「日本におけるキリスト教 102 主イエス・キリストの再臨は成就されています。」
前回で、再臨について、使徒パウロの預言の御言葉を見ていきました。
「主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たち(使徒パウロたち)が」
「次に、生き残っている私たち(使徒パウロたち)が、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」
この使徒パウロの預言の御言葉を次の御言葉によって、私的解釈をせずに、そのまま、使徒パウロたちは主の再臨まで生き残って、引き上げられて空中で主イエスと出逢っていると信じました。
「聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神のことばを語ったのだからです。第二ペテロ1章20~21節」
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そして、今回は主イエスさま御自身の再臨についての預言の御言葉を見ていきましょう。
「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。
まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。』マタイによる福音書16章24~28」
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イエスさまは、弟子たちにこのように明確に預言されました。
「まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」
つまり、弟子たちの中で、イエスさまの再臨を見るまでは、決して死なない人々がいると言われているのです。
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それから、イエスさまは、イエスさまを裁く大祭司たちにも次のように預言されました。
「それで大祭司はイエスに言った。『私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。』
イエスは彼に言われた。『あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。』
すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。『神への冒瀆だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。どう考えますか。』
彼らは答えて、『彼は死刑に当たる』と言った。
そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、こう言った。『当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。』
マタイの福音書26章63~68節」
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「しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。
大祭司は再び聞きただして言った、『あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか』。
イエスは言われた、『わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう』。
すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、『どうして、これ以上、証人の必要があろう。
あなたがたはこのけがし言を聞いた。あなたがたの意見はどうか』。
すると、彼らは皆、イエスを死に当るものと断定した。マルコによる福音書14章61~64節」
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ここでも、イエスさまは再臨のことについて、このように明確に預言されました。
「なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
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このイエスさまの再臨についての預言は、次のような経緯があった議会で言われたことです。
「『しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。』
そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。
イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。マタイによる福音書26章56~57節
この議会の後、総督はイエスをムチ打ってから、十字架につけるために引き渡しました。
そしてイエスさまは、十字架上で死なれ、三日後によみがえられて、弟子たちに会われて御言葉を教えられてから、天にいる神の右の座に着かれます。それから天の雲に乗って、地上に来られるのが再臨です。
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イエスさまは、大祭司カヤパ、律法学者、長老たちにこのように明確に預言されたのです。
「なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
そして、弟子たちにはこのように明確に預言されました。
「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。
まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」
このイエスさまの再臨についての預言を信じるならば、紀元33年頃にイエスさまを捕らえて議会を開いた大祭司カヤパ、律法学者、長老たち、そしてイエスさまの弟子たちは、イエスさまの再臨を見たのです。
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もしも、「まだイエス・キリストの再臨は実現していません。これからです。」と教える人たちがいるなら、イエスさまの再臨についての預言を否定しています。
また、大祭司が「神への冒瀆だ。あなたがたは今、神をけがすことばを聞いたのです。」と言ったことが正しかったと認めていることになるでしょう。
なぜなら、大祭司たちは、人の子(イエス・キリスト)が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、見なかったということになりますから。
ですから、「イエスさまの再臨はこれからです。」という教えは、非常に恐ろしい教えになると思います。
聖霊を冒瀆していることになっているのではないでしょうか。
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このような聖書解釈と福音理解をしていれば、既成のキリスト教会の牧師、伝道師、宣教師、信徒リーダー、クリスチャンたちから「異端」扱いされると聞きました。
さらに、すべてのキリスト教会を敵に回すということも聞きました。
そういう既成のキリスト教会における異端扱いや敵に回すことは、私には一切関係がありません。
なぜなら、私は無教会のクリスチャンで、既成のキリスト教会の人たちとは現在、一切関わりがないからです。
また、私が現実に会って関わっている人は皆、イエス・キリストを信じていない人たちです。
そして、既成のキリスト教会に深く傷ついて、教会から離れた人たちとはブログ記事を通して関りがありますが、私の聖書解釈と福音理解に光を見い出されたということでした。
それから、アフガニスタンで殉教された中村哲先生のように、既成のキリスト教会から批判されても「私が本当のクリスチャンです。」と堂々としていればいいのですから。
繰り返して言いますが、私はイエスさまの再臨についての預言の御言葉と、使徒パウロの預言の御言葉を、そのように成就したと固く信じています。
ですから、「反キリスト」とか、「大患難時代」とか、「携挙」とかの教えで非常に恐れて、不安な日々を過ごしたりしませんし、また、惑わされることもありません。
その聖書解釈と福音理解をこれからも教え続けるクリスチャンです。