「日本におけるキリスト教 109 イエスの教えに聞き従うことについて」 | ルーク4のブログ

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「日本におけるキリスト教 109 イエスの教えに聞き従うことについて」

 

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「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。

 

もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。(申命記28章1~2,14~15節)」

 

そこで、イエスは言われた。「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。

 

彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。(ヨハネの福音書10章16節)」

 

 

聖書の約束は、神さまを信じた人たちが、神さまの御声(教え)に聞き従うので祝福されますが、神さまの御声(教え)に聞き従わないならば、のろわれるということです。

 

 

イエスさまは、大祭司たちに次のように明確に宣言されました。

 

「なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」

 

すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒瀆だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです」

 

イエスさまは、大祭司たちが生存中に「来臨する」と言われたのに対して、聖霊に逆らう大祭司は「神への冒涜だ」と、「来臨」を否定したのです。

 

 

その後、十字架上でイエス・キリストは死なれ、三日後に復活されて、天の父の右の座に着かれました。

そして、大祭司たちはステパノを殺します。

 

その聖書箇所です。

 

11 そこで、彼らはある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた」と言わせた。

12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕らえ、議会にひっぱって行った

 

大祭司は、「そのとおりか」と尋ねた。

2 そこでステパノは言った。「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父アブラハムが、ハランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて、

 

3 『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け』と言われました。

 

〈中略〉

 

35 『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか』と言って人々が拒んだこのモーセを、神は柴の中で彼に現れた御使いの手によって、支配者または解放者としてお遣わしになったのです。

 

36 この人が、彼らを導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年間荒野で、不思議なわざとしるしを行いました。

37 このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる』と言ったのです。

 

51 かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。

 

52 あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。

 

53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

 

54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。

55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」

 

57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。

58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。

 

 

聖書が書かれている時代の「イエス・キリストを信じない人々」というのは、イスラエルの民が待ち望む「メシヤ(救世主)」である主イエス・キリストを殺し、その預言者たちも殺して、救いの福音を妨げる者たちだということが、詳細に教えられています。

 

「ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。

 

彼らは、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げ、このようにして、いつも自分の罪を満たしています。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで窮みに達しました。第一テサロニケ2章15~16節」

 

このような者たちが、イエスさまの言われる「父親である悪魔の欲望を満たす者」であり、「聖霊に逆らう者」であり、「悪魔が蒔いた毒麦」です。

 

それゆえ、主イエスが来臨された時の最後の審判で、永遠の火に入るのです。つまり地獄行きです。

 

 

そして、その来臨の時ですが、信じない人が多いので何度も繰り返して伝えますが、

 

イエスさまは明確に、「なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」と断言されました。

 

つまり、主イエスを裁いた大祭司たちが生存中に「来臨」されたのです。

 

この教えは、弟子たちにも宣言されていますし、使徒パウロも一致していて、次のように断言しています。

 

「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

 

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

 

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。第一テサロニケ4章15~17節」

 

 

信じない人が多いために、また繰り返します。

 

聖書で使徒パウロを通した御言葉は明確にこのように教えられました。

 

「私たち(使徒パウロたち)は主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、」

 

「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」

 

 

主の御言葉通りに信じれば、つまり、主の御声(教え)に聞き従えば、主イエスの来臨は、主イエスを裁いた大祭司たちや、使徒パウロたちが生存中に成就しています。

 

そして、最後の審判が行われて、祝福されたイエスの羊たちは、空中で主と会い、それから永遠の命に入り、イエスの父の家に入りました。

 

それから、悪魔が蒔いた毒麦たちは、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入りました。

 

 

その主の来臨の日は、次のように詳細に教えられています。

「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。

 

彼は、すべての神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

 

その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。」

 

つまり、神殿(第二神殿)の中に、滅びの子が現われて座を設けますが、イエスさまの来臨の輝きをもって、滅びの子は滅びますので、滅びの子が出現している時に来臨されます。

 

 

以前の記事で紹介しましたが再度紹介します。

「Josephology」氏のブログ記事から

 

「ルカ19章44節の「訪れ」とは「主の来臨」に他ならない。さらにルカ21章21節において主イエス・キリストは、エルサレムが包囲されようとしている時にはその都を脱出すべきであると警告され、また地方にいる人々は山に逃げるべきでエルサレムがいかに堅固な都であろうとそこに入って籠城すべきではないとも警告された。

 

そしてルカによる福音書21章22節には、「それは書き記されていることがすべて成就される、報復の時だからである。」とあり、

 

ここにおいて主イエス・キリストは、エルサレムの滅亡(紀元七〇年)をもって旧約聖書の預言が全て成就し、旧約時代──すなわち、エルサレム神殿の時代が完全に終焉を迎えることを、明らかにされた。

 

引用以上

 

 

イエスさまが言われたように、第二神殿の終焉の時に、ダニエル書の預言が成就しています。

滅びの子が出現して、神殿の座に座り、神であることを宣言し、大患難時代が起きました。

 

 

そして、エルサレムの壊滅と共に,神殿を中心とする崇拝の取決めは終わりを告げました。

モーセの律法の特定な要求に従って再興されることはもうありません。

 

前回記事で詳しく書いた通り、エルサレムの地で「神殿」が再興されることは永久になくなりました。

 

 

なので、現在において「最後の審判で永遠の火に入れられた」

「悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ」

 

「悪魔が蒔いた毒麦」などという地獄行きの教えは必要がないことがわかります。

 

その聖書解釈と福音理解をしているクリスチャンたちは祝福されます。

 

聖書を読んでも、すべてのことに感謝できますし、心に愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制の実が結ぶようです。

 

 

しかし、「まだイエス・キリストの来臨は起きていない。

これから、イエス・キリストの来臨が起きるのです。」

 

「まだ、滅びの子は出現していない。これから、滅びの子が出現するのです。」という聖書解釈と福音理解をしていれば、次のようにのろわれたようになります。

 

現在、主イエスを裁いた大祭司たち、主イエスを殺し、預言者たちも殺してきた、聖霊に逆らう人々は実在しません。

 

なので、最後の審判において「永遠の火に入る人々」を新たに定めなければならなくなるのです。

 

それで多くのキリスト教会では、「現在のイエス・キリストを信じない人々」を最後の審判において、永遠の火に入る人々に定めました。

 

日本の場合ですと、約99%の人々はイエス・キリストを信じていないという状況です。

 

それは、私たちが祖父母を通して知り得る昭和か明治か大正の時代もそうでした。

そればかりか、クリスチャンはいなかったとされる時代も長くあります。

 

それゆえ、自分だけがクリスチャンになっても、家族、親戚、友達。恩師、尊敬する人々、お世話になっている人々、その全員がイエス・キリストを信じていない状況に悩み苦しみ続けることになります。

 

まさに「のろい」の中にいます。

 

 

さらに「これから反キリスト(滅びの子)が出現する」

 

「反キリストによる大患難時代が来る。その前に空中再臨が起きて、神の御心のクリスチャンだけが救われる」などという教えで、不安や怖れの日々を過ごしています。

 

まさに二重、三重の「のろい」の中にいます。

 

 

聖書のイエスさまの教えをそのまま信じれば祝福されます。

 

そして、「のろい」の中にいることはあり得ません。

 

次は、イエス・キリストを信じないという理由で、地獄行きではないという教えを、イエスさまと使徒パウロたちが明確に教えられていることを見ていきます。