脱北者の日本 入国、半年で9人…国内定住150人に迫る
北朝鮮から日本への入国を求め、昨年末以降、二十数人の脱北者が中国・瀋陽の日本総領事館で保護され、うち9人が今年に入って実際に入国していることが政府関係者の話でわかった。
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いずれも在日朝鮮人の日本人妻とその家族で、残る十数人も夏までに入国する見通し。これを含めると、日本に定住する脱北者は約150人に達する。
近年、年間10人程度のペースで推移した脱北者の入国が急増した背景には、高齢化した日本人妻が帰国を強く望んでいることや、現地の生活環境の悪化などがあるとみられ、受け入れ態勢の整備が急務となりそうだ。
複数の政府関係者によると、日本人妻とその家族ら二十数人が、瀋陽の日本総領事館に相次ぎ駆け込んだのは、昨年末から今年初めにかけて。うち9人は今年2月以降、順次、外務省から渡航証明書の発給を受け、中国政府の了承を得たうえで日本に入国した。
北朝鮮帰還事業では、9万人以上の在日朝鮮人とその家族が北朝鮮に渡り、この中に、在日朝鮮人と結婚した日本人妻が約1800人含まれていた。
2月10日、孫娘と2人で成田空港に到着した70歳代後半の日本人妻は、かつて在日韓国人の夫と2人の子供とともに北朝鮮に渡った。東北部の山村で暮らし、織機工場で働いていたが、機械に巻き込まれ、左腕の3分の2を切断する事故に遭った。夫と死別、「日本で死にたい」と孫娘に訴えた。孫娘に手を引かれて中朝国境の豆満江を渡り、中国側に逃れたという。
80歳近くの高齢の日本人妻はまだ100人以上いるとみられ、今後も帰国が増えると予想される。政府は、昨年6月施行の北朝鮮人権法に脱北者を支援する「努力規定」が設けられたことを受け、2月には法務、厚生労働、国土交通など6省庁に担当窓口を設置、定住に向けた相談を始めた。
(2007年6月3日9時58分 読売新聞)
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北は核放棄へ措置を、元米次席代表「BDA問題は解決」
【ワシントン=坂元隆】北朝鮮の核問題をめぐる6か国協議で米次席代表を務め、4月末に国家安全保障会議(NSC)日本・朝鮮部長を辞任したビクター・チャ氏は5月31日、本紙との会見に応じ、マカオの銀行バンコ・デルタ・アジア(BDA)の北朝鮮関連資金返還問題の解決を待たずに、北朝鮮は核放棄に向けた措置の実施に踏み出すべきだと訴えた。
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チャ氏は、北朝鮮が核放棄に向けた初期段階措置を実施しない口実としているBDA問題について、4月10日に発表した北朝鮮関連資金の全額凍結解除措置によって、「BDA問題は解決したと思っている」と述べ、それ以上の解決策を米国が現時点で提示するのは難しいとの見方を示した。
チャ氏によると、6か国協議北朝鮮代表の金桂寛(キム・ケグァン)・外務次官と会談した際、財務省の措置を伝え、金次官は「きわめて前向きの反応」を示したものの、北朝鮮はその後、資金の送金や米金融機関の仲介など、次々に困難な注文をつけ、問題解決を遅らせたという。
チャ氏は、初期段階措置の実施期限から約1か月半経過していることを指摘し、「これ以上の遅れは許されないと皆思っている」と述べ、北朝鮮が合意を実施する政治的意思があることを示す「何らかのしるしを見せるべきだ」と主張。具体的には、初期段階措置に含まれる寧辺・核施設の停止・封印を行うための準備段階である国際原子力機関(IAEA)要員の寧辺への招請などを前倒しで実施することなどを求めた。
(2007年6月3日11時45分 読売新聞)
北は核放棄へ措置を、元米次席代表「BDA問題は解決」 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
保護の4人「自由求めて来た」 小船、日本海9百キロ余
屋根もなく、幅が2メートルもない。5日余り日本海を渡って北朝鮮東北部から900キロ余を逃げてきたとみられる家族4人が乗っていたのは、「船」というよりは「小舟」だった。「よくもあんな粗末な船で、日本海を」。港へ誘導するヘリコプターの音に目を覚ました住民らは、半信半疑。どうやって海を渡って来たのか。どこで暮らしたいのか。本格的な確認はこれからだ。
◇
「不審な船と人がいる」。青森県の深浦港付近の釣り人から110番通報があったのは、2日午前4時10分ごろだ。
「武装しているかもしれない。近づくな」
県警鰺ケ沢署から一報を受けた深浦漁協は、組合員に連絡した。
すぐに県警や海上保安庁のヘリが出動。上空からスピーカーを使い、船を港に誘導した。
5時半ごろ、港の沖合約2キロで漁をしていた漁業の島元武雄さん(71)は、黒ずんだ船の上に人影が動くのを見た。
ヘリの音で港周辺の住民も目を覚まし、港に集まってきた。
中川仁三郎さん(80)は、脱北者の家族がそれぞれポケットから名刺大の紙を取り出し、警察官に見せるのを見た。北朝鮮の公民証のようだった。まもなく別の警察官が携帯電話で連絡。「脱北者だ。確保した」
船は木製で、黒っぽく、長さ7.3メートル、幅1.8メートル。屋根もない。
入港を目撃した漁師(59)には油の入ったプラスチックのタンクと小さなエンジンが見えた。「お粗末な船だった。よくあれで来たもんだ」。鉄工所の男性(35)には、昔の小型農業機械のエンジンのように見えた。
漁協などによると、船にはソーセージなど食料の入った一抱えほどの麻袋2個と3~4メートルの木製オール。衣類も。船尾に海水が入ってくるようで、男性がしきりに水をかき出していたという。
こんな小舟で長距離の航海は難しそうだとして、「沖合に母船がいるのでは」との見方が一時、出た。県警や海保がヘリや船を出したが、それらしい船はなかった。
船が接岸した際、船内の女性がフラフラと座り込んだ。「船に長いこと乗っていると足腰が立たなくなる」。ある漁師は思いやった。
4人は岸壁にかけられたはしごを登って魚の荷揚げ場前に上がった。
漁協の女性職員がコップの水とペットボトルのお茶、ドーナツを差し出すと、4人はややためらった後、コップに手を伸ばした。船ではパンや飲み物を口にしていた。
「アボジ(父さん)」
「オモニ(母さん)」
兄弟とみられる若い2人が言うのが聞こえた。近くでは、父親と見られる男性がしゃがみ込んでたばこを吸っていた。
「北朝鮮から自由を求めて、1週間ぐらいかかってやって来た」。通訳が捜査員に伝えていた。
県警は3日も、4人から今後どこで暮らしたいかなどを聴く予定だ。
◇
なぜ、青森県に無事到着したのか。
4人は「27日夜に清津付近から出航した」と県警に供述している。清津から深浦港までは直線距離で約900キロ。27日に出航したならば、屋根もない小さい木造船で、5日余りかけて、日本海を渡ってきたことになる。
船は小型エンジン2基を載せ、うち1基でシャフトを通じて小さなスクリューを回す簡単な構造。目撃男性(35)も「よくこんなので」と驚くほどで、海が荒れれば転覆して、4人とも命を落とす危険性があった。
幸いにも、ここ数日の日本海は波が穏やかだった。日本海は冬は北西季節風、春は発達した低気圧でしけになることがあるが、今の時期から夏は比較的穏やかで、気温も春先より高い。こうした気象条件にも恵まれ、4人は比較的元気なままだったとみられる。
一方、4人は港で釣り人に「新潟、どこ」と尋ねて、南に再出航しようとしたとされることから、新潟を目指しながら、日本海を北に流れる対馬海流に流されてきた可能性がある。海上保安庁によると、ここ数日、同海流は時速1~3キロほどで対馬海峡から新潟沖を通って青森・津軽海峡方面に流れていた。
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