ヨシノのいた時代【2月の巻(2)】 | トリュフ・ラボ-アクマで4コマ-

トリュフ・ラボ-アクマで4コマ-

イラスト描き、マンガ描きが趣味のトリュフのブログ。

 こんばんは

 このシリーズは、まだ2回めということもありますので、1回めと全く同じ文章で、どんな記事なのかを紹介します。

 

 ちなみに、1回めは→こちらです

 

 このブログは昭和20年の女子学生が主人公のマンガを自転車操業で描いては公開しております。

 しかし作業ペースが鈍足なのでマンガだけですと、どうしても更新頻度が保てません。

 そこで読み物のような記事も規則的に書いていきたいと思っています。

 

 何を書こうかなあ~とテーマに思い悩んでいましたが、このブログはすでに戦時下の市民生活や太平洋戦争の推移を解説することが多く、おそらくは、そういう記事が充実したブログだと思われているだろうと予想しました。

 個人的にも、今さら現在の時事ネタを記事にするのも場違いだなあと感じています。

 

 前置きが長くなりましたが「読み物コーナー」では素直にヨシノの生きていた時代のことを書こうと思います。

 ただし、ちょっとだけ決まりごとを設けました。

 

 ・扱う年代は昭和4年~昭和20年とします。

  なぜなら、ヨシノの誕生日は昭和4年10月だからです。

  ヨシノは「ヨシノとミコト編」では15歳(数え年で16歳)です。

  旧制高等女学校の4年生。現在では高校1年生にあたります。

 

 ・今回のブログ記事は2月の記事ですので、昭和4年~昭和20年のそれぞれの年の2月に起こったことを羅列していきます。

 そして、その中で僕が興味を持った項目について、多少コメントをさせていただくかもしれません。

 

それでは、「ヨシノのいた時代【2月の巻(2)】です。

 昭和7(1932)年2月 満州国独立宣言

 昭和8(1933)年2月 国際連盟のリットン調査団報告書、満州国不承認採択

 昭和11(1936)年2月 二・二六事件

 昭和17(1942)年2月 衣料品の総合切符制、味噌・醤油の通帳配給制

 昭和18(1943)年2月 日本軍がガダルカナル島から撤退開始

 昭和20(1945)年2月 アメリカ軍が硫黄島に上陸

 

 今回は「ガダルカナル島からの撤退」を話題にしようと思います。

 僕は太平洋戦争も含めて「戦史」には詳しくありません。

 ネットに挙げられている既知の情報以上のことは書けません。

 ですが、僕の中で「戦争の恐ろしさ」を考えるとき、「戦場で人と人が殺し合うこと」、「劣悪な環境で飢餓、病気、怪我など筆舌に尽くしがたい苦痛をもたらされること」の恐怖も無視することは出来ませんし、可能であれば皆さんにも思いを馳せて頂きたいことだと思っています。

 

 まずはガダルカナル島について

 

 大雑把な地図で申し訳ありません。

 地理的にはオーストラリア大陸の北東にあり、ソロモン諸島の一つです。

 

 広さは5336平方キロメートル。

 世界地図上ではとても小さい島に見えますが、東京都の2倍以上、僕の住んでいる千葉県が約5157平方キロメートルですので、それよりも広いってことになります。

 現在の千葉県の端っこまでバイクで行って来いと言われたら、もちろん出来ますよ。

 でも、同じような広さの土地が未開拓のジャングルで、詳しくない地図を渡されて徒歩で進みなさい!と言うことになれば、その大変さは想像できるのではないでしょうか?

 

 このガダルカナル島にある飛行場をめぐり、昭和17年8月~昭和18年2月にわたり島内ならびに周辺海域にて日本軍と連合国軍との戦闘が行われました。

 特に地上戦においては、日本軍は数質ともに圧倒的に勝る連合国軍に壊滅的な敗北をし、また劣悪な環境下において食料を含めた物資が極端に不足したことから飢餓と病気に苦しみ、戦死以上に多数の犠牲者を出すことになります。

 日本はガダルカナル島の飛行場を諦め昭和18年2月に島から撤退します。

 日本側の死者は2万人を超えました。

 (細部を記すと膨大になりますので、かいつまみました)

 

 

 「ヨシノとミコト編」ならではの視点を入れてみますと、 ガダルカナル島からの撤退を国は内地の国民に対してどのように伝えたか?ということにも興味があります。 

 "ヨシノたちが聞いて知ったこと"はどんなことだったのか?

 

 有名なのは大本営の発表です。

 そのまま引用しますと

 

 「ソロモン群島のガダルカナル島に作戦中の部隊は昨年8月以降引続き上陸せる優勢なる敵軍を同島の一角に圧迫し、激戦敢闘克く敵戦力を撃摧しつつありしが、その目的を達成せるにより、2月上旬同島を撤し、他に転進せしめられたり」

 

 「撤退」や「退却」と言わず「転進」と言っていることがよく指摘されます。

 個人的には"勝ったのか負けたのか明言を避けつつ、日本側は敢闘(これは事実だと思います)した"と言いたげに感じます。

 ただし"その目的を達成せるにより"は目標が何を指すのかによっては虚偽となりますね。

 目標が「飛行場の奪取」を指すのだとしたら達成できてませんので虚偽となります。

 

 なお、実際には大本営の発表だけが国民が得ることが出来た情報ではありません。

 新聞や出版物では、より現実に忠実にガダルカナル島の悲惨な状況が伝えられていたとのことです。

 

 この様な情報に触れ、ヨシノたちはどのように思ったのでしょう?

 日本の主要都市がB-29の空襲にさらされる(昭和19年下旬以降)の1年以上は前の出来事でした。

 

 

 

 

<お知らせ>

(1)BOOTHで通信販売をしています!

 扱っているのは、只今ブログで掲載誌ている「ヨシノとミコト」の第1部と第2部を収録した同人誌「墜ちたテンシと太陽の物語(1)」です。

 →トリュフ・ラボ オンラインショップはこちらです

 

(2)Webマンガを公開中です!

 BOOTHで取り扱っている「墜ちたテンシと太陽の物語(1)」も含めた過去作品をアメブロ系のサービス「マンガにしてみた」にて公開中です。

 こちらは無料で閲覧できます。

 もし、冊子として欲しい!ということになりましたら、ぜひBOOTHの通信販売をご利用下さいませ!

→こちらです

 

 

 
にほんブログ村 
ランキングに参加しています、ぜひクリックをお願いします!