませんよ。

「やる気」です。

個人的なメッセージ

戸田会長は痛快ですな。

一、創価学会ちゅうもんは今に大きくなったら本山から別れて独立するんじゃないかって お坊さんが心配しているげな

二、馬鹿も休み休み云え、創価学会ちゅうもんは地獄へ行く団体じゃあない、浄土へ行く 団体だぞ、大御本尊のいます富士大石寺を一瞬も一時も離れるものか

三、創価学会ちゅうもんは会長でも支部長でも本山からはなれるなんて云い出したら即刻 首だ、そんな馬鹿会長でもあるまいよ。』

『戸田会長』執筆「寸鉄」 (聖教新聞 昭和27年9月20日号)


まあこれ以上私がコメントする必要はないですな。

これを見た学会員さん。戸田会長を尊敬すると自認しているのなら、一刻も早く創価学会をお辞めになった方がよろしいかと思います。


日寬上人の事

 とある法華講員さんのHPを拝見していて、現在の創価学会の邪論に対して正鵠を得たかつての御法主上人猊下の御指南があったので、掲載したい。

 読んでいただける方には特に赤字にした部分を見ていただきたい。

 これは現在の正信会についておっしゃっている部分であるが、現在の創価学会に対しても充分に適応しうるところである。

 某、西の方の学会員が「教学部長」と持ち上げる御仁もかつて「日寬上人については、これから研究をしなければならない」などと言っていたが、それは「御仁>日寬上人」という大慢心に他ならないということである。日寬上人の御本尊を改変し拝んでいるにも関わらず、日寬上人の御法門を信じることができない哀れな姿と拝することもできる。

 正信を行じ、また正信を求める人に当たっては、かの御仁のような慢心を起こさずに素直に戒壇の大御本尊を信じ精進していきたいものである。




御法主日顕上人猊下御指南 (第32回講師講習会開講式の砌)[大日蓮四五二号・昭和五八年十月号]

「今年の教師講習会については、去年の講習会において「来年からは教学書について、少しずつまとまった形での拝読をしていきたい」というようなことを申したかと思います。しかし、実は一昨年の教師講習会において、今のいわゆる正信合と称しておるような者どもの教学的な矛盾について述べたのであります。また今回、学林研究科のほうで教学部から論題が出され、明日もその一部について研究発表が行われることになっておりますが、その彼等の言っておる色々とおかしな点を一昨年ある程度、破折といいますか、誤りを指摘した形でお話をしたのであります。

しかしまた、よく考えてみると、彼等が言っていることの特に大事な部分、いわゆる本宗の教義の大事な部分について、いささか私の指摘の触れ方が足りなかったような感じもあります。これは皆さん方もある程度、色々と関心のあるところかもしれませんから、今回は予定を変えて、そういう重要な法義に関して、特に彼等が色々とひねくりまわしておかしなことを言っておることの、どこがどう違うかというような点をなるべく明確に申し上げ、さらに、大聖人の仏法の拝し方における基本が狂っている故に、彼等の一切の狂いがそこから来ているということについて、若い人も多いことですので、大聖人の御法門の拝し方ということにおいて、時間があったら最後に少し触れてみたいと思います。

一番最初に少々触れたいことは日寛上人の教学ということですが、我々日蓮正宗の僧侶として、もう日寛上人の教学に関していまさら何も申し上けることはないほど、実に横縦十文字に一切がそろって、きちっと御指南をあそばされておいでくださるわけで、我々はただ仰いでこれを研鑽し奉るということが、まず大事であります。

しかしながら、近代の心ある人々のなかに、少々表現が悪いかもしれませんが「日寛上人を越えなければいけない」というような言い方なり考え方なりがあって、また、それが多くの若い人を励ます言葉として、私も実は昔から聞いたことがあります。しかし、そこのところが、今の正信会といわれるような若い者どもの誤りをも含めて、非常に難しいところだと思うのです。

だいたいにおいて、日寛上人の御法門を越えるなどということの意味を、日寛上人の御法門がまだ未完成だから、それをさらに越えて完成させるのだというふうに取るならば、それは大変な間違いであり、増上慢もはなはだしいのです。また、けっしてそういう意味で言われているのではないのです。けれども、正信合と称している者どもにとっては、そのように考えているのではないかとすら思われる意味があります。

披等も今、一往は日寛上人をたてるけれども、その言っていることは皆、狂ってしまい、実際には明らかに日寛上人と違ってしまっているのであります。だから、彼等がどのようにうぬぼれてみても、あの日寛上人を越えるなどということは、だいいちできるはずがないのです。日寛上人当時の談林教学のなかにおける成果としては、もうこれ以上ないほど、大聖人の仏法が根幹となり、しかも天台の法門をいささかの誤った解釈もなく駆使して、法門が組み立てられてあるのであります。ですから我々は、よほど命懸けで勉強しても、日寛上人を客観的に批判し論ずるなどという資格のある者は無い、と思わなけれはならないのであります。

創価学会では御本尊は人間だそうです

学会の人のブログを眺めていたら面白いというか唖然としたことが書いてあったので取り上げてみました。
法律上引用する場合はその所在を明らかにしないといけないようですので、明記しておきますが、別に当該するブログの記事ことを云々するつもりはないので誤解のなきようお願いします。

虎之助のブログ軒時「ニセ本尊と難癖の春の全国キャンペーン中の日蓮正宗」のコメント欄より。

(まあこのタイトルも笑ってしまうんだが、上で言った通り今回はこのブログの記事自体には触れないのでそうっとしてきます)


以下、青地のコメントに対して私からの意見を書き加えていきます。


えっと・・御本尊についてですが、法華講の人間が御本尊のことについて決定的にわかってないところがあるんです。


>そもそも御本尊のことを何でも判っていたら仏ですね~。私達は本来御本尊のことはわからないことだらけのはずです。それを「未だ得ざるを為れ得たり」の慢心を起こして判ったつもりになっているのが池田大作氏を初めとする創価学会の上層部、そしてそれに騙されているのが、末端の会員ですね。

 それはですね、肉筆で書かれた御本尊についての詳細な記述が、御書にはほとんど出てこない、非常に少ないということなんです。これは昔の「日蓮正宗教学小事典」に、はっきりと書いてあります。

>当たり前ですね。御本尊の深義は大聖人より始まって一人から一人へ相伝されているんでからその全てが御書に出ているわけないんです。しかし「御書に出てこない」ことをなぜ突然平成の世になって創価学会が判るようになるんでしょう。これなど言っていることが相当矛盾していますね。御書にないことを池田大作氏が判るはずもないいのだから素直に判る方、つまり御法主上人猊下の御指南を拝せばいいことです。


 御書で言う「御本尊」とは、別してはあらゆる難に打ち勝つ大聖人のことであり、総じてはその門下のことをさしているのです。


>どういう読み方をしたらそうなるんでしょうか?御本尊が人間自身また自分自身だったら、曼陀羅御本尊を拝まなくても、鏡に映った自分でも、隣にいる人間でも拝めば済むことです。曼陀羅御本尊の必要性がありませんね。

我々凡夫は仏性を持っていますが、仏界の命は対境である御本尊を拝まないことには涌現してきません。こんなことは日蓮正宗では高校生くらいでも知っていることなんですがね。



 法華講は本山の御本尊が真実で、学会の御本尊は「ニセ本尊」だと言いますが、それでは御本尊に書かれてあることが、現実世界で宝塔として具現化したのかどうか?ということになり、これが証明できないと「人本相違」になります。

>多分「人法一箇」に対して「人法相違」といいたいんだと思いますが、ここでの「人」とは人本尊のことで、人本尊とっは末法御出現の御本仏日蓮大聖人のことです。また法」とは法本尊のことで、法本尊とは弘安二年御図現の戒壇の大御本尊のことです。

この人本尊としての「人」と我々凡夫を指す「人」をごちゃ混ぜにした噴飯ものの理論です。

まさか御本仏であられる日蓮大聖人と我々凡夫が全くの同等だと思っているわけではないでしょうね・・・と思いますが、現在の創価学会では実質「日蓮大聖人<池田大作氏」であり、言葉では言わずとも実態はそんなものかもしれませんね。


日蓮正宗にその証明ができないことは明々白々ですね。

>証明というか上掲のごとく論点がずれているのでそういう意味では「証明できない」ですね(;^_^A アセアセ…


 御書で書かれている「御本尊」とは肉筆の曼荼羅ではなく、大半は「あらゆる人々を折伏し、難に打ち勝つ大聖人ご自身」のことを言うのであって、これを「法体の折伏」といい、これが本当の御本尊です。

>上掲のごとく、大聖人自身のことを本尊と御教示されている箇所は「人本尊」についてですね。

何度も言いますが、本当に「人間自身が本尊」であるというのなら、曼陀羅御本尊は不要です。


これを法華講に話すと、初めて聞いたような顔して驚きますよ(爆笑)。


>それは、「初めて聞いたような顔」なのではなくて、あまりに無茶苦茶でかつ、少し勉強したら誰にでもわかるようなことをしたり顔して話すあなたをみて「呆れれ唖然としている顔」なのだと思います。



以上ですが、創価学会が相当迷走している様がわかる良い例ですね。

そのうち創価学会の唱題会などでは、互いに向かい合って、「ここにいる全員は御本尊だから、お互いに拝み合いましょう」とかってなるんでしょうか。

ごめんなさい。想像したら正直ホントに気持ち悪いです(苦笑)


自語相違の創価学会④

復帰第一稿は何にしようかなと思っていたのですが、久々に自語相違シリーズに思います。
かつて

http://ameblo.jp/tshade/entry-10348396771.html

でとりあげた問題について、また別の切り口で創価学会の矛盾を明らかにしてみようと思います。


さて、上記の記事において、創価学会は「四恩抄の『僧』とは僧侶のことじゃないんだ。」と言って言い逃れようとするとご紹介したのですが、実は創価学会は僧侶を抱えているのです。所謂「離脱僧」といって、元々日蓮正宗の僧侶だったにも関わらず、創価学会に靡いてしまった残念な方達のことですね。

ニセ本尊の元になった御本尊もこの離脱僧が不当に占拠した日蓮正宗の寺院から持ち出したものです。

また、僧侶がいない葬式が嫌な学会員にはこの離脱僧が導師をしますし、要のはずの塔婆もなぜだかこの離脱僧達が書き表すようです。このように、ある時は御僧侶を否定するくせに、都合のいい時は肯定するという小ずるい団体が創価学会な訳です


話が逸れてしまいました(;^_^A アセアセ…

とにかく、創価学会が離脱僧に給与を支払っているという事実も裁判の記録として残っていますし、創価学会にも実質的には僧侶が存在しているのです。アメブロのどこぞの学会員さんも「S原ご住職」と尊敬されているらしいですしね~。

でもこれ問題なんです。

創価学会破折でおなじみの日興遺戒置文を見てみましょう。


「一、若輩たりと雖も高位の檀那より末座に居くべからざる事。」


この御文は読んで字のごとく、「一番位の低い僧侶でも、在家より末座に座らせてはいけない」という意であり、在家は僧侶を敬っていかなければならないとの戒訓です。

これを創価学会に適用しますと、創価学会で行われる本部幹部会などの会合ではS原氏を初めとする離脱僧が一番良い席に座り、池田大作氏といえども末席に座るべきなのです。

しかし、現実は、池田氏は真ん中で堂々とふんぞり返っていますし、離脱僧が壇上に上がっていることなどもあまり見たことがありません。


このことからも、創価学会は日興上人の御教示に反する大謗法団体だというとは明らかなのであります。


以上ですが、創価学会員の方々におかれましては

「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。」

の御金言のごとく速やかに創価学会をお辞めになり、正しい仏法に縁されることをお祈り申し上げております。




復活します

 皆様お久しぶりでございます。
 あまりに多忙だった為、ご挨拶もせずに、ブログを休止しておりましたが、少し余裕が出てきたので再開することにしました。
 元々はすぐに再開するつもりだったのですが・・・休止の挨拶もきちんとせずに大変申し訳なく思っております。すみません。
 これからも以前の頻度での更新はできないかと思いますが、当ブログが読者の皆様のお役に立てればと思っておりますので、よろしくお願い致します。

申し訳ないです

今ちょっと忙しくてペタやコメントのお返しもしなくてすみませんm(__)m

週明けに復活予定です。

それまで暫しお待ちを。