母のようなみじめな親にはならない。
そう子どもの頃からずっと思っていました。
母の何がみじめに私には映ったのか・・・・
それはその当時の母の生き方だったと思います。
ワンマンな父に何も言えず、ただ従うばかり、
でも、胸いっぱいに不満がたまっており、
その怒りややるせなさをすべて子どもに
当たり散らす。
時にはヒステリーをお越し
大声でわめきチラシ
物に当たり散らす。
小学生の頃はただ恐怖でした。
母の気が違ってしまったようで、怖かったです。
そして、いつもぐちぐち私達に父親の文句をいうのに
父親の前ではないも言えない母
私と兄の前での態度と父親の前での母の態度のギャップを
とても不思議に感じていました。
そして中学・高校になるにつて、
ああ、
この人はただの無力な人なんだ。。。
自活ができないから、出て行くことも出来ず
自分に自信がないから、
決断もできない。
そして、その力のなさを私達にあたることで見ないようにしているのね
と思うようになっていました。
そんな母をみじめだな~とさえ思うようになり
私はこんな親にも女にもならない!!
そう強く心に誓うようになっていました。
(今おもえば、母も母でとっても苦しかったと心理学を勉強するようになり、
あの当時の母を理解できるようになりましたが、
無知なあの頃の私はただ母を嫌うばかりでした。)
こんな親にはならない!!
そのおもいからでしょうね。
私達夫婦関係がなんだかおかしいことを子供にも正直に伝えようと決心したのは。
息子の為を思えば、
一緒に出掛けたり、仲良くして見せたりすることが安心させることとなるのでしょうが
それが偽りだったとばれた時には
きっと、彼を混乱させることになると考えました。
それに、私は私の人生あってこその私。私はを大事にしたい。
そして、前回にも書きましたが、
子どもの為といいつつ、我慢することは子どもを傷つけると思うのです。
親が楽しそうなら
きっと子供も楽しい!!私が笑っていれば、子どもも笑ってくれる。
そう信じて彼が3歳になりたての頃から少しづつですが
私の思いを伝えるようにしだしました。
3人一緒に出掛けないことについては
「○○ちゃん、お父さんとお母さんが一緒じゃないのはさみしいかな?」
「さみしい思いをさせてごめんね。お母さんね、お父さんと一緒にいると嫌なんだ。だから一緒にい
られないの。。。ごめんね」
と言うように伝えました。
あまりにもストレートかもしれませんが、
正直に伝えました。
まだ小さいからでしょうね、
この当時は何も疑問も持たずスンナリとこのことを受け入れて行きました。
ただ、必ず毎回言ったことがあります。
それは
「お父さんとお母さんはいつもは一緒にいられないけれど、
○○ちゃんのことはお父さんとお母さんは全力で守るからね。何か困った時には一緒にたすける
からね。」
「○○ちゃんはお母さんにもお父さんにも大切な子どもだからね」
ということです。
これは紛れもない事実ですもの、伝えなければです。
子どもって
親に何かあると、
自分が悪いって思ってしまうんですよね。
そんな思いを絶対にさせたくなかったので、
これは毎回必ず言って聞かせました。
そして、もう少し彼が大きくなった時にこんなことをいうようになりました。
続く・・・・・