(No.ex-264)
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4コママンガ「カナエとムジャ子」は、続きものの「夏が終わりて現実来る編」をお送りしています。
今回でこのお話は最終回です。
このお話の始まりは→こちらです。
初めてカナエの創作活動が一定の成功を収めたところを描いたなと、思います。
「カナエとムジャ子」では、ず~っと創作が「敗北(というとちょっと違うのですが、他に言葉が見つからないので・・・)」するお話を描いてきました。
たとえば「カナエの創作談義編」では、作中作であるレベッカの歌は、結局のところ戦わなければ生きていけない世界を変えられませんし、それどころか戦いに赴く男の意志すら当初は変えることができませんでした。
「並行時空編」では、別時空の人物であるアカネは一世を風靡した作家になっていながら、理不尽な世界で、ありとあらゆるものを奪われて隠遁しています。
・・・つまり、創作物あるいはその背景にある「良い世界を望む人の意志」を描きつつも、世の中は何も変えられない・・・そんな話が多かったわけです。それが現実だと思っているからです。
(決して挑発のつもりではありませんが「現実世界に働きかけることのできない夢物語に、どれだけの価値があるんだろうか?」という発想が、しばしば僕を支配します。)
とはいえ、そんな現実や運命には絶対に勝てないと悟りつつも抗うのがムジャ子です。
そんないつものパターンから外れて、
今回は「奇跡」を描きました。
カナエが聴衆の賛同の拍手の中でエンディングを迎える・・・というのは「奇跡」だというつもりで考えました。
以前にも記事に書いていますが、実は「夏が終わりて現実来る編」は、当初はこういうストーリーではなかったんです。
当初はカナエとムジャ子の河川敷での練習も市民文化祭のくだりも考えていませんでした。
「夢が叶わない現実を再認識して達観する」ようなストーリーでした(これはこれでカナエの成長ですから)。
しかし、夏のコミティアに行って考えを改めました。コミティアで、そのような刺激やインスピレーションを感じたのです。
嘘であっても奇跡であっても非現実的であっても、夢と理想の実現、成功と奇跡が起こる物語を表現してみたくなりました。
さて、カナエが起こした小さな奇跡のあとには、何が待っているのでしょう?
言うまでもありません、いつもの現実が待ってます(笑)。
結局、カナエは将来の進路の問題を抱えたままですから。
夏が終わりて現実来たる・・・
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