「さあ、なに食べようか?」
歩きながらなんとなく考えたのは昼飯のコストパフォーマンスについて。
人それぞれ昼メシに求めるものは違うだろうけど、ボクの場合はまず普通に美味しいこと・・・ボクは日常のなかで劇的な美味しさは求めていません・・・びっくりするようなのはたまにでいいんです・・・そこそこお腹が満たされること・・・もう50代だから大食は卒業したけど、たまーにある老舗の蕎麦屋のような微量系はよけいにお腹が空くことがあります。やっぱりお金をだしてゴハンを食べて腹が減るのはちょっと(笑)・・・そこそこ油断できること・・・日常はボーっとしながら昼メシを食べたい・・・昼メシ食べるのに緊張したくないよ・・・なんてことを考えていたら「その点大連はスコアが高いよな」と急にこのお店が浮上。
あ、ボクが写真に写ってますね^^
野菜食べなきゃという気分もあり八宝菜いいなと思いながら入店。
オーダーしようとしたら先客でいた若者が元気に「八宝菜」と。
なんだなんだ、このすっと先を越されたというかは(-_-;)
ここでボクが「八宝菜」といえば店にいる皆が”あのオッサン、若者のマネをした”と思うのではないか?
若者は友達に「今日オレが八宝菜をオーダーしたら、それをマネしたオッサンがおったで」なんて言いふらすのではないか?
それは悔しいから他のなにかにしようかと思ったが、そう考えだすと無性に八宝菜が食べたくもなる(笑)
そして、なぜこんな生産性のないことをグルグルと考えてしまうのだろう?オレはアホなのか?とも思う。
そして敗北を認める気分で「八宝菜」
温かい中華スープがいい感じでじんわりとくる季節になった。
ふと左側を見ると八宝菜をオーダーした若者がまさに”わっせわっせ”という感じでゴハンと八宝菜をがっついている。
ふと、人間は動物なのだという普段忘れていることを思う。
汗水たらして働く人も、スーツを着てパソコンに向かっている人も、出世のために社内のパワーバランスに気をとられて上役の機嫌ばかり取っている人も、悪いことをしてお金儲けをたくらむ詐欺師だって皆食っていくためなのだなと。
昨年病気をしてから自分の中に生きるためのエネルギーが落ちたのではないかと危機を感じているボクはあらためてもう一度頑張ろうとも思うのだ。
八宝菜は好きだけどあまり外食では食べてこなかったかな。
子供のころから家でよく出されたので、なんとなく家で食べるものだというポジションだったのかも。
母の八宝菜はいまにして思うと薄味だったかも。
ちょっとした時間差で餃子がやってきました。
↑これで780円(税込み)
餃子なしで780円でも都心なら充分安いと思う。
ここは20代のころのボクでも納得しただろうなと思う56歳のボク。