辛い選択~安楽死~ | あなたが幸せで在りますように

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今から18年と2ヶ月前

ペットショップで目が合った真っ白い小さな犬。

真っ黒な瞳にふわふわの真っ白な毛

抱っこさせてもらうと人懐っこくて物凄くかわいくて

自分へのご褒美として即購入した。

ウエスティの彼を「ラッキー」と名づけ家族みんなでかわいがった。


ラッキーはやんちゃで愛嬌があり家族みんなによくなつき

家族が帰って来るたびに玄関で迎えてくれた。

その姿は本当にかわいかった。

いつでも私達と一緒だったラッキー・・・・・。

何頭もの犬と暮してきた我が家だけれど、

一匹として長生きする犬はいなかった。

それだけに後悔も多く、この次飼う犬は必ず長生きをさせてみせる

とその当時の私は心に固く誓い

ラッキーにも毎日

「長生きしろよ」

と言い続けた。。。。。。


あれから18年。

元気だったラッキーもいつしか耳が聞こえなくなり、

目も見えなくなり、人間と同じように歳をとり始め

昨年の暮れにはボケも更に酷くなり

完全に寝たきりになってしまった。


寝たきりに加えボケのせいで夜鳴きも酷く

どこかが痛いのかひぃ~ん、ひぃ~~ん

と鳴くことも度々だった。

その泣き声と苦しそうなラッキーの姿に介護をしていた父も母も心を痛め

ふと

「安楽死」

という言葉まで頭をよぎっていたそうだ。

それでも自分で生きる力があるうちは

介護を頑張ると思ってくれていたようだった。


けれど、今日、その心は折れてしまった。

少しでも苦しみを除いてあげたいと思った両親は獣医に今よりも強い薬をもらいに

行ったのだが、予想に反して医師が言ったのは


「もうラッキーをラクにさせてあげてもいいでしょう」


と言うことだった。

つまり安楽死だ。


少し前まではまだそう言う段階ではないと医師はそれを頑なに承諾しなかったのだが

もうこれ以上苦しめるのはかわいそうと医師も判断したらしい。

父も母もとても悩んだらしいが

「ラッキーをラクにしてあげたい」

という思いからそれを承諾した。

そしてラッキーはお空に旅立って行った。


その連絡を受け実家に行ってみると

静かに横たわるラッキーがいた。

その顔はとても穏やかで安心しているように見えた。

ラッキーの全身を撫でながら色々なことを思い返した。

初めて会った時のこと、悲しい時に慰めてくれたこと、

散歩に行く時のはしゃいだ姿。

元気に走り回るすがた。。。。

それはもう二度と見られない。

「死」はそういうもの。


「眠りながら静かに逝ったよ」

と父が言った。そして

「後味が悪いな・・・・」「恨まれても仕方が無いな」

と目を赤くさせながらポツリと言った。

母も泣いていた。

私も目からも自然とぽたぽたと涙が落ちていた。

ラッキーを一番かわいがっていたのは父だ。

ラッキーの気持ちを一番分っていたのも父だ。

その父がラッキーの最後を決めたのだから

ラッキーが父を恨む筈は決してないと私には分かる。

けれど、安楽死を選択した者には

それなりの罪悪感が必ず残り、

「しょうがなかったんだよな・・・」

「これでよかったんだよな・・・・」

とつぶやきながら自分の罪悪感と戦って行く。

父も母もこれからその気持ちと戦っていくことになるのだろう。

私もそうだったから父の気持ちは痛いほどよく分る。。。。。。。。

私は息子の死を自らの手で決めた親だから・・・。


息子の安らかな死を選択したのは私。

頑張れといい続けた私に応えていた息子。

でもふぅ~ふぅ~と息子は苦しそうで私もそれを見続けるが苦しくなっていた。

回復が難しいのなら、もう手のうちようがないのなら

突然心臓が止まり苦しんで死ぬのなら

せめて楽に逝かせてあげたいと願い

そして。。。。心肺機能が弱くなることを承知でモルヒネの投薬をお願いした。

今すぐに苦しみから解放してあげたかった。。。。

投薬を開始すると数分後から息子の呼吸は穏やかになり

呼吸数も少なくなって行った。

このまま段々心肺機能が弱くなり血圧も下がり夕方頃には息を引き取るでしょう。。。

と言われた。

安楽死とは違うけれど結果的にはそういうことを私は選択したのだ。

息子の父親にも相談せず、自分1人で決めた。

何故ならこの子のことは私が一番よく分っているし、

この子の気持ちは私と一緒という自信があったから・・・・。

そして息子は眠りながら天国に還って行った。

とっても安らかな死に顔だった。


その当時ははこれでよかったんだ。。。。

と自分に言い聞かせていたけれど、

でも、まだ闘病させていたら回復したのかもしれない

まだ息子は生きたがっていたのかもしれない

もしかしたら息子はもう少し長く生きていたのかもしれない。。。。

息子を楽にしてあげたいと思う反面

それはただ単に自分が楽になりたかっただけじゃないのか

と思う度に気が狂いそうになった。

それは未だに自問自答している苦しみだ。

でも多分答えのないことなんだと思う。


ただ息子の死を早めたのは私。それは紛れもない事実だ。

だからこの罪は一生背負って行く覚悟だ。


そういう経験があるからこそ、

私は父と母が決断したことをどうこう言うつもりはない。

安楽死がいいことか悪いことかなんて

論じるつもりもない。

また苦境に立たされた経験のない人からもどうこう言われたくない。

何故ならこれはその時その場の当事者にしか判断しえない問題だからだ。

ラッキーに関しては一番かわいがった父でしか判断しようがないことだもの。


ラッキー、18年間ありがとう。

またいつかどこかで会おうね。

ばいばい。