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拉致の市川さん実家スーパー閉店へ/鹿屋・輝北

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90代の両親、体力限界

 北朝鮮による拉致被害者市川修一さんの父平さん(92)と母トミさん(90)が営んできた鹿屋市輝北町市成のスーパーが近く店じまいする。修一さんが拉致された29年前に開店。最後まで店に出たトミさんは「あとは修一が帰ってくれれば」と、今後は自宅で息子の帰りを待つ。
 平さんは修一さんが生まれた1954(昭和29)年、今の店舗の横に衣料品などを販売する「市川商店」を開いた。78年に精肉や鮮魚なども扱う「スーパー市川」として新装オープンし、長男健一さん(62)と一緒に続けてきた。
 スーパー開店から30年近くがたち、90歳を超えた夫婦。数年前、平さんは足を悪くして店に立てなくなり、トミさんも「(隣にある)自宅と往復するだけでも大変になった」。健一さんは拉致家族会の活動で留守にすることが多くなり、国道の拡張工事を機に店を閉めることを決心した。
 スーパーがオープンした時は、鹿児島市の電電公社(現NTT)に勤めていた修一さんも休みを取り、レジ係として3日間店を手伝ったという。その12日後、修一さんは増元るみ子さんと吹上浜にドライブに出かけ、北朝鮮に拉致された。
 地域は高齢化が進み、商品も売れなくなった。トミさんは「精いっぱいやったから悔いはない」と話す。ただ、「修一が元気でいてくれたら、いつか会えると思って頑張ってきたが、いっこうに帰ってくる気配がない」と顔を曇らせた。健一さんは「一刻も早く修一に会わせてあげたい」と話した。

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ヒル米次官補、きょう訪朝 寧辺の核施設を初視察へ

 北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議の米首席代表、ヒル国務次官補は3日、無能力化作業が進む寧辺の核施設を初めて自ら視察するため、北朝鮮を訪問する。ヒル氏の訪朝は6月下旬以来、2度目。

 5日までの滞在中、ヒル氏は同協議の北朝鮮首席代表、金桂寛外務次官とも会談。6日から3日間の予定で開催を調整中の6カ国協議首席代表会合に向け、無能力化の今後の進め方や、施設解体や核物質放棄などを伴う廃棄段階への移行についても話し合う考えだ。

 また、無能力化と並んで年内に完了予定の「すべての核計画申告」の第1次案は、6カ国協議の議長国・中国に近く正式に提出される見通しだが、ヒル氏の滞在中に北朝鮮側と内容についての協議が行われる可能性がある。申告は6カ国協議参加国とのやりとりを経て年末までに完全なものに仕上げられる見通し。

 ソウル滞在中のヒル氏は3日午前に韓国の烏山空軍基地を米軍機で出発し、平壌入り。寧辺では無能力化作業を進める米国のチームと北朝鮮の技術者らのほか、核施設の稼働停止・封印を7月から監視している国際原子力機関(IAEA)要員にも会う予定。(共同)

ヒル米次官補、きょう訪朝 寧辺の核施設を初視察へ - MSN産経ニュース

「必ず生きて再会」河内出身の特定失踪者、小林さん 弟がパネル展前に訴え

 北朝鮮による拉致の可能性が捨て切れない「特定失踪(しっそう)者」のパネル展が3日、県庁で始まる。茨城出身の特定失踪者のほか、横田めぐみさんら政府認定の拉致被害者も含め計49人のパネルを展示。パネル展を前に河内町出身の特定失踪者、小林栄さん=当時(23)=の弟、七郎さん(61)が産経新聞の取材に応じ「日本人として、命を冒涜(ぼうとく)する犯罪を忘れてほしくない」と訴えた。

(中村昌史)

 「拉致は日本の国家としての問題。決して風化させたくない。1日も早く解決することを願います」。七郎さんは出口の見えない現状に、怒りと危機感をにじませる。

 東京都千代田区の印刷会社で働いていた小林さんが失踪したのは、昭和41年8月21日。体調を崩して仕事を休み「医者に行く」と言い残して行方不明になった。部屋の家具や荷物は残され、布団も敷かれたままだった。

 小林さんは34年、生板村(現・河内町)の中学校を卒業して上京、就職した同社で7年間働いていた。裕福な生活ではないが、夜間高校に通い向学心も旺盛。スポーツタイプの自転車を乗り回し、ボクシングジムで体を鍛えるなど充実した日々を送っていた。

 七郎さんは「兄が失踪する理由がどうしても思い当たらない」と語る。捜索願を提出し、心当たりも探ったが、行方はようとして知れない。小さな村で「失踪者が出た」といえば、世間体はよくなかった。それから40年以上の月日が、家族に重くのしかかった。

 七郎さんは、小林さんが失踪者リストに加えられた後、「勤務先周辺に北朝鮮工作員が出入りしていたらしい」という話を聞く。似た状況で失踪した印刷技術者の存在も知った。北朝鮮が極秘裏に進める偽100ドル札の製作に、拉致された印刷工が絡んでいるという報道も耳に入った。

 「兄の技術がそのまま精巧な偽札につながるとは思えない。でも、優秀な技術者の知識と40年の月日があれば…。事実なら北朝鮮の最高機密。簡単には出してもらえない」と言葉を詰まらせる。

 「兄は正義感が強く一本気で、けんかっ早いところがあった。でも、人にかわいがられる優しさもあった」。夏に川で水遊びしたり、ベーゴマを作ったり。8人兄弟の四男だった小林さんは、五男の七郎さんを特にかわいがった。「卒業前、中学校の先生に『弟をよろしく頼む』と言い残したそうです」。思い出を語ると目から涙があふれ、言葉が続かない。

 失踪前、小林さんは同僚に「いつか弟と仕事をやるのが夢」と話していたという。「拉致の可能性がぬぐいきれない失踪者と認められたが、国が認定したわけではなく、北朝鮮も認めない。私たちも年をとり、心のもやもやだけが募ります」と語る七郎さん。しかし、「必ず生きて再会できると信じている」。

 パネル展は7日まで。

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