毎年、この時期になると、新聞やテレビは、あの戦争の悲惨さを、こぞって報道する。

無類のへそ曲がりだから、その日を境に、戦争を口にしなくなるマスコミの軽さはずーっと腹立たしく思っていた。

だがこの頃は、八月十五日が無かったら、この軽薄なマスコミは何も伝えなくなるだろう。これは戦争の悲惨さを、いつまでも語り継ぐのにはいいのかもしれないと思うようになってきた。

最近、年齢は40才位だろうか?パイロットの方と話す機会があった。

話題が、二十年位前に、ヘリコプターのパイロットが墜落した時、「最後の零戦パイロット死す」と新聞に載った話になった。すると、彼も間接的に知っている人のようで、話がはずんだ。

彼はある時、引退した先輩パイロットに自宅に招かれた。何度か誘われていたらしいが、青年は、受け答えも礼儀も正しい好青年。好感がもてるから、招かれたのだろうと思って話しを聞いた。

その老パイロットは「自分は、紫電改という戦闘機、神風特攻隊の生き残り、出撃したのだが、恐くなって八丈島に不時着した」と語ったと言う。

神風特攻隊の生き残り、出撃前に終戦とでも言えば「すごいですねー」で済む話、老パイロットは、言わば自分の生き恥をなぜさらしたのだろうか?と想いを巡らした。

ボクは、どうしても次代を生きる若者に、そのことを語らずにはいられなかったんだろうと思った。沖縄戦、本土空襲、そして広島、長崎の原爆投下の時まで、人々を苦しめた戦争からもたらされた平和が、単純に「神風特攻隊」のような犠牲の上でもたらされたというように美化されることが許されなかったのだと思う。

戦争はもっとドロドロしたもの、特攻隊は南太平洋に散った美しい華でないことを伝えたかったのではないだろうか?

ボクは、特攻隊について、誰が何故あんな人の命を軽くみる、バカな戦法を考えたたのだろうかと腹立たしく思っていた。しかし事実は、誰と言うより打つ手が無くなり、追い込まれた複数の人たちが提案したものらしい。

爆撃機が敵艦に到達する前にどんどん打ち落とされる現実を前に、人が操縦し、爆弾をかかえた魚雷なり戦闘機が直接ぶつかっていった方が命中精度が高くなると、浅はかにも考えたらしい。

私たちはこの、冷静に考えれば誰でもわかるようなあやまちを犯す人間、そしてそれをいさめることが出来なくなる人間の弱さが、あの悲惨な結末をもたらしたことを、いつまでも語り継がなくてはならない。

きれいな戦争などどこにも無いのだから。