夏休みを満喫してきます | トリュフ・ラボ-アクマで4コマ-

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イラスト描き、マンガ描きが趣味のトリュフのブログ。

 突然の私信ですが、明日から旅に出ます。

 函館に3泊ほど・・・ね!

 ネットが繋がる場所だったらブログの更新もするかもしれません。

 

 

 

 

 さて、夏休みです。

 昨日は横浜に行ってきました

 スクーターで(←スクーターで首都高湾岸線を走るのも目的だったり・・・)

 

 

 

 横浜の山下公園にはシンボルとも言える貨客船「氷川丸」が係留されています。

 この船は今は動きません。

 記念館的な存在になっていて内部を見学することが出来ます。

 

 氷川丸は今までも2回ほど見学しているのですが、今回は氷川丸と当時の艦船が辿った運命に思いを馳せ、ちょっと感慨のある見学となりました。

 

 まず氷川丸に行く前に、徒歩で15分ほど離れた場所にある「日本郵船歴史博物館」に行きました。

 

(日本郵船歴史博物館)

 

 博物館では日本の近代の海運業の歴史をテーマに展示しています。

 もちろん太平洋戦争時の苦難もうかがい知ることが出来ます。

 

 氷川丸は昭和5年に竣工された豪華貨客船です。

 しかし太平洋戦争時には海軍に徴用され病院船として使用されました。

 

 この時代の民間船は軍に徴用されたものが多いです。

 そして、ことごとく撃沈させられてしまいました。

 

 氷川丸の姉妹船(同型船)の平安丸と日枝丸は潜水艦母船として運用され撃沈されています。

 他には、甲板から上の構造物(ブリッジや客室)を撤去され空母にされてしまった客船もありました。

 こちらも撃沈されています。

 

 日本郵船が開戦前に所有していた船舶の数は2600隻強・・・

 終戦時には800隻程度になっていました。

 

 機械である船の感情を考えるなどという戯れ言はゲームの中だけにすべきかと思いますが(笑)、例えるならば歌姫を志して生まれた淑女が、気づいたら軍装を施され戦場に送られてしまっていた・・・みたいな無念を想像しました。

 

 氷川丸もそんな船の一隻なのですが、奇跡的に太平洋戦争を生き延びました。

 そして戦後は再び貨客船として活躍しました。

 

 氷川丸は(一時的にでも)太平洋戦争時に軍属だった船で現存している僅かな例です。

 (この他には僕の知る限りでは、南極観測船に改装された「宗谷」があります。現在はお台場の「船の科学館」に展示されています)

 

 

 現在の氷川丸は往時の美しい姿で係留されていますが、その一方ではおびただしい数の船舶が撃沈され、その乗組員も運命を共にしました。

 

 

 さて、話題は変わって、もう一度コミティアのお知らせをさせて頂きます。

 

コミティア117

日時:2016年8月21日(日) 11:00~16:00

場所:東京ビッグサイト 東5・6ホール

 

ブース:き26a「トリュフ・ラボ」

(歴史ジャンル)

 

 今回は新刊はありません。

 超短編「カナエとムジャ子(→こちら)」を収録したフリーペーパーを用意しています。

 

(フリーペーパーはこんな感じです)

 

 どうぞよろしくお願いします。

 

 

 
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