論理と本質 | 椿ブログ

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藤原 正彦
国家の品格

今日から「国家の品格」を読み始めたのですが、面白いです。そっこー読み終わりそうです。


本の前半では、論理の穴論が続く。


ロジカルシンキングだとかなにかとロジカルにこだわる考え方に対して、痛快な感じ。


よく、「決断は直感だ」というのを聞きますが、一見適当そうですが、論理的に考えたとしても、どこからその論理が開始するかで、結局直感と変わらない。


本にある例えを使うと、一週間何も食べてない人がパンを盗んだとして、盗みは犯罪だ、という論理開始点と、餓死するより食べる事が先決、という論理開始点では、論理的であっても結論は異なる。


論理的である、というのは説明するための手段やプロセスであって、ツール。それを使って何から何を導き出すのかが本質。


要はキメから始まり、キメで終わるわけで、そのキメが本質をとらえているかが一番のキー


かれっしんぐとの喧嘩の中で、いくら論理的に説明しても、問答無用とされることが多くて、一番の原因は、論理の出発点が違うから。


でも、いくら論理的でもダメなものはダメときめていかないと、本質から反れて秩序が乱れるんだな。


と、本を読みながら思いました。