どーでもいい。 | My Diary♪

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ここで紹介している情報をそのまま鵜呑みにせず、
ご自分で判断して下さいネ☆
ここは私の世界です☆彡
よくわからないときはスルーしちゃって下さい(人´∀`).☆.。.:*


私、前の記事で


どーでも良くなってしまう。


みたいな事をチラッと
書いたのですが・・・


kuさんのブログで
そのお話が出てきたので、
ビックリしましたびっくり


またまた、シンクロですね( *´艸`)


【一部転載】

だんだんシフトしてくるということは、「 少しいい加減になってくる 」とも言えます。

 


それは、なにか修行で、「レッテルを貼らないようにする・・・ 」ではなく、「 貼れなくなってくる・・・」ということです。

 


どうでもいい感じ」という一見投げやりな感覚は、人生に余裕が出てきている という事です。



レッテルを貼って、意味付けをして行くということは、積極性があり一歩でも前進しようとする意志力のようなパワーがあります。

 


しかし、「なすがまま に生きる」 というような、シフトの場合、レッテル貼るくらいそれそのものに、意味を感じない、興味を感じない、つまり、積極性ではなく、「 受け身 」のようなスタイルです。



「 受け身であるからこそ、エゴが出て来てないのです。」 人生の大半の悩みや行き詰まりは、このエゴがしゃしゃり出て来て、いろいろ不安から行動することで、混乱を招いているので、エゴが出てこないからこそ、本来のパワーが増幅されるのです。

 


受け身になるということは、「自我」が薄くなってきて、流れの邪魔をしなくなってくるということです。エゴのパワーが弱まって来たとも言えます。


とらわれが無くて、流れて行くようだからです。 



ここが体感できてないと、いつまでたったも「自分でなんとかしなくちゃ」 という気持ちのままに、いつも肩の力を張って自我の力に空回りしていきます。

 


いつも、いつも「これは○○である」「これは○○の意味である」「これはこれで正しい」とか、カタチにしないと安心しないような、男性的なバランスのとり方になります。



シフトすればするほど、そのような呪縛から説かれてきます。

 


大いなる大きな大きな存在の中に、自分自身という小さなエゴが溶けてしまうからこそ、寛容になれるのです。

 


寛容になれたからこそ、レッテルも貼らなくても良い という気持ちになれるのです。

 


結局、あるがまま なら あるがままで 

いいのです。


【転載終了】


今の私の中では
もう大丈夫しかなくて。


何も心配はないです。


大丈夫だから、
何も言う事がないというか・・・


皆、自由でいい。


思う存分、
味わってしまいましょうおすましペガサス乙女のトキメキ