trycomp2のブログ -893ページ目

「拉致を考慮」の姿勢変わらず=米国務副長官が浅野副大臣に

 【パリ15日時事】経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会に出席のため当地を訪問中の浅野勝人外務副大臣は15日、ネグロポンテ米国務副長官と会談し、北朝鮮のテロ支援国家指定解除問題に関する米政府の対応をただした。これに対しネグロポンテ副長官は、「拉致問題を考慮してこの問題を判断するというブッシュ政権の姿勢に全くぶれはない」と答えた。 

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 「拉致を考慮」の姿勢変わらず=米国務副長官が浅野副大臣に

北朝鮮資金「要求は自由な送金」=「作業進行中」と外務省スポークスマン

 【ソウル15日時事】朝鮮中央通信によると、北朝鮮外務省スポークスマンは15日、マカオの金融機関バンコ・デルタ・アジア(BDA)で凍結されていた北朝鮮資金に関連して「以前のように資金を自由に送金できるようにせよというのが、われわれが当初から要求した金融制裁解除だ」と述べた。朝鮮通信(東京)が伝えた。
 事実上の金融制裁が科される2005年9月以前の状態に戻し、国際金融システムへの完全復帰を果たすことが問題解決の前提との立場を示唆した可能性もある。同スポークスマンは、金融制裁が解除される条件の下で、核放棄に向けた「初期段階措置」の履行に入ることで約束が成立しているとも主張した。
 一方で「第3国にあるわれわれの銀行口座に送金するための作業が現在進行している」と説明。その上で、送金が実現すれば、6カ国協議の合意に基づき、核施設の稼働停止や国際原子力機関(IAEA)代表団招請など初期段階措置を取るとの意思を改めて強調した。

時事ドットコム:北朝鮮資金「要求は自由な送金」=「作業進行中」と外務省スポークスマン

“純粋な心を持った人は '親北朝鮮'になれない”

'しおかぜ'荒木氏 "拉致問題 日本全体に学習効果"
荒木和博氏(特定失踪者問題調査会代表

筆者は大学2年生の時の1977年に韓国語を学び始めた。そして以後30年、朝鮮半島に関心を持ち続けてきた。

1996年に筆者が所属していた日本の民間研究機関、現代コリア研究所で発行する月刊‘現代コリア’に掲載された論文により、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されたという事実が明かされ、この問題に本格的に関心を持つようになった。これがきっかけで、拉致被害者救出運動にも関与するようになった。

実際のところ、当時は拉致被害者の救出運動は、日本国内でほとんど存在していなかった。筆者も数件の拉致事件について知ってはいたが、何の行動もしなかったというのが正直なところである。日本国内では、拉致被害者問題の解決のために官民が大々的に乗り出して、10年も経っていない。

ただ確かなことは、この頃既に核問題やKAL機爆破事件などで、北朝鮮に対する日本国民の反北朝鮮感情がかなり高まっていたということだ。韓国の立場から見れば、ある日急に日本が対北強硬策に旋回したと思うかも知れないが、その間累積した反感が爆発したと思うのが、より正確だろう。

“日本、横田めぐみ拉致事件をきっかけに本格的に乗り出す”

日本政府をはじめとし、民間団体が拉致被害者問題に本格的に乗り出すようになった口火は、中学校1年生の少女が北朝鮮の工作員によって拉致された衝撃的な事件、すなわち横田めぐみさん拉致事件のためだった。その消息は石高健次朝日放送プロデューサーが1996年10月号の‘現代コリア’に書いた論文がきっかけになって、明かされるようになった。

そして翌年の1997年2月に、衆議院で西村眞悟(当時新進党所属)議員がめぐみさんの拉致事件について日本総理に質問をした。当時、橋本龍太郎総理は、“(拉致の)可能性も含めて調査している”と答え、日本国民に大きな衝撃を与えた。

その年の3月25日に、‘北朝鮮による拉致被害者家族連絡会’が結成された。その時まで、家族間の連絡はほとんどなかった。筆者も横田めぐみさんの両親の他には誰も知らなかった。ご家族に連絡をして、家族会の結成に努力した人は、兵本逹吉・当時共産党参議院秘書、前述の石高氏、阿部雅美・当時産経新聞社会部長だった。

朝日放送は左派性向の朝日新聞と関連のある会社だ。産経は右派新聞だから、共産党、朝日、産経に所属した人々が力を合わせて家族会結成のために努力したことになる。これは日本でも珍しいことだが、3人とも前から拉致問題を扱っており、問題の深刻性をよく分かっていたため、自然に協力するようになったのだ。

家族会結成とともに、ご家族を助けて、拉致被害者を救出するための民間団体が結成され始めた。まず、横田めぐみさんが拉致された新潟県で、次は大阪を中心にした関西地方で、その次には東京で作られ始めた。

全て自発的な運動で、こうした団体が後に集まって、今の‘北朝鮮によって拉致された日本人を救うための全国協議会’(略称救う会)を結成することになった。筆者は東京の救う会で活動したが、東京の救う会は全国的な運動の事務局の役目をした。そして2000年に正式に、‘全国協議会事務局’が出帆した時、初代事務局長として働くことになった。

“日本, 拉致被害者救出運動、左右網羅して積極的に参加”

拉致被害者救出運動が始まった時、中心になった人の中には、かつて共産党にいたり、親北朝鮮活動をしてきた方々も少なくなかった。今、全国協議会会長である佐藤勝巳氏と、初めて新潟県で救出運動を始めた小島晴則氏も昔は共産党員として1950年代~1960年代の在日朝鮮人の帰国運動を支援した方々だ。在日朝鮮人の帰国運動に対する彼らの反省が、救出運動の原動力になった。

筆者は保守ではなく、民主社会主義者だ。私たちは保守派より強力に共産主義に反対する立場だったから、北朝鮮の金日成、金正日体制に対しては最初から反対していた。

しかし、かつて親北朝鮮的だった方々が、後に救出運動や北朝鮮の民主化のための運動に参加するようになるには、精神的な葛藤もあったはずであり、その葛藤を乗り越えたことについては高く評価したい。

客観的に見る時、一時期親北朝鮮的性向を持っていたと言っても、その人が純粋な心を持っていたら、親北朝鮮的性向を持ち続けることはできない。世界でも稀な北朝鮮の独裁体制を、じっと見守るだけで、矛盾が当然見えるようになるからだ。

時間が経っても相変わらず親北朝鮮的な人々は、その独裁や人権弾圧自体を支持する人、あるいは私的利害関係のために支持する人々が大部分であると思う。

“日本の国民、拉致被害者救出運動を契機に、北の独裁体制を悟る”

救出運動は政府が救出に乗り出すことを促す署名運動から始まった。当時の署名用紙には、“北朝鮮によって拉致された日本人を救出しよう”と書かれていた。 1999年に初めて開かれた‘国民大集会’で、日本の拉致被害者の家族は、韓国人の拉致被害者がもっと多いということを知った。私たちは韓国人の拉致被害者も救出しなければならないと思うようになり、署名簿の題目を修正して“北朝鮮によって拉致されたすべての被害者を救出しよう”と書くようになった。

韓国人の拉致に関する記述も追加した.。この時、拉致被害者の救出運動に参加している人々、そして多くの一般の国民たちは、拉致問題を通じて、北朝鮮の金日成、金正日独裁体制に、根本的な問題があることを知るようになった。

拉致、政治犯収容所、飢餓、脱北者、核問題など、このすべての問題は60年以上続いてきた、北朝鮮の独裁体制に起因する。北朝鮮の独裁体制が変われば、すべての問題は解決することができる。

今は与党・野党の国会議員の中でも、“金正日体制を崩壊させてこそ、すべての問題が解決される”と言う人々が少なくないが、これは10年前には考えることもできなかったことだ。そのくらい、拉致問題は日本全体に“学習効果”があった。

冷戦時代には日本人が韓国に行けば“日本人は安保意識が不足している”という言葉をよく聞いたが、今は正反対になった。

北朝鮮の人権問題は拉致被害者、在日朝鮮人帰国者とその家族たちの処遇にも直結している。そのため、韓国の人々がいくら拉致被害者、国軍捕虜、そして北朝鮮の人権問題に無関心だとしても、日本は決して北朝鮮の独裁体制を見逃さないだろう。

もちろん、日本は民主主義の国だから多くの意見があり得るが、日本人の同胞を拉致し、何の罪もない多くの自国の子供たちを飢え死にさせ、凍えて死なせた北朝鮮の体制とは、決して妥協しないだろう。筆者が拉致問題や北朝鮮の人権問題に関与するようになったことは偶然ではあるが、ある面から見れば、必然なのかも知れない。

* 荒木和博(拓殖大学海外事情研究所教授/特定失踪者問題調査会代表/対北放送‘しおかぜ’代表)

Daily NK - “純粋な心を持った人は '親北朝鮮'になれない”