さる12月13日(土曜日)、コミティア仲間に忘年会に誘われました。
昼間っから時間もあるということで、トキワ荘のあった椎名町を散策しようということになりました。
参加したのはサークル「NEOスタヂヲ白楽」の森さん、モリモトさん、サークル「あやなす」のときしろめぐみさん、アメブロでお世話になってるぴさおさん、そして不肖トリュフでございます。
概ね同年代と思しきおっさん集団・・・(失礼!)
ところでトキワ荘とは・・・
東京都は豊島区、池袋から西武池袋線でひと駅の椎名町に、かつて存在したアパートです。
有名なのでご存じの方も多いと思いますが、手塚治虫氏を筆頭に藤子不二雄のお二人、石ノ森章太郎氏、赤塚不二夫氏などレジェンド級の漫画家が創作と青春の日々を送った場所なのです。
さて、散策と言っても実は、それほど見どころがあるわけじゃ~ないんだよなあ・・・。
まず向かったのは「トキワ荘通りお休み処」という施設。一階部分は漫画図書館とおみやげ屋さんっぽいお店、二階はミュージアムっぽい施設です。
町中の小さな商店と同等の規模しかないので非常にこじんまりしています。
入り口はこんな感じ
写真撮影OKとのことだったのでちょっとだけ紹介します。
これは二階のミュージアムの展示の一つ。鬼籍に入られた方も含めて漫画界の漫画界の巨匠がずらり。
皆さんトキワ荘に居を構えた方々です。
といっても、それぞれがトキワ荘に住んでいた期間は思いの外短かったようです。藤子不二雄の両氏は7年間、赤塚氏、石ノ森氏は5年間、手塚氏に至っては実は一年しか使用していなかったとか。
だから、トキワ荘が皆にイメージされるようなマンガ家の拠点だったのは、ほんの数年の間(1950年代後半)のことだったようです。
それでも、これだけのインパクトがあって、レジェンドになるんですね。
トキワ荘にやってきた当時の巨匠たちは、今の僕よりもずっと若い。もしかしたら成人していなかったかもしれない。
そんな彼らがマンガ仲間と昼夜の別なくマンガ漬けの日々を送ったと想像すると・・・その果てのないガッツと情熱に気が遠くなりそうです。
僕も若い時がありましたし、昼夜を問わずゲーム業界を目指して邁進(という名の遊戯)をしてましたから気持ちはわかります。
でも、今の僕は体力もないし先の見えない不安には勝てそうにもない。
僕にはプロ漫画家の知人、友人がいますが、彼らを見ていると創作に対する姿勢や考え方は僕と比べて「次元が違う」と感じます。
トキワ荘の巨匠たちはそのパイオニアですから、さらに凄い次元にいたということかもしれません。
写真を撮り忘れたのですが、当時のトキワ荘やマンガ界の雰囲気を伝える展示もありました。
当時は「ストーリー漫画」が台頭してきた、まるでルネッサンスみたいな状態だったようで、手塚氏が回顧漫画の中で石ノ森氏などを「新進気鋭の才能」などと言っている様子は、なんだか身内贔屓をしているみたいで微笑ましい。
また、別の展示ではSF漫画で戦争と人間について考察していて、当時の作家さんたちも現実社会における創作物の効能みたいなのを意識していたのかな?と思うと心強さを感じました(でも、どことなく「大二病」っぽい作風だったりして、これもまた微笑ましい(^^;))。
こちらは、同じく2階のミュージアムコーナーの展示の一部です。寺田ヒロオ氏の部屋を再現したものだそうです。
これが四畳半か!!
ちなみにトキワ荘の間取りは住民の部屋はすべて四畳半、共同のトイレと炊事場があり、風呂はなかったようです。
今の学生さんだって、ここまで質素な下宿はあまりないと思いますが、マンガへの情熱を満たせるのなら何でも良かったのかな?なんて想像していました。
ところで、左下の方に写っている食べ終わった食器がいかにも不健康そう(笑)。解説によれば「ちょっとした宴会」をやったあとを再現したとのことですが・・・。
今も昔も、こういう仕事をしている人たちの生活って不健康そうですねえ~(^^;)。
さて、そんなトキワ荘ですが、今の椎名町にはその面影はありません。
かつてトキワ荘が建っていた土地には写真の記念モニュメントがひっそりと設置してあるだけです。
商店街の通りから脇道に入った場所にあり、気に留める人も稀なのではないかな?と感じられました。
しかしトキワ荘の、あの時代の作家の方々が残した作品は、今でも後の世代の人の心に生きているのは誰もが知っていることでしょうし、創作のスピリッツは、ますます拡がりながら受け継がれています。
(・・・よし、キレイにまとまった(笑))

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