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だんだんシフトしてくるということは、「 少しいい加減になってくる 」とも言えます。
それは、なにか修行で、「レッテルを貼らないようにする・・・ 」ではなく、「 貼れなくなってくる・・・」ということです。
「どうでもいい感じ」という一見投げやりな感覚は、人生に余裕が出てきている という事です。
レッテルを貼って、意味付けをして行くということは、積極性があり一歩でも前進しようとする意志力のようなパワーがあります。
しかし、「なすがまま に生きる」 というような、シフトの場合、レッテル貼るくらいそれそのものに、意味を感じない、興味を感じない、つまり、積極性ではなく、「 受け身 」のようなスタイルです。
「 受け身であるからこそ、エゴが出て来てないのです。」 人生の大半の悩みや行き詰まりは、このエゴがしゃしゃり出て来て、いろいろ不安から行動することで、混乱を招いているので、エゴが出てこないからこそ、本来のパワーが増幅されるのです。
受け身になるということは、「自我」が薄くなってきて、流れの邪魔をしなくなってくるということです。エゴのパワーが弱まって来たとも言えます。
とらわれが無くて、流れて行くようだからです。
ここが体感できてないと、いつまでたったも「自分でなんとかしなくちゃ」 という気持ちのままに、いつも肩の力を張って自我の力に空回りしていきます。
いつも、いつも「これは○○である」「これは○○の意味である」「これはこれで正しい」とか、カタチにしないと安心しないような、男性的なバランスのとり方になります。
シフトすればするほど、そのような呪縛から説かれてきます。
大いなる大きな大きな存在の中に、自分自身という小さなエゴが溶けてしまうからこそ、寛容になれるのです。
寛容になれたからこそ、レッテルも貼らなくても良い という気持ちになれるのです。
結局、あるがまま なら あるがままで
いいのです。
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