この「漫才病棟」は、タケシとキヨシとおぼしきコンビが、浅草をねじろに地方のドサ回りや、刑務所、精神病院などで漫才を繰り広げるのだが、一向に芽が出ない物語だ。
最後の光明、テレビディレクターに見出されて浮かび上がるチャンスも、フイになりそうで終わる。
ボクはこんな話が好きだ。
つげ義春の「ねじ式」とか、一連の温泉ものなどもそうだ。
主人公は、これ以上ないような社会のの底辺で、一体どうしてこの先暮らしてゆくんだろうという生活。
まるで、夢でうなされた時のようなもどかしさの世界。
もしかしてボクは、この実生活では「お試し」出来ないドロップアウトの世界に、憧れているのかもしれない。
「仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば」 西行法師 73歳辞世のうた。
大意は、私が死んだあと、もし心あるならば、桜のはなを手向けて欲しい。でしょうか?
「仏には」という出だしから見ると、自分だけではなく、仏、つまり死者を弔うのには、桜の花が似つかわしいと言っているともとれます。
秋川雅史さんは「千の風になって」で、
お墓に私はいません。風になって吹き渡っています。と歌いました。
ひと頃へそ曲がりの私は
「私のお墓の前で 大泣きして下さい そうでないと私は悔しくてなりません」と替え歌を作って一人で歌っていました。
大ヒットし絶賛された歌ですけれど、ほんとにお墓の前で「ここにはいません、悲しまないでください」とサバサバされても、いいんですかー?
ボク的には、おお泣きは期待しませんが、ちょっぴりは悲しんで欲しいような気もしますよね
大意は、私が死んだあと、もし心あるならば、桜のはなを手向けて欲しい。でしょうか?
「仏には」という出だしから見ると、自分だけではなく、仏、つまり死者を弔うのには、桜の花が似つかわしいと言っているともとれます。
秋川雅史さんは「千の風になって」で、
ひと頃へそ曲がりの私は
大ヒットし絶賛された歌ですけれど、ほんとにお墓の前で「ここにはいません、悲しまないでください」とサバサバされても、いいんですかー?
ボク的には、おお泣きは期待しませんが、ちょっぴりは悲しんで欲しいような気もしますよね
「君子必慎其独也」君子は独りを慎む。 「大学」
関東まで広範囲に「雪」の予報通り、宮城県地方も降ってきました。
今夜は妻が留守。こんな日はコンビに弁当を買ってきて、昔買って読まずにいた本でも読みましょうか?
みなさんも、誰か見ていても、いなくても、慎んでますか~?

