「日本におけるキリスト教 110 聖書が教えるイエス・キリストを信じない人々について」 | ルーク4のブログ

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「日本におけるキリスト教 110 聖書が教えるイエス・キリストを信じない人々について」

 

前回109の続きです。

109の投稿は、既成の教会に所属する牧師やクリスチャンたちからは「異端の教えをする危険人物」だと判断されています。

 

ですが、一部の無教会のクリスチャンたちや、イエス・キリストを信じていない人々には非常に理解されている内容だと好評を得ています。

 

今回110とセットで読んでもらえれば、地獄行きに関する聖書解釈と福音理解に確信を得られる内容となっています。

 

 

さて、人がこの世で生きていれば「友達」と「友達ではない人」とに分かれてしまうものです。

 

また、その「友達ではない人」の中では、「自分に好感を持ってくださる人」と「自分を嫌っている(苦手な)人」とに分かれるものです。

 

その人が、自分を嫌っている理由として、生理的に嫌いとか、人気があるから嫌いとか理不尽な場合もあります。

 

そして、「自分に好感を持ってくださる人」と「自分を嫌っている(苦手な)人」とは、天と地ほどの違いがあります。

 

「自分に好感を持ってくださる人」とは出会いたいと思いますが、「自分を嫌っている(苦手な)人」とは二度と出会いたくないと思うからです。

 

 

聖書の教えも「イエス・キリストを信じた人々」と「イエス・キリストを信じない人々」とに分かれています。

 

その「イエス・キリストを信じない人々」の中では、「イエス・キリストに反対しない人々」と「イエス・キリストを殺すくらいに憎んでいる人々」とに分かれています。

 

そして、「イエス・キリストに反対しない人々」と「イエス・キリストを殺すくらいに憎んでいる人々」とは天と地獄行きほどの違いがあることをイエスさま御自身が明確に教えられています。

 

 

まずは「イエス・キリストに反対しない人々」についてです。

 

「イエスは弟子たちに言われた。 『わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。

 

あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。』マルコの福音書9章40~41節」

 

このように、イエスさまは、わたしたち(イエス・キリストとクリスチャン)に反対しない者は、イエス・キリストとクリスチャンたちの味方であり、

 

クリスチャンに水一杯でも飲ませてくれる人たちは、決して報いを失うことはありません。と明言されました。

 

そして「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と言われました。

 

 

今度は「イエス・キリストを殺すくらいに憎んでいる人々」についてです。

 

「そのとき、イエスは群集と弟子たちに話をして、こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。

ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。

 

彼らは言うことは言うが、実行しないからです。

 

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、

『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。

 

こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。

 

おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。

 

おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。マタイの福音書23章1~2、29~33節」

 

 

イエスさまと同様に、バプテスマのヨハネも次のように教えています。

 

「さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

 

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。

 

『まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。』マタイの福音書3章5~7節」

 

バプテスマのヨハネは、預言者たちを殺した者たちの子孫のまむしのすえたちに「必ず来る神の御怒り」を告げて、バプテスマ(洗礼)を授けませんでした。

 

 

このように、「イエス・キリストを信じない人々」において、「イエス・キリストに反対しない人々」と「イエス・キリストを殺すくらいに憎んでいる人々」とがあります。

 

そして、「イエス・キリストに反対しない人々」については「わたしたちの味方です。」と教えられました。

 

 

しかし、「イエス・キリストを殺すくらいに憎んでいる人々」については、「ゲヘナの刑罰(地獄行き)をどうしてのがれることができよう」と教えられているのです。

 

まさに、「イエス・キリストを信じない人々」においては、2つのタイプに分かれていて、その2つは、天と地獄行きのように明暗くっきりと分かれていることがわかります。

 

 

そして、イエスさまから「預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。

 

おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。」と言われた「悪魔が蒔いた毒麦」である「イエス・キリストを信じない人々」は、現在は存在しません。

 

注)世界には「聖書が教える悪魔が蒔いた毒麦」の模倣犯のような人々が存在していますが、この日本では出会ったことがないので、考慮していません。

 

 

つまり、模倣犯を考慮せずに、聖書の教えから判断すれば、この日本において、「イエス・キリストを信じない人々」というのは「イエス・キリストに反対しない人々」だけということになります。

 

現実にそうです。

 

自称で、預言者を殺した者たちの子孫であり、父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たすために、イエス・キリストとクリスチャンたちを殺したいぐらいに憎んでいる人と出会ったことがありません。

 

ですが、既成のキリスト教会において、牧師や神父の教えや言動と行動に深く傷つけられて、イエス・キリストとクリスチャンたちを憎んでいる人々はたくさんいます。

 

私自身も以前のプロテスタント福音派の教会で出会ったり、SNSで出会いました。知っているだけでも数百人はいますので、現実は数万人か数十万人か、もっといるかもしれません。

 

その、私が知っている数百人の人々に共通していることがあります。

 

それは「現在のイエス・キリストを信じない人々は、滅びに向かっていて、そのまま死ねば最後の審判で永遠の火に入る」という教えの教会で深く傷ついていました。

 

 

この日本では、「イエス・キリストが私と何の関係があるのか?」と言う人が圧倒的に多いです。

 

けれど、SNSやテレビや映画、キリスト教式結婚式場などで、聖書の「愛は決して絶えることはありません。神は愛です。隣人を愛せよ。神は耐えられない試練を与えない」などの教えを聞けば、心に響いたという声をよく聞きます。

 

つまり「イエス・キリストに反対しない人々」であります。

 

イエスさまは「その反対しない人々は、わたしたちの味方です。」と教えられました。

 

その「イエス・キリストに反対しない人々」を「地獄行き」に定める教えを聞けば、誰でも怒ったり、憎んだりしても当然なのです。

 

また、牧師や神父、クリスチャンたちにひどい目にあわされられてもそうです。

 

その牧師や神父、クリスチャンたちは間違った信仰により、神さまに逆らい、聖書の教えを曲解させて悪いことをしています。

 

けれど、自分たちは正しい信仰で、正しい聖書解釈と福音理解だと確信しているので、たちが悪すぎます。

 

それゆえ、そのひどい目にあわされた人々にとっては、クリスチャンやイエス・キリストを憎むようになっても当然です。

 

聖書の教えを信じれば、その人々が地獄行きに定められることはあり得ません。

 

次は、その事に関連して、この日本において、神さまに大きく用いられているクリスチャンたちの証を見ていきます。