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ルーク4のブログ

神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教 62 プロテスタント教会が教える献金の大いなるウソ」

 

まずは、聖書が教える「献金」について見ていきます。

 

第二コリント8章と9章に「献金」の目的と理由が詳細に書かれています。要点をまとめました。

 

1 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。

 

2 苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

 

10 この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それはあなたがたの益になることだからです。あなたがたは、このことを昨年から、他に先んじて行っただけでなく、このことを他に先んじて願った人たちです。

 

11 ですから、今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げることができるはずです。

12 もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです。

 

13 私はこのことによって、他の人々には楽をさせ、あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、平等を図っているのです。

 

14 今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。

 

15 「多く集めた者も余るところがなく、少し集めた者も足りないところがなかった」と書いてあるとおりです。

16 私があなたがたのことを思うのと同じ熱心を、テトスの心にも与えてくださった神に感謝します。

 

「第二コリント9章」

 

6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。

 

7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

 

8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

 

9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。

 

 

マケドニヤの諸教会は激しい試練の中で、極度の貧しさという状況でした。

 

使徒パウロはコリントにある神の教会へ、このように献金を呼びかけました。

 

今あなた方(コリントにある教会の信者)の余裕が、彼ら(マケドニヤの諸教会の信者たち)の欠乏を補うのなら、彼らの余裕もまた、あなた方の欠乏を補うことになるのです。

 

こうして平等になるのです。

「多く集めた者も余ることなく、少し集めた者も足りないところがなかった。」と書いてあるとおりです。

 

それは出エジプト16章に書いてあるとおりのことでした。

 

「出エジプト16章」

 

15 イスラエルの人々はそれを見て互いに言いった、「これは何であろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主(しゅ)があなたがたの食物として賜るパンである。

 

16 主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取とりなさい』と」。

 

17 イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。

 

18 しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余まらず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。

 

19 モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。

20 しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った

 

 

つまり、神さまは、多く集めても余ることがなく、少なく集めても足りないことがなくされて、すべての人の食べる物や金銭を平等にされるのです。

 

そして、多く所有している者たちに対して怒るのです。

これが、神さまの教会です。

 

献金についての教えも、お金に余裕がある信者たちが、貧しい信者たちの欠乏を補うために献金しているのです。

そして常に、皆が平等にされるのです。

 

それがイエス・キリストの教会です。

 

 

現代のキリスト教会が、この聖書の教えに聞き従うと、このようになります。

 

教会の中で、お金に余裕がある信者たちが、貧しい信者たちの欠乏を補うために献金を捧げて、教会の皆が平等になるのです。

 

教会の信徒は誰一人、貧しい人はいなかった。

 

「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と聖書に書かれているとおりです。

 

献金は貧しい人々に与えられるのです。それが「義」です。

 

 

ところが、プロテスタント教会の「献金」についての教えは、まるで違います。

 

第二コリント9章のこの箇所だけを切り取って、献金を勧めます。

 

6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。

7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

 

そして、献金は信徒の全員に勧められます。

 

 

この第二コリント9章6~7だけをみれば、献金を豊かに蒔く者は、豊かになる。つまり献金を多くすれば多くするほど豊かにされる。

 

喜んで多く与える人を、神は愛して下さる。

つまり、多く与えなければ、神は愛してくださらない。

 

 

このような献金についての教えに、教会の信徒たちは、より多く献金するようになるのです。

 

特に貧しい信徒たちは「豊かになる」ということに飢え渇いています。

 

豊かになると言っても、現在は人並み以下な生活を、「せめて人並みになりたい!」というものです。

 

 

厚生労働省の「2019年 国民生活基礎調査の概況」によると

児童手当などを除いたシングルマザーの人の“就労”における年間収入を見ていきましょう。「ひとり親家庭等の支援について」2)によると、雇用形態ごとに金額に大きな差があります。

 

正社員で働いている人の年間就労収入は平均305万円、パート・アルバイトなどの人は平均133万円です。

 

 

この中間として、年収が200万としても、月収は約17万円です。

 

これでは、貯金など無理ですし、エアコンなどの電化製品が壊れても、また購入することも困難です。

 

そのような貧しい人が、教会に来れば、人並みの生活になるために無理をして「献金」します。

 

母親は一日に一食にしたり、さらに節約して、献金します。

精いっぱい豊かに献金します。

 

頑張って、毎月2万円すれば、一年で24万円を教会に献金することになります。

 

そのような献金を頑張る貧しい信徒が10人いれば、教会は一年で、240万円儲かるわけです。

 

それで、牧師の給料があがったり、教会に新しい電化製品、照明器具、新しい楽器などが購入できます。

 

そのために貧しい信徒たちは、さらに貧しい生活を強いられています。

 

その貧しい信徒たちは喜びながら献金しています。

なぜなら、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るという聖書の御言葉を信じているからです。

 

 

しかし現実は、「少し給料がアップしました」とか、「バイトが正社員になって、年収が100万円アップしました」というような事になった信徒は、ごくわずかです。

 

ほとんどの貧しい信徒たちは、ますます苦しくなります。

 

 

ちょうど、詐欺にあうことに似ています。

 

「ネズミ講」という詐欺も、ごく一部の人は金持ちになりますが、ほとんどの人は損をする仕組みです。

 

ごく一部の金持ちになった人たちは、幹部になります。

 

キリスト教会も同じで、「多く献金し続けていると、豊かに祝福されました」と証するごく一部の信徒たちは、教会の信徒リーダーになります。

 

 

そして、ほとんどの貧しい信徒たちは、もしも教会に何年も献金し続けなければ、何十万というお金が残っていて、それで栄養があるものを子供に食べさせてあげたり、新しい電化製品を買うことが出来たと思うのです。

 

ですが、そのようなマイナスのことを思わせないように、聖書の御言葉を駆使するのが、牧師や信徒リーダーたちの役目です。

それは「悪意の不在」です。

 

本当に、この貧しい信徒さんたちが、豊かに献金を蒔き続けているので、いつかは報われる。時が来れば、イエスさまは必ず豊かにしてくださるということを信じて、御言葉で励ますのです。

 

 

しかし、根本が間違っています。

 

貧しい信徒さんたちが捧げた献金によって、教会が豊かにされているだけです。

 

貧しい信徒さんたちがより貧しくなることによって、教会が豊かになるというのは、イエスさまの教えに反逆しています。

 

聖霊を欺き、神をも人をも欺いていることになるでしょう。

 

ザアカイは、まだイエス・キリストを信じていない時に、人々からお金をだまし取りましたが、イエス・キリストを信じると、そのだまし取った金を4倍にして返しました。

 

貧しい信徒さんたちからだまし取ったお金は返さなければならないでしょう。

 

つづく

 

「日本におけるキリスト教 61 祈りの家のキリスト教会を強盗の巣にしている」

 

今年の「小学生がなりたい職業」アンケート結果が発表されました。1位は4年連続で「ユーチューバー」でした。

 

「ユーチューバー」というのは、自分のチャンネルを設けて、動画「YouTube」を制作して配信する仕事です。多くの小学生が所持しているスマホだけで動画を撮って配信するだけでもOKです。

 

動画を視聴されるごとに、広告収入を得られるという仕組みです。なので、チャンネル登録者数が増えれば増えるほど、莫大な利益が得られます。

 

ですから、ユーチューバーたちは必至に「チャンネル登録をお願いします。」と毎回、訴えているわけです。

 

 

近年、ユーチューバーになりたい小学生が急増していることに、警鐘を鳴らす人たちが出てきました。

 

その中の1人、神戸女学院大学名誉教授の「内田樹」氏は、次のように言われています。

 

「今はユーチューバーのように、別にこつこつやらなくても、頭の回転が速くて、しゃべりがうまければ、何かのはずみで、お金がざくざく入って来るという特権的なキャリアパスが、子どもたちの前にぶら下がっています。

 

小さい時から最小限の努力で有名になって、莫大な利益を得るという楽なキャリアパスばかり探していると、あまりいいことはないと思います。」

 

 

 

さて、チャンネル登録者数が増えれば増えるほど、莫大な収入を得られるユーチューバーを目指す多くの小学生たちが、プロテスタント教会に行けば、何を思うのか。

 

教会に行けば、礼拝のプログラムとして行なわれる「献金」が、「キリスト教もお金を取るのか」というような嫌な思いとして、強く印象に残っている人は大勢います。

 

ユーチューバーを目指している子どもたち、大人たちなら、「この献金制度は、信者が増えれば増えるほど、莫大なお金を得ることができる。」と考えるものです。

 

プロテスタント教会の牧師とユーチューバーは非常によく似ているところがあります。

 

プロテスタント教会の牧師は、神学校を卒業すれば(神学校に行かなくても)単独で開拓教会を築き上げることができます。

 

ユーチューバーのように、頭の回転が速くて、しゃべりがうまく、いくつもの活動や交流(慈善活動や地域の活動など)を盛んにして、多くの人たちの信用を得ると、教会に来てくれる人が増えてきます。

 

そして、信徒数が増えれば増えるほど、教会は莫大な収入を得られます。

 

 

そして、信者数が多い韓国では、莫大な収入を得るために牧師になる人も少なくないと推測する人は少なくありません。

 

それほど、韓国のプロテスタント教会は腐敗していて、社会的信頼が地に落ちているからです。

 

 

東洋経済オンライン2022年2月の特集記事「韓国フェミニズム知られざるその後」の中で、次のように書かれています。

 

「「韓国フェミニズム」知られざるその後

 

「2007年は韓国の性的少数者の人権運動史において、新たな局面へ転じる年となった。

 

同年、韓国法務省は差別禁止法案を上程することにしたが、保守的なプロテスタントを中心とする集団がこれに強く反対した。

 

『性的指向』を含む7つの差別禁止事由を削除したまま、差別禁止法案がまとめられた。

 

これが重要な事件であるのは、保守的プロテスタント集団が初めて、性的少数者に反対する集団・勢力として登場したことだ。

 

問題なのは、この集団が巨大であること。政府が反対勢力に屈服して、差別禁止条項において『性的指向』を含めたいくつかの条項を削除したまま法案を採択したことだ。

 

結局、差別禁止法案は国会の任期満了で廃案となったが、当時の事件は今でも韓国社会の人権問題においてネックとなっている。」

 

「韓国はプロテスタント信者が人口の19%を占め、世界の10大メガチャーチ(1週間の礼拝者が2000人以上の大型教会)のうち韓国の教会が4つあるほどプロテスタントの影響力は強い。

 

韓国の保守的キリスト教勢力は、単純に宗教的な教理を理由として性的少数者に反対しているのではない。

 

韓国では1990年代末から世襲の問題や横領、牧師の不道徳な行動といったプロテスタント宗教界の実状が明らかになり、社会的信頼が地に落ちていた。

 

自分たちがその醜悪と過ちを隠そうとすれば、人々の視線を他の場所に移させる必要がある。そのスケープゴートとなったのが、まさに性的少数者だったのだ。

 

さらに深刻な問題は、このようなメガチャーチを主軸とする保守的なプロテスタントの勢力が政界に大きな影響を行使しているということだ。

 

例えば、牧師が区役所を訪れ『私の要求を聞き入れなければ、次の選挙であなたに投票しない。教会の信者にもそう伝える』と強い圧力をかける。

 

このような圧力を受けた政治家は、保守的なプロテスタントの力に無力となってしまう。

 

性的少数者に対する嫌悪と差別が強まり、政府も性的少数者の人権問題に消極的な動きを見せるようになった。

 

このような政治と宗教の"合流"は性的少数者に対する嫌悪と差別を助長し、性的少数者の人権だけでなく韓国の人権全般をも後退させている。」

 

引用以上

 

 

韓国のプロテスタント教会は、巨大な勢力となり、その圧倒的な信徒数と莫大な財源を得たことによって、世襲の問題や横領、牧師の不道徳な行動といったプロテスタント宗教界の実状が明らかになり、社会的信頼が地に落ちていた。

 

そして、韓国の国民たちは気づきました。

 

韓国のプロテスタント教会が、その醜悪と過ちを隠そうとすれば、人々の視線を他の場所に移させる必要がある。そのスケープゴートとなったのが、まさに性的少数者だったのだ。と

 

 

そのために、政治家たちを脅迫して、キリスト教会に聞き従わせる必要があります。

 

そして、選挙の票が欲しい政治家は屈服するというのは当然でしょう。

 

その結果として、「政治と宗教の"合流"は性的少数者に対する嫌悪と差別を助長し、性的少数者の人権だけでなく韓国の人権全般をも後退させている。」ということになっています。

 

 

聖書のキリスト教会の教えは「献金制度」ではありません。

 

もし、キリスト教会で「献金制度」が成されていれば、信徒数が増えれば増えるほど、韓国のプロテスタント教会のように、堕落して、社会的信頼は地に落ちてしまうからです。

 

そして、その醜態と過ちを隠すために、スケープゴートを見つけます。

 

スケープゴートになる人たちは社会的に弱い立場の人たちです。

 

それから、政治家を脅して、スケープゴートになった弱い人々を餌食にします。

 

 

その他にも、教会の中でも、低収入の弱い立場の人々が餌食とされています。

 

また、「献金制度」によって、莫大な財源を築き上げるのを隠すために、「未信者(イエス・キリストを信じていない人々)」をスケープゴートにしています。

 

「未信者(イエス・キリストを信じていない人々)は地獄へ行く」という教えです。

 

「イエス・キリストの救いとは地獄行きからの救い」という教えによって、信徒が増えれば増えるほど、牧師は莫大な収入を得られることになることが隠されます。

 

 

韓国のプロテスタント教会の実態によって、隠されていたことが露わになりました。

 

この日本では、もはや献金制度で成り立っている「プロテスタント教会」が繁栄することは無くなったと、個人的には思います。

 

「もはや衰退するのみ」ということに気づく人たちも起こされてきました。

 

 

イエスさまは「わたしの父の家を商売の家にするな!」と激怒されて、宮で商売している人々を追い払いました。

 

イエスさまは教会のかしらです。

 

そのキリスト教会が、信徒が増えれば増えるほど、お金も莫大に得ることになるというのは、聖霊を汚し欺き、神を欺き、人々を欺いています。

 

そのような教会は当然のように、神の御怒りがその上にとどまっており、時が来れば、社会的信頼を失って失墜し、神の裁きがくだされるでしょう。

 

つづく

 

 

 

「日本におけるキリスト教 60 プロテスタント福音派の教会のビジョンが成就すると恐ろしい社会となる」

 

私は長年にわたりプロテスタント福音派の教会に在籍していましたので、福音派のビジョンを重々承知しています。

 

そのビジョンは、日本のまだイエス・キリストを信じていない約99%の国民がイエス・キリストを信じて、永遠の地獄行きから救われることです。

 

超教派が集結した大規模な聖会では、まずは「1000万人救霊」というリバイバルを切願して、心を一つにして主イエスに祈り求めます。

 

日本の人口は2023年11月1日現在では、1億2431万人ですので、福音派の悲願「1000万人救霊」が成就すれば、日本の人口の8%~9%がプロテスタント福音派の教会の信者ということになります。

 

 

そして、隣国の韓国は以前から、その日本の福音派のビジョンをはるかに上回って成し遂げられています。

 

東洋経済新報社のオンライン2022年2月の「韓国フェミニズム特集記事」の中で、隣国の韓国では、プロテスタント信者が韓国の人口の約19%を占めていることによって、韓国社会がかなりの悪に染まっている実態が書かれていました。

 

浅見雅一氏と安廷苑氏の共同著「韓国とキリスト教」から韓国のプロテスタント教会の実態を見て行きます。

 

2005年の韓国基督教総連合会(韓基総)の発表によれば、韓国プロテスタント教会は、長老派(福音派)が70、7%、メソジスト(福音派)が9,8%、純福音派(福音派)が8,2%、聖潔派(福音派)が6,2%、バプテスト(福音派)が4,7%である。

 

つまり、韓国のプロテスタント教会は、日本でいえば「プロテスタント福音派の教会」ということです。

 

 

日本では「プロテスタント教会」と言えば「日本キリスト教団」と「福音派」とで二分しています。

日本のプロテスタント教会の信者数は約60万人と言われています。日本キリスト教団の信者数は約16万人なので、福音派が40万人はいるでしょう。

 

なので、福音派の信者数がかなり上回っています。

 

エキュメニカル派やリベラルと言われる「日本キリスト教団」と原理主義の「福音派」では、聖書解釈と福音理解の根本は同じですが、枝の部分でかなり違うところがあるので、大きな溝があり、福音派の牧師たちは、信徒が日本キリスト教団の神学校に行くことに反対しているようです。

 

韓国の場合は、プロテスタント教会と言えば、日本で言う「プロテスタント福音派」のことになるので、プロテスタント福音派として書いていきます。

 

 

国連人口基金の「世界人口白書2023」では、韓国の人口は5180万人です。

そのうち約1000万人がプロテスタント福音派の信者と言われています。つまり、5人に1人ということです。

 

 

前述の著書「韓国とキリスト教」に書かれていることを引用します。

 

韓国では「十分の一献金」として、毎月の収入の一割を教会に献金する熱心な信者も少なくない。

 

また、礼拝の際に少額の献金をすることが慣わしとなっている。

たとえ少額の献金であっても日曜日ごとに教会に赴く信者が多いだけに、その総額が莫大なものになっていることは容易に想像できるであろう。

 

プロテスタント教会の収入の大半は、献金によるものである。

 

カトリック教会は収支を公表するようになったが、プロテスタント教会の多くは外部に対して収支を公表していないのが実情である。

 

大型教会の予算について、一例を示したい。ソウルの江南地域にある長老派(福音派)の某大型教会では、二〇十二年度の予算が約六五〇億ウォン(日本円で約四五億円)であった。

 

この教会に所属する信者は、約七万人と考えられている。

 

韓国教会の伸張の特徴としては、信者数の増加に伴って、教会が巨大化していくことが挙げられる。

 

その結果、とりわけプロテスタント教会で、一つの教会が数万人もの信徒を擁するまでに拡大していくことがよく見られる。

 

ヨイド純福音教会によれば、所属する信者数は、一九九二年頃には七〇万人を超えている。

 

引用ここまで

 

 

この日本が、韓国のように、プロテスタント福音派の信者が人口の約19%となれば、約2200万人が福音派の信者ということになります。

 

そうなれば韓国の倍です。当然のように一つの教会が数万人の信者数となり、数十万人の教会が次々に起こされて、100万人の信者数を誇る教会もあるでしょう。

 

例えば、1万人の信者数とすれば、その教会の什一献金は、1人が月に1万円(月収10万円)と少なく見積もっても、1万人×1万円=1億円になります。実際はそれ以上になるでしょう。

 

さらに、日曜礼拝や祈祷会など、教会に集まるごとに「献金」があるので、その教会の収益は、什一献金を合わせると、月に2億~3億になることが容易に想像できます。

 

1年では、24億~36億円です。

 

そうなれば、その教会の主管牧師の年収が1億円や2億円になっても、承諾されるでしょう。

 

さらに10万人の信者数であれば、1年で240億円~360億円です。

そうなれば、主管牧師の年収が10億円や20億円でも何の問題もなくなります。

 

また、信徒には内緒で、立派な豪邸の牧師館に別荘、高級車を何台も保有していても不思議ではありません。

 

 

この日本では、最も大きなプロテスタント福音派の教会の信者数は約2000人と言われています。

 

その教会の牧師は高級車ベンツに乗っていたという話を何人ものクリスチャンたちから聞いたことがあります。

 

また、阪神淡路大震災の被災地では、救援物資を届けに来た数百人の信徒数の教会の牧師は「高級車セルシオ(現レクサス)」で来たそうです。

 

個人的にも数百人規模の信者数の福音派の教会では「高級車クラウン」に乗っていた牧師を3名見たことがあります。

 

牧師の間で、より高級な車に乗ることが流行っていると思いました。

 

現在の数百人規模の教会でそうですから、数万人の教会の主管牧師になれば、何千万円とする高級車フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ、ベンツ、ロールスロイスなどに乗るようになるでしょう。

 

バイク好きならハーレーダビッドソンを何台も買えます。

楽器好きなら何億円のギターやバイオリンも買えますね。

 

日本の牧師の中で時計が高級ロレックス、牧師婦人は高級ブランドに身を包んでいるという人たちもいます。

 

 

韓国のプロテスタント教会は、何万人という信者数は当たり前という状況の中で、信徒たちの「献金」によって、一年で何億、何十億、何百億円という巨額な大金が入ってくるわけです。

 

牧師の年収も1億円~10億円以上も夢ではないわけです。

 

1年で何億~何十億、何百億という巨額な大金が入る教会の主管牧師は、高齢になってくれば、自分の息子に跡を継がせたいわけです。

 

後を継げば、巨額な財によって、将来は安泰なわけですから。

そこで世襲問題が起きて、深刻化しています。

 

そして、プロテスタント教会は「首都ソウル」に集中しています。

 

莫大な財源はより多くの信者を獲得するために、宣伝費にも多く使われます。

莫大な財源によって、大きな会場で集会をよく開催します。

 

ちなみに、日本の大阪城ホールで、プロテスタント福音派の超教派の集会が三日後開催された時、3億円はかかっていると聞きました。

 

莫大な財源によって、更に、より多くの人たちを集めるためには「首都ソウル」の一等地に巨大教会(メガチャーチ)を建設します。

 

教会の建物には、広い敷地の駐車場が必要不可欠になります。

その駐車場の土地代だけでも何億という金が必要になると思われます。

 

日本の首都東京の一等地なら何十億になるでしょう。

 

国が所有する一等地を確保するために、プロテスタント教会の牧師は、政治家を買収しようとしたり、「次の選挙の票のことを考えろ」と脅したりするという話を聞いたことがあります。

 

さらに法律まで変えてしまうことが起きています。次回で詳細を書きます。

 

それらは、あくまでも「イエス・キリストを信じていない人々を、罪人たちを、永遠の地獄行きから救うため」であります。

 

ですが、神は心の中をご存知です。

 

ドラマ「トリック」の主人公が、詐欺師たちに「お前らのやっていることは、全部まるっとお見通しだ!」と言い放つように、すべてが明らかにされているのです。

 

次回はさらに、このプロテスタント教会の信者が多くなれば、社会が恐ろしいことになることについて見ていきます。

 

つづく

 

 

 

 

「日本におけるキリスト教 59 聖書の教えを曲解させているキリスト教会」

 

もう明日で気温差が激しかった11月も終わりますが、イスラエルとパレスチナの戦争も早く終わってほしいです。

 

よく誤解されているのが、イスラエルは「キリスト教」と思われていることです。

イスラエル中央統計局の2020年データーでは、イスラエル宗教割合は、ユダヤ教が約74%、イスラム教が約18%、キリスト教が約2%、ドルーズ派が約1,6%です。

 

ですから、イスラエルは旧約聖書の教えのユダヤ教信者が圧倒的に多く、キリスト教信者は日本同様にごく少数です。

 

旧約聖書の教えは「聖絶せよ!」という神の命令による戦争が繰り返されていますので、その旧約聖書の聖書箇所から戦争を「神の御心」と解釈することが出来ます。

 

アメリカのプロテスタント福音派の原理主義者「ブッシュ大統領」が湾岸戦争を起こした理由として、旧約聖書から「これは聖戦である。」と明言したことは語り草になっています。

 

その後の戦争では、兵士たちは戦地に行くとき、旧約聖書の御言葉を胸に刻み、敵に向かって行ったそうです。そして惨殺行為をしていきました。

 

プロテスタント教会では旧約聖書も新約聖書も同じように信じて聞き従う信仰ですので、旧約聖書の御言葉によって、戦争を正当化することも可能なのです。

 

 

そして、「献金」の教えもそうです。

 

様々な「キリスト教」があり、イエス・キリストの教えを曲解させて、金銭のことで、多くの信者を深く傷つけています。

 

今、日本を騒がせている「世界基督教統一神霊協会」もそうです。文化庁が発表している宗教年鑑では、旧統一教会もキリスト教になります。

 

「世界基督教統一神霊協会」では、今は亡き教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン/本名:文龍明)が自身を再臨のキリストであるとしているそうです。

 

何人もの宗教専門家が元信者たちからヒアリングすると、文鮮明は己を神格化し終末思想を広めることによって、信じない者は地獄に落ちると恐怖を煽(あお)り、自身に額(ぬか)ずくことを信者に求めていたそうです。

 

NHKクローズアップ現代「旧統一教会 知られざる現実」より

 

2009年、教会は「コンプライアンス宣言」を発表。社会的、法的に問題となる行為をしないよう努めてきたとしています。しかし、今もなお教会が高額な献金を集め、生活が追い詰められていると訴える2世が後を絶ちません。

 

「183勝利家庭は9家庭です

10番目の勝利家庭になって下さる事をお祈り申し上げます

婦人部長から母親に届いたメッセージより」

「183」は、「183万円」の献金。「勝利」は、「献金額達成」を意味します。10番目の達成者になることが求められていました。

 

「母の母の父の父の養祖父」。「母の母方の妻25歳を毒殺した夫26歳」。あらゆる先祖などがかつて犯した罪を償うためだとして、献金が求められていました。

アヤカさんの母親は、124万円を振り込んでいました。それに対して婦人部長は。

「よく 捻出 出来ましたね 頑張りましたね

婦人部長から母親に届いたメッセージより」

 

アヤカさん(仮名)

「捻出してるって分かっているなら、経済力がない人に献金を迫っている自覚はあるんじゃないのかなって。何がしたくて、こんなにお金を集めているのか。やめてほしいな、ただそれだけに尽きるんですけど」

 

なぜ、高額の献金が信者から集められているのか。メッセージには、その目的とされる韓国のある施設の名前が書かれていました。

 

メッセージに記されていた「天苑宮(てんえんぐう)」。韓国で建設が進められている新たな教会の施設です。日本からの献金が建設費に充てられているといいます。

 

今回、韓国の教会本部に長年関わってきた、現職の関係者が初めて取材に応じました。行き過ぎた教会のあり方に疑問を抱き、告白することにしたといいます。

 

韓国の教会関係者

「天苑宮、その計画というものは、世界文化遺産にするという野心的な計画を持っています。日本からの献金は、統一教会の世界布教の基盤になってきました。いまだに(多額の)献金をする信徒がいるのは、日本くらいです」

日本から多額の献金を韓国に集める教会。背景にあるのが教会の教えだといいます。

 

韓国の教会関係者

「文鮮明総裁は次のように話していました。経済富国である日本は、植民地時代に韓国人に対し、罪を犯した。それを清算するために、日本が韓国を(金銭的に)支援する必要があると説いた」

 

引用ここまで。

 

 

プロテスタント教会の場合も旧約聖書の御言葉から什一献金を定めたりしています。

プロテスタント福音派の教会では、教会に集まる度に「献金」を行なう教会が非常に多いです。

 

「献金は自由」と言っていますが、毎週礼拝している信者たちは、常に献金をせざるを得ない環境です。什一献金と合わせれば、給料の約2割は献金していると思います。

 

信者が増えれば増えるほど、牧師の給料は増え、教会の働き人は増え、教会の建物は立派になっていきます。

 

教会では、信者同士の貧富の差があり、教会同士の貧富の差もあります。

信者数などによって、金持ちの牧師と貧乏人の牧師とに分かれます。

 

プロテスタント教会では財源(金銭)において「平等」という二文字は無いように思います。

 

 

それでは、聖書の教えを見て行きます。

ブログ記事「牧師の書斎」の聖書解釈がとても良いので、引用して伝えます。

 

「牧師の書斎」の献金についての聖書解釈は次の通りです。

2. 献金の動機(8:9)神の恵みへの感謝として

【新改訳2017】Ⅱコリント書 8章9節

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

 

(1) キリストの謙卑

① 受肉前は富んでおられた(御子として栄光に満ちておられた)

② 受肉後は貧しくなられた(神の在り方を捨てられた)貧しさの極点⇒十字架)

 

(2) キリストの謙卑の模範

 

●私たちはキリストの犠牲によって富む者とされました。それは神の豊かないのちを持つ者とされただけなく、それを分かち与えることのできる者とされたということなのです。

 

3. 神の国における平等性の実現・・パウロの献金に対する考え方

【新改訳2017】Ⅱコリント書8章10~15節

10 この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは献金を実行することだけでなく、その志を持つことも、昨年から始めて他に先んじていました。

 

11 ですから今、それをやり遂げなさい。喜んでしようと思ったとおりに、持っているものでやり遂げてください。

12 喜んでする思いがあるなら、持っていないものに応じてではなく、持っているものに応じて受け入れられるのです。

 

13 私は、他の人々には楽をさせ、あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、むしろ平等になるように図っています。

 

14 今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。

15 「たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった」と書いてあるとおりです。

 

●10節以降には、パウロの献金に対する考え方を知ることができます。特に15節は出エジプト記16章にある「マナの原則」によって、神は平等を図られる方であることを述べています。

 

それはどういうことでしょう。イスラエルの民が毎日どれだけのマナを集めたとしても、受けるのは、いつも必要な分だけでした。

 

マナを余分に集めて蓄えようとした人々はそれが不可能であることを知らされます。なぜなら、マナは翌日になると腐って悪臭を放ったからです(出エジプト16:20)

 

この教訓は、自分の必要な分だけを集め、余分に集めた分は足りない者に分け与えることで、神の祝福を自分ためにため込まないというものです。

 

ため込んだものは、私たちを害することになるからです。イェシュアも山上の説教の中で次のように言っています。

 

【新改訳2017】マタイの福音書6章19~21節

19 自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。

20 自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。

21 あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。

 

●初代教会はこうした教えを実践していたのです。つまり、初代のキリスト者は自分たちの持っているものを自発的に分け合いました。

 

強要することなく、律法的でもありませんでした。与える恵みとはあくまでも神への信仰の問題なのです。

 

つまり、他の人々を助けることができるように、神は私たちの必要を満たしてくださるという信仰があるからです。教会という共同体はそうした信仰によって生かされているのです。

 

引用はここまで

 

 

イエス・キリストの「お金・献金」に対する教えで最も重要なことは、次の2点です。

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

 

つまり、私たちはキリストの犠牲によって富む者とされました。それは神の豊かないのちを持つ者とされただけなく、それを分かち与えることのできる者とされたということなのです。

 

私(使徒パウロ)は、他の人々には楽をさせ、あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、むしろ平等になるように図っています。

今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。

 

つまり、他の人々を助けることができるように、神は私たちの必要を満たしてくださるという信仰があるからです。教会という共同体はそうした信仰によって生かされているのです。

 

 

このように、聖書の教えとプロテスタント教会の現実はまるで違うのです。(例外はあるかもしれませんが、個人的に調べた限りはわかりませんでした。)

 

さらに、聖書の教えに聞き従えば、「世界基督教統一神霊協会」はキリスト教ではなく、悪の組織という感じです。

 

イエス・キリストが私たちのために貧しくなられたという御言葉を教会の建物、牧師たちや信者たちの財源(金銭)が富むためという恐ろしい悪しき解釈をしてはいけないと、個人的に思っています。

 

つづく

 

 

「日本におけるキリスト教 58 キリスト教会のプロテスタント教会に深く傷つけられた方々へ伝えたいこと」

 

日本のキリスト教信者数は、日本宣教リサーチ2018年版では、プロテスタント教会が約55万人、カトリック教会が約44万人、聖公会が約5万人、正教会が約1万人です。

 

文化庁が発表した教会数の総数は5815、カトリック教会が779、聖公会が279、正教会が56、残りの4千以上がプロテスタント教会ということになると思われます。

 

つまり、日本のキリスト教会はプロテスタント教会が最も信者数が多く、教会数は群を抜いて多いです。

 

プロテスタント教会の信者数は、日本基督教団が約16万人なので、福音派は約39万人になると思います。

ですから、もしもキリスト教会に関わるとすれば、プロテスタント教会に縁がある人は多いです。

 

 

そして、いくつか日本基督教団の牧師が発信する聖書解釈を拝読しますと、福音派と同じく、「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3章16節」という御言葉によって、「イエス・キリストを信じると、永遠の命を得る」と断言して教えていました。

 

 

さて、私は無教会になった立場で、聖書を読みますと、何度も繰り返して申し訳ないのですが、アナニヤとサッピラが神に殺されたこともあるので、クリスチャンは心に刻まなければならないと思います。

 

永遠の命を得るためには、イエス・キリストを信じて、良い行ないをするだけでは欠けている。

 

完全になりたいのであれば、持ち物全部を捨てて、貧しい人々に分け与えて、天に宝を積んで、わたしについて来なさい。とイエスさまが命じられたことが重要だと確信しています。

 

それをアナニヤとサッピラのように、代金の一部を自分のために残しておきながら、代金全部を捧げたとだまし欺いてまで、教会の皆に「永遠の命を得たクリスチャン」だと認めさせるのは、聖霊を欺いているのです。

 

聖霊を欺いた者は、今の時代も次の世に来る時代も赦されません。

 

 

プロテスタント教会は「聖書主義」です。「聖書にこう書かれてある!」というのが信仰の源です。

 

イエスさまは、永遠の命を得るために、あなたが完全になりたいのであれば、あなたの持ち物を全部売り払い貧しい人々に分け与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。(マタイ19章21節)と命じられました。

 

この「天に宝を積む」と「永遠の命を得る」は原語では同義だそうです。

 

そして聖書には、その反対に「持ち物を全部売り払わなくても、信じるだけで永遠の命を得ます。」という教えは書いてありません。

 

 

聖書にはその反対の教えが書かれてあることがあります。

 

例えば「その時、イエスは彼に言われた。『剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。』マタイ26章52節」という素晴らしい教えがあります。

 

しかし、その反対に、イエスは弟子たちに言われた。「剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。ルカ22章36節」という教えもあるのです。

 

クリスチャン国家のアメリカは銃社会です。

ですから、クリスチャンでも保身のために銃を保有している人も多いみたいです。

 

その時は「聖書に剣を買いなさい、ルカ22章36節と書いてある。」と、聖書の教えから銃を持つことの正当性を言うことができるでしょう。

 

しかし、「剣を買いなさい」という教えが書かれていなければ、「剣を持つ者は皆、剣で滅びる。マタイ26章52節」だけに聞き従うことになります。

 

 

なので、「永遠の命を得るために、あなたが完全になりたいなら、持ち物を売り払って貧しい人々に分け与えなさい。」とイエスさまが命じられた御言葉はあるけれど、

 

「持ち物を売り払わなくても、信じるだけで永遠の命を得るのに完全になります。」というような御言葉がなければ、

 

持ち物を色々と持ったままであり、アナニヤとサッピラのように、少しでも貯金があるというクリスチャンは、永遠の命を得るために完全ではないのです。

 

非常に大事なことですが、イエスさまが十字架上で死なれて、三日後によみがえられて、昇天されてからの初代キリスト教会の使徒や信者は皆、心と思いを一つにして、持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有して、貧しい人は一人もいませんでした。

 

また、イエスさまが昇天後に使徒となった使徒パウロもキリストを信じる信仰による義によって、すべてを捨てたと教えています。

 

聖書が教えるキリスト教の使徒と信者はイエスさまが命じられたように、すべてを捨てて、イエスさまに聞き従っています。

それなのに、自分の持ち物を色々と持って、少しでも貯金がありながら

 

「すべての罪を背負われ十字架上で死なれて三日後によみがえられたイエス・キリストを信じたクリスチャンは義とされて、過去・現在・未来の罪は赦されている。どんな罪を犯しても赦される。イエス・キリストを信じただけで、永遠の命を得ているのです。」と教えているなら、聖書に書かれていないことを教えていることになります。

 

また、聖霊を欺いていることにもなるでしょう。

 

 

実は、プロテスタント福音派の神学・聖書解釈と福音理解を改めて見てみると、自分に都合の良い聖書の教えは「聖書にこう書いてある」と教えます。

 

しかも一部分だけを切り取ってということがよく見られます。

 

しかし、永遠の命を得る教えに対して行われているように、自分に都合の悪い聖書の教えは、まるで詐欺師かペテン師のように、ことごとく曲解させたり、すり替えたりしているのが大きな特徴です。

 

 

「献金」にしてもそうですね。

 

旧約聖書のイスラエルの神・御父の教えの「ユダヤ教」は什一献金でした。

 

しかし、イエスさまの「キリスト教」は旧約聖書の教えとはまるで違って、自分の持ち物、財産全部を捨ててと命じられました。

 

なのに、そのイエスさまが命じられたことではなく、旧約聖書のイスラエルの神・御父の教え「什一献金」に逆戻りしています。

つまり「ユダヤ教」ですね。

 

 

また、「イエス・キリストを信じない者は永遠の火に投げ込まれる」という教えも次のように教えます。

 

「御子を信じない者は、神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。ヨハネ3章18節と書いてある。

 

つまり、そのままイエス・キリストを信じないで死ねば、「いのちの書に名の記されていない者は皆、この火の池に投げ込まれた。黙示録20章15節と聖書に書いてある。」

 

これは単に、恣意的に自分の都合の良い御言葉の一部と一部をつけ足して、イエス・キリストを信じない者は永遠の火に投げ込まれるとでっち上げていることになるでしょう。

 

黙示録の「いのちの書に名が記されていない者」については、以前に何度か書きましたが、詳細が明確に書かれています。

 

「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書き記されていない者は皆、獣を拝むようになる。黙示録13章8節」

 

ですので、現在の生前にイエス・キリストを信じなかった人々のことではありません。

 

 

また、ヨハネ3章18節の「御子を信じない者は、すでにさばかれている」ということですが、

 

この教えは「イエスは、彼らにこう命じられた。『異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの滅びた羊のところに行きなさい。』マタイ10章5~6節」と明確に教えられているように、イスラエルの滅びた羊に対しての教えだということがわかります。

 

なので、現在の日本在住のイエス・キリストを信じない人々のことではないのです。

 

 

それから、同性愛者の方々に対してもそうです。

 

旧約聖書の教えレビ記から男と男が寝る者は死刑という箇所などから断罪します。

 

けれど、旧約聖書の教えではブタ、エビ、カニなどは食べてはいけないのですが、その教えには聞き従いません。

 

このように、福音派の神学・聖書解釈と福音理解は、聖書の教えを自分の都合の良いように、旧約聖書のユダヤ教の教えに逆戻りして、イエスさまの教えを無視したり、曲解させたり、でっち上げたり、仕立て上げたりしていることが多々見られます。

 

なので、キリスト教のプロテスタント教会で深く傷つき、教会から離れて行った人々、もう二度とイエス・キリストの元には行かないと決心した方々の中で「キリスト教の教えは矛盾している!」と言い放っている人は多いです。

 

聖書をよく読むと、プロテスタント教会の神学・聖書解釈と福音理解が正しいと思っていたから深く傷ついたという認識でよいのです。

 

イエス・キリストの教えは「愛」です。

 

旧約聖書の教えを次のように変えました。

律法の全体は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。ガラテヤ5章14節

 

聖書の教えで言えば、クリスチャンでも、持ち物を色々と持ったまま、貯金をもっているなら、永遠の命を完全に得てはいません。

 

しかし、この日本では、イエス・キリストを信じていない人々は約99%です。

 

その人々を自分自身のように愛せるようになるので、素晴らしいことです。

 

永遠の命を完全に得たとか、どうでもいいですね。

ただ、クリスチャンはイエス・キリストが共にいるということだけですから。

 

あのアフガニスタンで殉教された無教会(教会に所属していない)の中村哲先生が「天・共に在り」という信仰でした。

 

 

キリスト教会で深く傷つけられるのは、イエス・キリストの教えに聞き従っていない者たちの悪の所業です。

 

クリスチャンは誰でも過ちを犯します。

しかし、それに気づかないのは、実に哀れだと思う人は数多いです。

 

つづく

 

「日本におけるキリスト教 57 日本のキリスト教会に深く傷ついた大勢の人々について」

 

私のブログ記事には、日本のキリスト教会に深く傷ついた人たちから次々に憎しみと怒りに満ちたコメントやメッセージが届きます。

 

群を抜いて圧倒的に多いのが、プロテスタント福音派の教会での被害者です。

 

その中でも「低収入」さんからの怒りと憎しみのコメントは2021年から始まり何度もコメント欄を賑わしています、もうすぐ3年になります。前回の記事へのコメントで的を得ていることをクローズアップします。低収入さんは次のように言われています。

 

「今週号のジャンプのワンピは作者が力尽きて下書きで掲載してましたね(笑)

けど、何も知らない子供が天竜人の横暴を見たうえでイスラエス史やその後のキリスト教の来歴を見たら現実に天竜人のような者がいると認識するのは無理からぬことと思います」

 

「アナニア・サッピラ両氏の殺害は、一人一人の信徒でなく、運営である教会の責任者にこそ突きつけられるべき問題ではないでしょうか?」

 

 

低収入さんは、プロテスタント福音派の教会において、低収入であることを差別され、献金を要求することに激怒されています。

 

その体験を通して、アナニヤとサッピラの殺害は、一人一人の信徒の問題ではなく、教会の責任者にこそ突きつけられる問題だと指摘しているのです。

 

まさに的を得ていると思いました。

 

 

調べると、多くのプロテスタント教会の牧師や伝道師、信徒たちがブログ記事やYouTubeなどの動画などで、アナニヤとサッピラについての聖書解釈が発信されていました。

 

その中に、アナニヤとサッピラが持ち物を売り払ったことについて、イエスさまが命じられた「持ち物を売り払って、財産全部を捨てて、わたしについて来なさい。」という御言葉に聞き従ったという聖書解釈は一つもありませんでした。

 

福音派の牧師の解釈で多かったのは、アナニヤとサッピラはバルナバがすべての代金を捧げたの見て、プレッシャーになった。

 

別にすべての代金とは決まっていなかった。などという解釈です。

 

 

本来ならば、アナニヤとサッピラの持ち物を売り払った代金の一部を自分のために残しておいたことについて、直ぐに次の御言葉が心に響くはずです。

 

「永遠の命を得るために、完全になりたいのであれば、あなたの持ち物を全部売り払いなさい、マタイ19章21節&マルコ10章21節&ルカ18章22節」という御言葉です。

 

マタイ、マルコ、ルカと三か所に書かれているので、すごく心に残ります。

 

さらに、イエスさまはこう断言されていることも心に響いてきます。

「あなた方は誰でも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。ルカ14章33節」

 

初代教会は、このイエスさまが命じられたことに忠実に聞き従っていることがわかります。

 

アナニヤとサッピラは、このイエスさまが命じられた、聖霊と繋がっている永遠の命を得ることを欺いたのです。

ものすごく重大なことであり、打たれて殺されても当然だと思います。

 

 

ここで、アナニヤとサッピラは本物の信者であったか、偽物だったかということが議論されることもありますが、当時のユダヤ社会におけるキリスト教信者の立場は非常に苦しい立場にいたことが指摘されています。

 

ユダヤの指導者たちは、イエス・キリストをメシヤ(救世主キリスト)と認めずに十字架刑で殺しました。そして、イエス・キリストを信じる信者たちを会堂から追放する措置をとっていたそうです。

 

会堂からの追放は、ユダヤ社会から締め出されて、すべてを失うことを意味していたそうです。

 

ですから、初代教会において、イエスさまが命じられた「財産全部を捨てて、貧しい人々に分け与えてから、わたしについて来なさい。」という御言葉を行なえる状況であり、その環境が整っていました。

 

また、行なうことが唯一のキリスト教信者たちの生きる道だったと言えるでしょう。

 

ですから、アナニヤとサッピラは本当にイエス・キリストを信じて、苦難の生きる道を選ぼうとした夫妻であったと思いますが、すべての悪の根である「お金」を手にした時に、挫折してしまったように思います。

 

このことからも、すべての悪の根である「お金」をすべて捨てることが、主であるイエス・キリストに聞き従うことであり、永遠の命を得るのに完全になるためでもあったことが理解できます。

 

 

さて、現在の日本の状況はどうでしょう?

 

イエス・キリストを信じたクリスチャンたちは、日本の社会から締め出されることもなく、すべてを失うこともありません。

 

むしろ、クリスチャンたちが聖書に書かれているように「世の光」となって、日本の暗闇に光をともす存在になることを歓迎されるような環境です。

 

普遍的な神の愛の福音を伝えるクリスチャンで世の光となっているマザーテレサやヘレン・ケラーさんが日本に来ると、大歓迎されました。

 

 

現在の日本の状況は、聖書の初代教会の時代と違い、クリスチャンたちが財産全部を捨てることは困難です。

また、そのような環境ではありません。

 

しかしながら、「キリスト教会」の中では、すべての悪の根である「お金」の問題を排除することは可能です。

 

初代教会は、クリスチャンたちが財産全部を捨てることによって、皆が平等となり、貧しい人が一人もいなくなりました。

 

ですから、現在のキリスト教会でも、貧しい人々や低収入の人々が、教会の中では「お金」のことやお金の心配をすることがないように配慮することが最低限に神から求められていることです。

 

 

それを、教会に集まるごとに「お金」が必要。

 

礼拝の後に「献金!」祈り会の後に「献金!」集会の後に「献金!」月に一度は「什一献金」が義務付けられて、「感謝献金!」「○○献金!」などなど

 

まして、教会の中でも、高収入の人たちと低収入の人たちとの差別と不平等を感じさせられるならば、

 

ドラマ「家なき子」の主人公のすずが教会に来れば、この名セリフを言い放ってくれるでしょう。

 

「あんたの好きな万札のオヤジも言っているじゃないか!天は人の上に人をつくらずってね。あんたは、そんな単純なこともわかんねーんだよ!

あんたは人間じゃないんだよ!人間の皮をかぶった怪獣なんだよ!金(カネ)が大好きなカネゴンなんだよ!」

 

 

イエスさまも金(カネ)が好きなパリサイ人に、こう言い放っておられます。

 

さて、金の好きなパリサイ人たちがイエスをあざ笑っていた。

イエスは彼らに言われた。「あなた方は、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神はあなた方の心をご存知です。神の前では憎まれ嫌われます。」

 

 

イエスさまは、教会を貧しい人が一人もいなくなった、皆が平等とされる神の国のようになされました。

 

そのイエスさまが命じられたことに反逆するように、教会の中で貧富の差があるままで「献金」「献金」と義務付ける指導者たちは、神の御怒りがその上にとどまると言われても仕方がないでしょう。

 

 

「御子を信じる者は、永遠の命を持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の御怒りがその上にとどまる。ヨハネ3章36節」と書いてある通りです。

 

御子を信じる者の中で、イスカリオテのユダやアナニヤとサッピラのように、御子に聞き従わない者は、神の御怒りがその上にとどまるのです。

 

それをプロテスタント福音派では、前半の御子を信じる者はクリスチャンで、後半の御子に聞き従わない者は「未信者」にすり替えているのです。

 

もしもクリスチャンと未信者の話であれば、「御子を信じる者は永遠の命を持つが、御子を信じない者は命を見ることがなく、神の御怒りがその上にとどまる。」というように「信じる者」に対して「信じない者」と教えるはずです。

 

まるで詐欺師のように唐突にすり替えてまで、「私は永遠の命を持っている」と断言をする者には、神の御怒りがその上にとどまると言われても弁解の余地はないでしょう。

 

また、「イエス・キリストを信じただけで永遠の命を持つ」ということではありません。

 

そういう者たちに対しては、「あなた方は誰でも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。ルカ14章33節の御言葉をないがしろにしてはいけません!」と警告されるでしょう。

 

つづく

 

 

 

「日本におけるキリスト教 56 クリスチャンになることと、聖霊を欺いているクリスチャンについて」

 

コメントで「アナニヤとサッピラが聖霊を欺いたので神に殺されたこと」について詳しく知りたいとありました。

 

アナニヤとサッピラのように、聖霊を欺いているクリスチャンを知ることは非常に重要ですので、これまでのまとめという形で、かなり重複しますが、聖書の教えから見ていきます。

 

 

聖書を読むと、「聖霊」と「永遠の命」は繋がっています。

 

「永遠の命とは、彼らが唯一のまことの神であるあなた(イスラエルの神・御父)と、あなたの遣わされたイエス・キリストとを信じることです。ヨハネ17章3節」

 

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来る時、その御霊がわたしについて証します。ヨハネ15章26節」

 

「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなた方をすべての真理に導き入れます。ヨハネ16章13節」

 

「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主です。』と言うことは出来ません。第一コリント12章3節」

 

 

つまり、イエス・キリストを信じてクリスチャンになるということは、イスラエルの神・御父の元から遣わされる真理の御霊=聖霊によるものです。

 

そして「御子イエス・キリストを信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。ヨハネ3章16」と教えられています。

 

さらに、イエスさまは、永遠の命を得るために次のように命じられました。

 

「もし、あなたが完全になりたいなら、あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。マタイ19章21節&マルコ10章21節&ルカ18章22節」

 

 

 

アナニヤとサッピラは、持ち物を売り払い、その代金すべてを使徒たちの足元に置いたと言いました。

 

それは、永遠の命を得るために完全なものとなることも意味します。

 

他の人々は、イエス・キリストが命じられた「永遠の命を得るために、持ち物を全部売り払うこと」は出来なかったこともあり、一人もこの初代教会の交わりに加わろうとしませんでしたが、クリスチャンたちを尊敬していました。(使徒5章13節)

 

ですが、アナニヤとサッピラは持ち物を全部売り払いましたが、一部を自分のために残していました。

 

真理の御霊=聖霊によって、真理に導き入れられ、イエス・キリストを信じた者であれば、真理の御霊=聖霊を欺くことは信じられないことです。

 

また、使徒たちや信者、人々をだまし欺いてまで、永遠の命を完全に得る者であることを認めさせることも、あり得ないことでしょう。

 

ですから、使徒ペテロが「アナニヤ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺き、人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」と言い渡したのも当然でしょう。

 

 

このアナニヤとサッピラが聖霊を欺いて、神に打たれたことは教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。(使徒5章11節)

 

現在のクリスチャンたちも同じです。

 

真理の御霊=聖霊によって、イエス・キリストを信じているクリスチャンは、聖霊を欺くことは絶対にしないことは、次のような教えがあるからです。

 

イエスさまは言われました。「だから、わたしはあなた方に言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。

しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。

 

また、人の子(イエス・キリスト)に逆らう言葉を口にする者でも赦されます。

 

しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、誰であっても、この世であろうと次に来る世であろうと赦されません。マタイ12章31~32節」

 

 

現在の日本では、すべてのクリスチャンは聖書を持って学んでいます。

 

アナニヤとサッピラのことで教会全体に非常な恐れが生じたことも当然知っています。

 

それゆえ、イエス・キリストを信じたクリスチャンが、自分の持ち物を色々と持っているのに、「私は救われて、永遠の命を得ています。」と言うことは聖霊を欺くことになると言えるでしょう。

 

もしも「聖書の正しい教え」として、持ち物を持ったままのクリスチャンが、「私はイエス・キリストを信じて、永遠の命を得ています。ですから、過去・現在・未来において犯すすべての罪は赦されます。

 

クリスチャンはどんな罪を犯しても赦されるのです。永遠の命を得ていて、その救いは取り消されることはありません。」というようなことを教えているならば、どうでしょう?

 

アナニヤとサッピラは、持ち物を全部売り払い、一部を自分のために残しておいたのですが、持ち物を色々と持ったままのクリスチャンならば、どうなるでしょう?

 

アナニヤとサッピラ以上に聖霊を欺き、聖霊を冒涜していると言われても弁解の余地はないと思えます。

 

 

日本の漫画では、「ワンピース」が国内累計発行部数が最高記録の4億1000万部を突破して、海外でも1億部を突破しました。

 

ですから、日本の漫画では、ワンピースが最も支持されている漫画と言われています。

 

そのワンピースの中で、「天竜人」という「最大の悪」が登場しています。

 

天竜人は「神」のような存在で、過去・現在・未来においても、どんな罪を犯しても赦されます。

 

そして、天竜人以外の人間や様々な生き物を地獄行きが相応しいというように認識していて、ひどい言葉やひどい行為を平然と行なうのです。

 

特に日本の漫画やアニメでは、「悪」の定義に多いのは、自分を神のようにして、自分以外を地獄行きが相応しいような者とする。そして、自分と自分に従う者たちは、どんな悪いことをしても、すべて赦されるというものです。

 

 

無教会(一部を除く)だけではなく、カトリック教会と正教会もクリスチャンは「救われている」「永遠の命を得ている」というような教えをしていないそうです。

 

イエス・キリストを信じたことがスタートラインというような教えのようです。

 

それは聖書にこのように教えられている通りです。

 

「しかし、神の人(クリスチャン)よ。信仰の戦いを立派に戦い、永遠の命を獲得しなさい。第一テモテ6章11~12節」

 

ですから、クリスチャンがイエス・キリストを信じて、持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分け与えてから、イエス・キリストに従っていても、まだ永遠の命を得ていないのです。

 

それは、イスカリオテのユダのように、すべてを捨てて、イエス・キリストにつき従っていても、サタンに心を奪われ、金銭を愛するという悪の根が芽生える者もいるからです。

 

ユダは、使徒たちの金を預かる役目を志願したのでしょう、その役目につき、いつも金を盗んでいました。

 

ですが、それだけでは不満になりました。

 

「十二弟子のひとりで、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行って、こう言った。

 

『彼(イエス・キリスト)をあなた方に売るとしたら、一体いくらくれますか。』

すると、彼らは銀貨30枚を彼に支払った。マタイ26章14~15節」

 

イスカリオテのユダは、サタンに心を奪われ、金銭をこよなく愛するようになり、ついにイエス・キリストを売り渡して、多くの金銭を手に入れようと考えて実行したのです。

 

 

聖書の教えでは、永遠の命を得るために完全になりたいのであれば、持ち物を全部売り払い、あらゆる悪の根である金銭を捨て去ることでした。

 

信仰の戦いを立派に戦い、人生の最後の最後まで、金銭を捨て去って、サタンに心を奪われることがないようにという教えです。

 

サタンに心を奪われ、金銭を愛して所有し、聖霊を欺いて、アナニヤとサッピラやイスカリオテのユダのようにならないようにするためです。

 

 

聖霊と永遠の命を得ることは繋がっています。

 

クリスチャンが、聖霊を欺いたり、永遠の命を得ることを欺いたりすることを教えていれば、神の御怒りがその上にとどまっていても当然だと思えます。

 

 

アナニヤとサッピラは、財産全部を捨てることは無理でした。

 

それなら、正直に話せば良かったと、使徒ペテロは言いました。

 

現在の日本に生活するクリスチャンは、持ち物を全部売り払うこと、財産全部を捨てて生活することは非常に困難です。

 

聖書の時代と違い、光熱費や家賃の支払いがあります。

聖書の時代と違い、大小便を道や公園などの公共の場で排泄すると軽犯罪法第一条27号で罪になります。

 

他にも色々とあります、次の機会で書きます。

 

無教会なら、イエスさまに正直に話して、人々にも正直に話します。

 

すると、イエスさまは、それに応じた普遍的な神の愛による聖書解釈と福音理解を与えてくださいました。

その普遍的な神の愛の聖書解釈と福音理解を伝えていくのです。

 

つづく

 

 

 

「日本におけるキリスト教 55 財産全部を捨てて、イエス・キリストに聞き従うことについて」

 

最近の記事は長文のつづきになっていますので、改めて繰り返します。

 

使徒パウロは「キリストを信じる信仰による義によって、私はキリストのためにすべてのものを捨てた」と言っています。

 

また、アナニヤとサッピラが一部の金を自分のために残したことは、聖霊を欺いた罪によって、神の御怒りを受けたことは教会全体と、その事を聞いたすべての人たちとに非常な恐れが生じましたが、現在に至っても非常な恐れが生じる教えになっています。

 

それゆえ、イエスさまが「財産全部を捨ててから、わたしについて来なさい。」と命じられたことに、人生の最後まで聞き従うことが、永遠の命を得るのに完全とされるクリスチャンです。

 

 

この「財産全部を捨てて、わたしについて来なさい。」という教えを排除して、「御子を信じる者は永遠の命を持つが、」という御言葉によって、「イエス・キリストを信じるだけで永遠の命を持つ」と結論づけているのが、プロテスタント福音派の教会の神学・聖書解釈と福音理解です。

 

そして「御子に聞き従わない者は、命を見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる」というのを「イエス・キリストを信じない者は、命を見ることがなく、神の怒りがその上にとどまり、永遠の火に投げ込まれる」というように、すり替えています。

 

すり替えることによって、「天国か地獄か」という福音となり、「財産全部を捨てて、わたしについて来なさい。」と命じられたことを除外することに成功しています。

 

なので、プロテスタント教会では、財産を持ったままで良しとなり、教会内でも、教会同士でも世の中と同じく「貧富の差」があり、様々な差別と不平等であふれています。

 

この、プロテスタント教会(内村先生は新教と言っています。)のすり替えて教えていることを、無教会の内村鑑三先生は痛烈に批判しています。

 

 

私は無教会となって、「財産全部を捨てて、イエスさまに聞き従う」ことの素晴らしさを見い出しています。

 

その事について、聖書を見ていきます。

 

イエスさまは十字架上ですべての人の罪を背負って死なれて、三日後によみがえられて、昇天される前に、地上でのラストメッセージを弟子たちに次のように伝えました。

 

「信じる人々には次のようなしるしが伴います。

 

すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。マルコ16章17~18節」

 

その詳細がいくつも聖書に書かれています。

その1つにルカ10章1~9節があります。

 

イエスさまは、12弟子とは別に70人を定めて、福音宣教に遣わせます。

「どの町に入っても、あなた方を受け入れてくれたら、出されるものを食べなさい。そして、その町の病人を治し、彼らに『神の国が近づいた。』と言いなさい。ルカ10章8~9節」

 

70人が町々で福音宣教を行なってから喜んで帰って来た時、イエスさまはこう言われました。

 

「わたしが見ていると、サタンが、稲妻のように天から落ちました。確かに、わたしはあなた方に、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなた方に害を加えるものは何一つありません。ルカ10章17~19節」

 

 

イエスさまが昇天された後の「初代キリスト教会」も同じです。

 

「また、エルサレムの付近の町々から、大勢の人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。使徒5章16節」

 

 

イエスさまが、「財産全部を捨てて、わたしについて来なさい。」と命じられたのは、クリスチャンは多くの人々の命と苦しみとから救う働きに遣わされるからです。

 

 

現在の日本に、聖書に書かれてある通りのクリスチャンがいれば、次のようになるでしょう。

 

クリスチャンは、イエス・キリストを信じて、財産全部を捨てて、イエスさまに聞き従う者であり、「イエスの御名」によって、すべての病人をいやす者です。

 

新型コロナウイルス禍においては、感染者だけでなく、濃厚接触者も仕事を何日・何週間も休まないといけませんでした。

また、ワクチン接種をしていない者は行動制限されたり、解雇されたりしました。

 

ですが、聖書に書かれてある通りのクリスチャンがいれば解決します。「イエスの御名」によってウイルス感染からいやされます。

 

新型コロナウイルスで亡くなられたお笑い芸人の巨匠「志村けん」さんや、他の癌などの病いで亡くなられてしまった名優の高倉健さん、田村正和さん、渡哲也さん、八千草薫さんたちも、聖書に書かれてある通りのクリスチャンがいれば、病いは癒されて、現在も活躍されていることでしょう。

 

急性白血病で亡くなられた夏目雅子さんも元気で活躍されているでしょう。

 

 

貧困家庭においては、介護が必要な親や伴侶の面倒に疲れ果てて、共に倒れてしまうことが社会問題になっています。

 

ですが、聖書に書かれてある通りのクリスチャンがいれば解決します。「イエスの御名」によって痴呆症や膠原病などの病いがいやされます。

 

また、小児がんセンターなども要望があるでしょうから、がん患者をすべて癒します。

 

心筋症で苦しみ、生きる可能性が40%と言われている幼児・子供たちも、すべての子がいやされます。

 

2003年には天皇陛下が前立腺がんの全摘手術を受けられました。2022年には現在の天皇陛下が前立腺肥大があって心配されましたが、聖書に書かれてある通りのクリスチャンがいれば安心します。

 

他にも福音派のクリスチャン「トランプ大統領」が新型コロナウイルスに感染した時など、「至急アメリカに来て欲しい!」と依頼があったことでしょう。

 

 

このように、すべての病いをいやせるクリスチャンは国宝級の世の光となります。

 

クリスチャンは少数なので、全国的にクリスチャン争奪戦が起こるでしょう。

 

それから、クリスチャンを拉致して身代金を請求することを考える悪人も想定できるので、SP(ボディーガード)がつけられるでしょう。

 

また、「こっちに来て病いをいやして!」「いや私のところが先だ!」という混乱を防ぐために、天皇一家のように、国が用意する場所で生活して、国の管理のもとで、病いをいやす働きをすることになるでしょう。

 

イエスさまは「その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。ルカ10章7節」と命じられました。

 

金銭は一切捨てていますが、飲み食いや宿泊する報酬を受けるのは当然です。

 

現在の日本では、日本人は「お・も・て・な・し」が常識です。

 

北海道から沖縄まで、行く先々では、国宝のクリスチャンたちに対して、最高の旅館・ホテルが用意されて、最高の食事が出されます。

 

無料で人々をいやす。人々に「イエスの御名によるいやし」を与え続ける。

 

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、ゆすり入れ、あふれるほどまでにして、ふところに入れてくるでしょう。ルカ6章38節」の御言葉通りになります。

 

 

クリスチャンは、財産全部を捨てて、金銭も持たないという信仰です。

 

なので、国は多くの人々の命を救い、病いの苦しみから救い出す働きのクリスチャンたちに対して、一切、お金がかからないようにするでしょう。

 

そして、その話を聞いて、お米や果物、飲み物、着る物、かばん、靴、車、自転車など、様々な物が送られてくるのが、日本人の特徴です。

 

また、マスコミは、様々な世界(経済界・政界・ビジネス界・スポーツ界・芸能界・歌謡界など)で活躍されている有名人と対談する企画を何度もするので、それも大切な仕事です。

 

その中で意気投合して、親友になる人もいるでしょう。

 

 

70代、80代、90代になって、主の働きが終わることになっても、それまでの功績によって、生活するために必要は一切満たされるでしょう。

 

神の国と神の義を求めなさい。そうすれば必要なものは加えられて、すべて与えられます。マタイ6章33節に書いてある通りです。

 

ですので、財産全部を捨てて、イエスさまに聞き従うことは、国民にとっても、クリスチャンにとっても驚くべき祝福なのです。

 

まさに、「あなた方は世界の光です。あなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い行ないを見て、天におられるあなた方の父をあがめるようにしなさい。マタイ5章16節」と教えられている通りです。

 

 

無教会になれば、そのような聖書解釈と福音理解によって生きることができるので感謝です。

 

ですから、現在の日本に、聖書に書かれてある通りのクリスチャンがいれば、財産を持ったままであったりということはあり得ません。

 

また、アナニヤとサッピラのように聖霊を欺いて、一部の金を残そうとしたりという、愚かなことをするのは、いるのかな?という感じです。

 

 

今は、病いをいやすことができないので、財産をすべて捨てると、たちまち路頭に迷います。一度すべてを捨てる信仰を行なった経験からです。

 

ですが、すべてを捨てて、イエスさまに聞き従うことは前述に書いた通りに、クリスチャンにとっても国民にとっても素晴らしい祝福になるという信仰で生きているクリスチャンを神さまは大きく用いられても不思議ではないと思います。

 

何事でも、神の御心にかなう願いをするならば、神はその願いを聞いてくださる。という御言葉があるからです。

 

つづく

 

「日本におけるキリスト教 54 クリスチャンは永遠の命を得ているのか?」

 

プロテスタント福音派の教会では、ウイリアム・ウッド牧師が断言した次の教えを、まさに聖書が教えているキリスト教の真髄であると「アーメン!」と拍手喝采します。

 

「聖書に基づいて、イエス・キリストを信じる者は救われますが、信じない者は滅びます。

 

御子を信じる者は永遠の命を得るが、御子に聞き従わない者は、命を見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネの福音書3章36節と聖書に書かれている以上、その真理を否定するような話をしてはなりません。」

 

 

私自身も、プロテスタント福音派の教会に在籍していた時は、その教えに洗脳されていたので、「アーメン!」と言っていたでしょう。

 

ですが、今は、アフガニスタンで殉教された中村哲先生のお蔭で、「無教会」のクリスチャンとなりました。

 

また、同じく福音派の教会から離れて、無教会のクリスチャンとなられたサザエさんの著者「長谷川町子」先生のように、聖書を一から自分自身で学びなおしました。

 

 

「永遠の命」について

 

「はっきり言っておく、わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方(イスラエルの神・御父YHWHヤハウェ)を信じる者は永遠の命を得、また、さばかれることなく、死から命へと移っている。ヨハネ5章24節」

 

「あなた方が聞いている言葉は、わたし(イエス・キリスト)の言葉ではなく、わたしを遣わされた父(イスラエルの神・御父YHWHヤハウェ)の言葉である。ヨハネ14章24節」

 

「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなた(イスラエルの神・御父YHWHヤハウェ)と、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。ヨハネ17章3節」

 

 

聖書のイエスの時代~初代教会の使徒、信者たちは皆、イスラエルの民ですから、イスラエルの神・YHWHヤハウェを信じていました。つまりユダヤ教信者です。

 

そして、イスラエルの民は皆、イスラエルの神YHWHヤハウェがお遣わしになるメシヤ(救世主キリスト)を待ち望んでいました。

 

それから地上のイスラエルの地において、イスラエルの神(御父YHWHヤハウェ)が遣わされた御子イエス・キリストが30才~33才まで福音宣教を行なわれたのです。

 

 

新約聖書4福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)に書かれている「イエス・キリストを信じる」とは

 

この「イエス・キリスト」をイスラエルの神が遣わされたメシヤ(救世主キリスト)ということを信じるか、信じないかということでした。

 

あのバプテスマのヨハネは、弟子たちに託して、イエスにこう言い送った。

 

「おいでになるはずの方は、あなたですか?それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか?マタイ11章2~3節」

 

ですから、イエスさまは何度もこのように訴えられています。

 

「イエスは叫んで言われた。『わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。ヨハネ12章44節」

 

 

そして、バプテスマのヨハネ、使徒、信者たちは、イスラエルの神を信じているので、イエス・キリストがイスラエルの神が遣わされたメシヤ(救世主キリスト)だと信じることができたのです。

 

 

すると、御子イエス・キリストの言葉を聞いて、御子を遣わされたイスラエルの神を信じたイスラエルの民は、永遠の命を得、さばかれることなく、死から命へと移っているのですが、それだけでは欠けている、完全ではないことを、イエスさまは明確に教えられたのです。

 

永遠の命を自分のものとして受けるため、完全になるために「あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。

 

そのうえで、わたしについて来なさい。ルカによる福音書18章22節&マタイによる福音書19章21節&マルコによる福音書10章21節」

 

使徒ペテロは代表して、そのイエスさまの永遠の命を自分のものとして得るための教えに聞き従っていることを伝えました。

「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。マタイ19:27&マルコ10:28&ルカ18:28」

 

 

その後、イエスさまがすべての人の罪を背負われて、十字架上で死なれて、三日後によみがえられ、昇天されてからも、その永遠の命を自分のものとして得るために、財産全部を捨てて、貧しい人々に分け与えることは同じでした。

 

イエス・キリストを信じる者の群れは、心と思いを一つにして、誰一人その持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有していた。(使徒4章22節)

 

ところが、アナニヤとサッピラは共謀して、持ち物を売り払った代金の一部を残しておき、代金のある部分を持って来て、使徒たちの足元に置きました。(使徒5章1~2)

 

そこで、使徒ペテロはこう言った。

 

「アナニヤ、どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ!」

 

アナニヤはこの言葉を聞くと、倒れて息が絶えた。

その後、妻のサッピラも主の聖霊を試したので、倒れて息が絶えました。

 

そのことは教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。使徒5章3~11節」

 

 

「人の子(イエス・キリスト)に言い逆らう者は赦されるが、聖霊を汚す者は赦されることはない。ルカ12章10節」

 

「しかし、聖霊を冒涜する者は、永遠に赦されず、永遠に責め苦を負う。マルコ3章29節」

 

「聖霊に逆らうことを言う者は、誰であっても、この世であっても、次の世であっても赦されない。マタイ12章21節」

 

 

イエスさまは永遠の命を自分のものとして得るために、財産全部を捨てて、貧しい人々に分け与えてから、わたしについて来なさい。と命じられました。

 

しかし、アナニヤとサッピラは、財産の一部を自分のために残しておきました。

それは聖霊を欺くことでした。

 

「聖霊」を欺く、逆らう、冒涜する者は、誰であっても永遠に赦されず、永遠の罪に定められて、永遠の責め苦にあうと聖書は明確に教えています。

 

アナニヤとサッピラは財産の一部を残して、聖霊を欺いたのです。

 

 

アナニヤとサッピラの件で、教会全体とすべての人に非常な恐れが生じたこともあり、教会の皆は、イエスさまが「財産全部を捨てて、貧しい人々に分け与えてから、わたしについて来なさい。」と命じられたことに聞き従いました。

 

クリスチャンの中で、イエスさまに聞き従わない者について、イエスさまはこのように教えています。

 

「御子に聞き従わない者は、命をみることがなく、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネの福音書3章36節」

 

クリスチャンの中で、アナニヤとサッピラのように御子イエス・キリストの教えに聞き従わず、財産の一部を自分のために残して、聖霊を欺く者たちは、命をみることがなく、神の怒りがその上にとどまるのです。

 

 

「御子を信じない者は」ではなく、「御子に聞き従わない者は」と書いてある通りです。

 

 

それから、聖書には永遠の命について、このように教えられます。

 

金銭の欲はすべての悪の根です。

金銭を追い求めているうちに信仰から迷い出て、様々のひどい苦しみで突き刺された者もいます。

 

しかし、神の人(クリスチャン)よ。あなたはこれらのことを避けなさい。

 

正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。

 

信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。第一テモテ6章10~12節

 

ですから、クリスチャンになって、人生の最後の最後まで、すべての悪の根である金銭をすべて捨てることも、永遠の命を手に入れることに必要不可欠です。

 

 

聖書の教えを字義通りに信じるのであれば、財産全部を捨てて、貧しい人々に分け与え、天に宝を積んでから、イエス・キリストに聞き従います。

 

しかし、財産全部を捨てることはできず、貧しい人々に分け与えることなく、すべての悪の根である金銭(財産)を少しでも持っていて死んだクリスチャンは、聖霊を欺いているのです。

 

聖霊を欺いている者たちは、神の怒りがその上にとどまっていて、永遠に赦されず、永遠の責め苦にあうと聖書は教えています。

 

 

このような聖書解釈と福音理解は、プロテスタント福音派の教会の神学・聖書解釈と福音理解に合わせたものであり、それが正しいのか確認したものとなります。

 

今回、プロテスタント福音派の教会の「聖書のみ」という聖書解釈と福音理解において、聖書から「永遠の命を得る」について調べてみました。

 

結果的に、プロテスタント福音派の教会が教えていることとはまるで違いますが、聖書のみで基づけば、このような聖書解釈と福音理解になった次第です。

 

もちろん、無教会の普遍的な神の愛の福音の聖書解釈と福音理解は、このような聖書解釈と福音理解とはまるで違うものになります。

 

つづく

 

 

「日本におけるキリスト教 53 キリスト教の中での争い」

 

前回記事では、プロテスタント福音派の教会から「普遍的な神の愛の福音」が「異端」と定められたり、批判非難されていることを伝えざるを得なかったのですが、まずはその理由を書きます。

 

「普遍的な神の愛の福音」は、イエス・キリストを信じていない人々を地獄行きに定めず、無教会の内村鑑三先生は「万人救済希望」の聖書解釈と福音理解です。

 

この「万人救済」を思わせる聖書解釈と福音理解は、プロテスタント教会、福音派にとっては「危険な教えの異端レベル」になるからです。

 

2020年12月に福音派の教会の大川牧師が「永遠と復活」という著書において「セカンドチャンス論」の聖書解釈を大々的に広めましたが、その事で福音派の教会の牧師や伝道師、信徒たちが激怒し、多くが大々的に反証を発信しています。

 

その代表的な一人ですが、福音派の教会のカリスマの1人「中川健一」牧師とタッグを組んでいる「ウイリアム・ウッド」牧師の反証の一部をピックアップして以下に引用します。

 

 

「御存じの方も多いかと思いますが、大川師は、日本で一番大きいプロテスタント教会(大和カルバリーチャペル)の牧師をしておられます。昨年の12月に、大川師は『永遠と復活』という本を出しました。」

 

「一般的に、このような教理は、「セカンドチャンス論」と呼ばれています。人が生きている間にイエス・キリストを信じなくても、死後に悔い改めの機会が与えられるとする教理ですが、

 

「この地上でイエス様と出会うことがなくても、どんな死に方をしても、死後そのまますぐに地獄に行く人はいない」というメッセージを、今後、「人生をかけて伝えなければならない」と大川師は述べています。

 

「しかし、この極めて重要な神学問題について考える時に、感情論に突っ走ってはいけないと思います。

あくまでも、聖書に基づいて冷静に、かつ慎重に判断することが必要です。

 

なぜなら、もしセカンドチャンスがなかったとしたら、その教理を語ることによって無数の魂を滅びに追いやることになるからです。」

 

「聖書に基づいて、『イエス・キリストを信じる人は救われますが、信じない人は滅びます』と語ることは、人を裁くことではありません。

それは、神が定められたことを正確に伝えることなのです。

 

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。(ヨハネの福音書 3章36節)

 

聖書のメッセージは明快です。福音は信じる者にとってはグッド・ニュースとなります。

 

一方、信じない者にとっては極めて厳しいメッセージですが、神の真理のすべてを正直に語ることがクリスチャンの務めであるはずです。

 

キリストを信じない者は、「すでにさばかれている」し、「いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる」と聖書に書かれている以上、その真理を否定するような話をしてはなりません。

 

以上、引用ここまで

 

 

また、他の福音派の大御所の「尾山令仁」牧師の聖書解釈と福音理解を紹介して反証しているクリスチャンたちもいます。その箇所を以下に引用します。

 

「聖書キリスト教会牧師であり、福音系の東京神学校を設立した尾山令仁牧師は、著書『死への備え』(いのちのことば社)の中で以下のように述べています。

 

「死ねば天国か黄泉かいずれかに行き、救われるチャンスは地上の一度だけで、地上で救われなければ、あとは永遠の報いと刑罰とが待っているだけ」(P86)

 

「キリストを信じないで死んだ人は、自分の罪のために、黄泉に下り、体の復活を待って地獄に入り、永遠の神の呪いのもとにある。死後の有り様は、生前に決定しており、死後、生きている者たちの願い(執りなし)などによって変更できない」(P87)

 

「死後、救いの機会があることを、聖書は教えていません。人間は死ぬ時にあったままの状態で、永遠に存在し続けるということです」(P107) 」

 

以上、引用ここまで

 

 

このように、プロテスタント教会、特に福音派では、生前にイエス・キリストを信じた人々は永遠の命を持ちます。

 

しかし、生前にイエス・キリストを信じていない人々に救いはない。永遠の滅び=地獄行きということを確信している聖書解釈と福音理解になります。

 

この聖書解釈と福音理解を長い歴史の中で終始一貫して教え続けているのですから、その教えを覆すような教えは「異端」になるわけです。

 

 

さて、私は長年、福音派の教会にいましたが、「イエス・キリストを信じれば永遠のいのちを持ち、生前にイエス・キリストを信じなければ永遠の滅び=地獄行き」と決めつけて、聖書を読むと、相当めちゃくちゃ矛盾だらけなことに気づきました。

 

それを見て見ぬふりをしていただけなのですが、今は無教会なので、その事について、正直に話すことができます。

 

まずは、この御言葉です。

 

「ヨハネによる福音書 5章24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」

 

イエス・キリストの御言葉を聞いて、イエス・キリストをお遣わしになった方(YHWHヤハウェ)を信じる者は、永遠の命を得て、裁かれることなく、死から命へと移っていると教えられているのです。

 

つまり、御子イエス・キリストを信じるのではなく、御父YHWHヤハウェを 信じる者は永遠の命を得るということです。

 

 

同じことがヨハネによる福音書12章44~45にも教えられています。

 

「イエスは叫んで、こう言われた。『わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。 わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである』

 

これも、イエス・キリストを信じるのではなくて、御子を遣わされた御父YHWHヤハウェを信じるのである。とイエスさまご自身が叫ぶほどに明確に教えられています。

 

つまり、永遠の命を得るということは、イエス・キリストを信じるということではなく、御父YHWHヤハウェを信じなければなりません。

 

すると「エホバの証人」の聖書解釈も正しくなってくると思えます。

 

私はこれまで、イエス・キリストを信じていますが、御父YHWHヤハウェについては何となく、ぼやけています。

そういうクリスチャンは多いと推測しています。

 

 

そして、最近の記事で何度も伝えているように、イエス・キリストを信じて、モーセの十戒を守るだけでは欠けている。

 

永遠の命を得るには、自分の持ち物全部売り払って、貧しい人々に分け与えて天に宝を積み、それからイエス・キリストについて来なさいと命じられているのです。

 

イエスの時代の使徒、初代教会の信者はすべて、財産全部を捨てて、貧しい人々と分け合い、使徒も信者も、富む人も貧しい人も、すべての人が平等となり、貧しい人が一人もいませんでした。

 

使徒パウロはキリストを信じる信仰による義によって、私はキリストのためにすべてを捨てたと教えています。

 

その教えの詳細が第一テモテの手紙6章8~に書かれています。

 

「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。 金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。

 

その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。 金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。

 

しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。

 

信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。

 

命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。

 

19 真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。」

 

使徒パウロは、神の人(クリスチャン)よ、金銭の欲がすべての悪の根で、この金に関わることを避けなさい。

その信仰の戦いを立派に戦い抜いて、永遠の命を手に入れなさい。と教えています。

 

つまり、聖書は明確に、神の人(クリスチャン)であっても、まだ永遠の命を手に入れていないと教えています。

 

そのために、すべての悪の根である「金」を捨て去らなければなりません。

 

ですから、聖書の神の人(クリスチャン)が貯金をしたりしません。

 

牧師が貯金をしたり、自分名義の牧師館や車を所有しているなど、あり得ません。

教会の建物を拡大したりするのに「金」を貯蓄するのも、あり得ないことです。

 

そのような者たちに対して、聖書は恐ろしいことを警告しています。

 

つづく