「必ず生きて再会」河内出身の特定失踪者、小林さん 弟がパネル展前に訴え
北朝鮮による拉致の可能性が捨て切れない「特定失踪(しっそう)者」のパネル展が3日、県庁で始まる。茨城出身の特定失踪者のほか、横田めぐみさんら政府認定の拉致被害者も含め計49人のパネルを展示。パネル展を前に河内町出身の特定失踪者、小林栄さん=当時(23)=の弟、七郎さん(61)が産経新聞の取材に応じ「日本人として、命を冒涜(ぼうとく)する犯罪を忘れてほしくない」と訴えた。
(中村昌史)
「拉致は日本の国家としての問題。決して風化させたくない。1日も早く解決することを願います」。七郎さんは出口の見えない現状に、怒りと危機感をにじませる。
東京都千代田区の印刷会社で働いていた小林さんが失踪したのは、昭和41年8月21日。体調を崩して仕事を休み「医者に行く」と言い残して行方不明になった。部屋の家具や荷物は残され、布団も敷かれたままだった。
小林さんは34年、生板村(現・河内町)の中学校を卒業して上京、就職した同社で7年間働いていた。裕福な生活ではないが、夜間高校に通い向学心も旺盛。スポーツタイプの自転車を乗り回し、ボクシングジムで体を鍛えるなど充実した日々を送っていた。
七郎さんは「兄が失踪する理由がどうしても思い当たらない」と語る。捜索願を提出し、心当たりも探ったが、行方はようとして知れない。小さな村で「失踪者が出た」といえば、世間体はよくなかった。それから40年以上の月日が、家族に重くのしかかった。
七郎さんは、小林さんが失踪者リストに加えられた後、「勤務先周辺に北朝鮮工作員が出入りしていたらしい」という話を聞く。似た状況で失踪した印刷技術者の存在も知った。北朝鮮が極秘裏に進める偽100ドル札の製作に、拉致された印刷工が絡んでいるという報道も耳に入った。
「兄の技術がそのまま精巧な偽札につながるとは思えない。でも、優秀な技術者の知識と40年の月日があれば…。事実なら北朝鮮の最高機密。簡単には出してもらえない」と言葉を詰まらせる。
「兄は正義感が強く一本気で、けんかっ早いところがあった。でも、人にかわいがられる優しさもあった」。夏に川で水遊びしたり、ベーゴマを作ったり。8人兄弟の四男だった小林さんは、五男の七郎さんを特にかわいがった。「卒業前、中学校の先生に『弟をよろしく頼む』と言い残したそうです」。思い出を語ると目から涙があふれ、言葉が続かない。
失踪前、小林さんは同僚に「いつか弟と仕事をやるのが夢」と話していたという。「拉致の可能性がぬぐいきれない失踪者と認められたが、国が認定したわけではなく、北朝鮮も認めない。私たちも年をとり、心のもやもやだけが募ります」と語る七郎さん。しかし、「必ず生きて再会できると信じている」。
パネル展は7日まで。
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