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仙台 晩翠通り レストラン New York

某日、明るい農村中年を目指すyamaちゃんとしては珍しく、街中のレストランでディナーを愉しみました。

ニューヨークで勇名を馳せたマスターが、今年5月故郷仙台に豊富な食材を求めて出店したそうです。

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マスターと厨房

やくみつるさんに似た、どこかで一度あったような気がする懐かしい風貌のマスターと、そのコピーのようないでたちで働くスタッフ。思わず、「学ぶ」と言う言葉は、「真似ぶ」から来た言葉だということを思い出しました。
そして美しい奥様。非常にGoodな雰囲気の店でした。

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逆輸入 「SU-SIー」

出ました!逆輸入「スーシー」。カリフォルニア巻きとトロの上にのったガーリックが印象的でした。
興奮していたので、メインディッシュ、山形牛の霜降りステーキの写真が載せられなかったのが残念です。撮れなかったのは、言い訳をさしてもらえば、同行のメタボのTさんが、霜降りじゃない肉をとか、ワケのわからないことを注文したことを、「OZビーフでいいから」と茶化したりしてたのも原因でした。

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白ワイン

整髪料とかシャンプーではありません。ワインは赤もこんなボトルで出てきました。田舎モノのボクは初めて見ましたが、こんなんですかね~?

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塩づくし
下段左から、さくら塩 黒塩 海藻塩 ペッパー塩 ゆず塩 上段右から、スモーク塩 レモン塩 バジル塩 七味ネギ塩 ワサビ塩

全て料理が終わって、マスターがリクエストを受けるとのことでした。すると、あろうことか我がTさん、わがままだから、「塩料理」を所望しました。
でもさすが、ニューヨーク仕込のマスター、がっちりと受け止めて矢のような球を投げ返してきました。

恐れ入りました。700円からのランチもやっているそうです。皆さんも一度訪れて見てくださいね~グッド!


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ナナカマド(0815)

庭のナナカマドがところどころ色づいてきました。多分、暑さ焼けではなく、紅葉の始まり。

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秋になると、真っ赤な実をつけ、燃えるように紅葉、それでいて野生のたたずまいが喜ばれ、平地でも植えられるようになってきた。高地の樹木なのだが、低地でも順応して良く育つ。

ナナカマドの名の由来は、燃えさかるカマドのイメージかと思ったら、七度カマドにくべても燃えない材質からきたとか。

今年は、庭や街路ではなく、山に行って、あの燃えるナナカマドの紅葉を見てみませんかグッド!

毎年、この時期になると、新聞やテレビは、あの戦争の悲惨さを、こぞって報道する。

無類のへそ曲がりだから、その日を境に、戦争を口にしなくなるマスコミの軽さはずーっと腹立たしく思っていた。

だがこの頃は、八月十五日が無かったら、この軽薄なマスコミは何も伝えなくなるだろう。これは戦争の悲惨さを、いつまでも語り継ぐのにはいいのかもしれないと思うようになってきた。

最近、年齢は40才位だろうか?パイロットの方と話す機会があった。

話題が、二十年位前に、ヘリコプターのパイロットが墜落した時、「最後の零戦パイロット死す」と新聞に載った話になった。すると、彼も間接的に知っている人のようで、話がはずんだ。

彼はある時、引退した先輩パイロットに自宅に招かれた。何度か誘われていたらしいが、青年は、受け答えも礼儀も正しい好青年。好感がもてるから、招かれたのだろうと思って話しを聞いた。

その老パイロットは「自分は、紫電改という戦闘機、神風特攻隊の生き残り、出撃したのだが、恐くなって八丈島に不時着した」と語ったと言う。

神風特攻隊の生き残り、出撃前に終戦とでも言えば「すごいですねー」で済む話、老パイロットは、言わば自分の生き恥をなぜさらしたのだろうか?と想いを巡らした。

ボクは、どうしても次代を生きる若者に、そのことを語らずにはいられなかったんだろうと思った。沖縄戦、本土空襲、そして広島、長崎の原爆投下の時まで、人々を苦しめた戦争からもたらされた平和が、単純に「神風特攻隊」のような犠牲の上でもたらされたというように美化されることが許されなかったのだと思う。

戦争はもっとドロドロしたもの、特攻隊は南太平洋に散った美しい華でないことを伝えたかったのではないだろうか?

ボクは、特攻隊について、誰が何故あんな人の命を軽くみる、バカな戦法を考えたたのだろうかと腹立たしく思っていた。しかし事実は、誰と言うより打つ手が無くなり、追い込まれた複数の人たちが提案したものらしい。

爆撃機が敵艦に到達する前にどんどん打ち落とされる現実を前に、人が操縦し、爆弾をかかえた魚雷なり戦闘機が直接ぶつかっていった方が命中精度が高くなると、浅はかにも考えたらしい。

私たちはこの、冷静に考えれば誰でもわかるようなあやまちを犯す人間、そしてそれをいさめることが出来なくなる人間の弱さが、あの悲惨な結末をもたらしたことを、いつまでも語り継がなくてはならない。

きれいな戦争などどこにも無いのだから。