「日本におけるキリスト教 108 聖書の神殿は終焉していることについて」
「さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。
霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。
だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。
なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。
この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。
まだわたしがあなたがたのもとにいたとき、これらのことを繰り返し語っていたのを思い出しませんか。テサロニケの信徒への手紙二2章1~4節」
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新約聖書に書かれている不法の者、つまり、滅びの子が出現して神殿に座り込む「神殿」とは、松田央神学博士のキリスト教研究「イエスと神殿」から抜粋して伝えます。
「イエスの時代の神殿は、ヘロデ大王の治世に修復されたものを指している。(ソロモン時代の神殿と王宮は焼き討ちにあった。列王記下25:1-9)
また、エゼキエル書40ー43章に従って建てられた。
イエスの生存中はまだ建設の途中であり、紀元64年、すなわちローマ軍によって永久に破壊されるユダヤーローマ戦争勃発の一か月前にようやく完成したのである。」
引用以上
松田神学博士は「神殿」はローマ軍によって永久に破壊されたと表現しています。
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「神殿は永久に破壊された」という理由について述べていきます。
プロテスタント教会や多くのキリスト教会では、「まだ不法の者、つまり、滅びの子は出現していない。これから出現するのです。」という聖書解釈と福音理解です。
それゆえ、これから「第三神殿」が建設されなければならなくなります。
佐野剛史(一般社団法人クリスチャンコモンズ代表理事)のブログ「終末預言を読み解く:第三神殿の再建」から抜粋します。
「ソロモン王の建てた第一神殿には、神の臨在(シャカイナグローリー)がありました(2歴代誌7:1~3)。
バビロン捕囚後に総督ゼルバベルが建てた第二神殿には、主の臨在はありませんでしたが、主の祝福が約束されていました(ハガイ2:1~9)。
しかし、第三神殿には、主の臨在も、主の祝福の約束もありません。イザヤ66:1~4には、次のような主のことばが記されています。
1 【主】はこう言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたがわたしのために建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。
2 これらすべては、わたしの手が造った。それで、これらすべては存在するのだ。──【主】のことば──わたしが目を留める者、それは、貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ。
3 牛を屠る者が、人を打ち殺す者。羊をいけにえにする者が、犬の首を折る者。穀物のささげ物を献げる者が、豚の血を献げる者。乳香を記念として献げる者が、偶像をたたえる者。実に彼らは自分の道を選び、そのたましいは忌まわしいものを喜ぶ。
4 わたしも彼らを厳しく扱うことを選び、彼らに恐怖をもたらす。それは、わたしが呼んでもだれも答えず、わたしが語りかけても聞かず、わたしの目に悪であることを行い、わたしの喜ばないことを選んだからだ。」
ここでは、神殿を建てる者への祝福や励ましのことばはありません。むしろ、厳しい叱責の言葉があります。
それは、神殿を建てる人々が、主が語ったみことば(聖書)に聞き従わないためです。
神殿では、祭壇で牛、羊、穀物、乳香などをささげますが、そうしたものがすべて、豚の血や偶像など汚れた忌まわしいものと見なされます(3節)。
第三神殿は、反キリストが神性宣言を行う『反キリストの神殿』となり、神に真の礼拝をささげる場所とはなりません。」
引用以上
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聖書を読めばわかりますが、聖書には第三神殿への記述はありません。それなのに第三神殿は建設されるという思考を持てば、
「第三神殿は、反キリストが神性宣言を行う『反キリストの神殿』となり、神に真の礼拝をささげる場所とはなりません。」と言わざる得ません。
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さらに、神殿が再建されない大きな理由があります。
「目覚めよ!」のブログ記事「聖書の見方 奇跡的な霊の賜物はやみましたか」の中で次のように説明しています。
「しかし今日では,崇拝に関する変化が起きたことを証明するための奇跡的な賜物は必要ではありません。
たとえエルサレムの神殿がまだ存在しているとしても,アロンの家系の出で,聖所で務めを行なう資格があると言えるユダヤ人はだれもいないからです。
ですから,モーセの律法に記されている神殿での奉仕を行なうことはできません。なぜですか。それはモーセの律法が,アロンの家系でない者が祭司の務めに携わることを禁じていたからです。(民数 3:10; 18:7)
西暦前六世紀にバビロン捕囚から帰還したものの,アロンの家系に属することを証明できなかったある人々が,祭司として奉仕するのを禁じられたのは,そうした理由からでした。―エズラ 2:61,62。
それで西暦70年のローマ人の軍隊によるエルサレムの壊滅と共に,神殿を中心とする崇拝の取決めは終わりを告げました。
モーセの律法の特定な要求に従って再興されることはもうありません。
真の崇拝がもはやエルサレムの実際の神殿に依存していないこと,また「霊と真理をもって」イエス・キリストを通して近づくのを至高者が望んでおられることを証明するための奇跡は,必要とされなくなりました。―ヨハネ 4:23,24; 14:6。
また次の点も注目に値します。すなわち,奇跡的な霊の賜物はそれらが一時的なものであることを示唆するような仕方で伝授されたということです。
聖書の示すところによると,奇跡的な賜物は使徒パウロや,12使徒の一人あるいは数人のいる前で与えられました。―使徒 2:1,4,14; 10:44-46; 19:6。」
引用以上
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もしも、エルサレムで神殿を新たに建設したとしても、モーセの律法が,アロンの家系でない者が祭司の務めに携わることを禁じているために、モーセの律法に記されている神殿での奉仕を行なうことは出来ないのです。
それゆえ、これからエルサレムで神殿を建設しても、「聖なる場所」ではなく、第二神殿のレプリカの公共施設ということになります。
そして、世界中のユーチューバーたちがそのエルサレムの第二神殿のレプリカの公共施設に押し寄せて、「聖なる場所に立ち、私がイエス・キリストです!」と宣言する聖書の預言のパロディ動画を撮影して拡散することになるでしょう。
まして、そのような神殿を真似した公共施設に滅びの子(反キリスト)が出現しても、もはやお笑いであり、茶番劇のようです。
なので、モーセの律法に反して、神の臨在も神の祝福もなく、聖なる場所でもない「第三神殿」が建設されることはあり得ないでしょう。
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ですから、第二神殿の時に滅びの子が出現して、神殿に座り込み、ダニエル書の預言が成就し、大患難時代がありました。
そして、クリスチャンとして、このイエスさまの御言葉を心に持ち続けて、イエスさまの預言が成就したことを信じます。
「偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる』と言いました。」
そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
しかし、イエスは黙っておられた。それで大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒瀆だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。マタイによる福音書26章61~65節」
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聖書の中で、イエスさまが言われた通りに、大祭司たちが生存中に、主イエス・キリストの来臨を見たのです。
そして、聖書に教えられている通りに、主の来臨時に、パウロたちは空中で主イエスと会いました。
神殿は壊されて、イエスの来臨があり、羊と山羊とに分けられて、最後の審判が行われました。
イエスの羊たちは新しいイエス・キリストの体である神殿にいるのです。
「イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』
それでユダヤ人たちは、『この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか』と言った。
イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。
イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。ヨハネによる福音書2章19~22節」
神殿について聖書を見ていけば、イエスの来臨にも繋がります。
使徒パウロが教えている通りに、だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。