(No.ex-246)
4コママンガの体裁になっているかは微妙なところですが、ともかく久しぶりの「カナエとムジャ子」です。
去年や、一昨年の8月6日にアップした4コママンガや、過去に続き物として当ブログにアップした4コママンガから、ムジャ子のバックグラウンドの設定を察してくださっている方もいるかもしれません(と言うか、察してくださっている方がいることは僕も存じています)。
4コママンガの体裁になっているかは微妙なところですが、ともかく久しぶりの「カナエとムジャ子」です。
去年や、一昨年の8月6日にアップした4コママンガや、過去に続き物として当ブログにアップした4コママンガから、ムジャ子のバックグラウンドの設定を察してくださっている方もいるかもしれません(と言うか、察してくださっている方がいることは僕も存じています)。
(補足:ただし、歴史的な出来事をモチーフにしているとは言えフィクションです。現実と切り分けて認識するべきところなどは作り手としてはかなり気を遣っているつもりですし、ご覧下さる方も、あらかじめご承知下さいますようお願いします。)
さて、今日の記事は昨日に続いて広島原爆忌に際して思っていることを記します。
世界に核兵器の恐怖が存在することを僕は自分にも関わりのある問題として捉えています。
これはカッコイイ意味ではなくて、僕が核兵器や戦争で死ぬことに並々ならぬ恐怖を感じているということに過ぎません。
これはカッコイイ意味ではなくて、僕が核兵器や戦争で死ぬことに並々ならぬ恐怖を感じているということに過ぎません。
ただ、その恐怖を感じているのは他の何者でもない僕自身だから、僕に関わりのある問題なのです。
自分に関わりのある問題だという認識ゆえに、このようなブログ記事として意思表明や呼びかけの様なことを試みています。
フィクションを取り込んだ表現をしているのも、お伝えするための一つの試みなのですが、同時に難しさや危うさも感じながらやっています。
今回の4コママンガでは、カナエがムジャ子の抱えているものを察します。そして、それが人間全体の問題であることとして捉え「私も一緒に考える」という意志を伝えます。
ご覧下さる方に何かを訴える意図というより、単に僕の所信を表したものです。
演出も関係して、とっても回りくどい表現をあえて選んでいるのですが、何か滲み出るような形でも言わんとしていることをお察し頂ければ・・・と思っています。
伝わらなければ僕の力が及ばないということです。
p.s.よろしければ昨日の記事もご覧くださいませ
伝わらなければ僕の力が及ばないということです。
p.s.よろしければ昨日の記事もご覧くださいませ
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