「日本におけるキリスト教 101 聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない」 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教 101 聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない」

 

今朝、就寝時に、人生で初めて御言葉が何度も響き渡る経験をしました。

 

それがこの御言葉です。

「 何よりも次のことを知っていなければいけません。

すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

 

なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神のことばを語ったのだからです。第二ペテロ1章20~21節」

 

この御言葉を忘れずに、今回のブログ記事を読んでくださらなければ、理解することは出来ないと思われます。

 

ちなみに、前回のブログ記事に「いいね!」してくださった方々が思ったより多かったので、これからの日本のキリスト教会にも希望があると思いました。

 

今回の内容は、既成のキリスト教会の神学(聖書解釈と福音理解)を覆す内容になっています。

 

 

それでは本題に入ります。

 

前回記事で「大患難時代」は既に終わっていると伝えました。

 

パウロはキリストの来臨の時のことを次のように教えました。

 

「だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。

 

なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。

 

この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。テサロニケ人への手紙第二2章3~4」

 

この教えはイエスさまの教えです。この教えをイエスさまとパウロが教えた時期はいつか、それはエルサレム神殿(第二神殿)が建っていた時期でした。

 

(第二神殿は、紀元前516年から紀元後70年までの間エルサレムの神殿の丘に建っていたユダヤ人の重要な神殿である)

 

つまり、イエスさまと使徒パウロが一致した預言は、「荒らす憎むべき者である滅びの子は、エルサレム神殿(第二神殿)に座を設けて、それから大患難時代(三年半)に突入し、その大患難時代の終わりに、イエス・キリストの来臨の日が来るのです。

 

 

そして、前回記事で伝えたように、荒らす憎むべき者である滅びの子が、エルサレム神殿(第二神殿)を占拠し、紀元66年~70年における大患難時代に入り、エルサレムとエルサレム神殿(第二神殿)は破壊されました。

 

以後エルサレム神殿は再建されることはなく現在に至ります。

 

 

使徒パウロは伝承によれば「紀元65年頃、皇帝ネロに処刑されて殉教」ということが全世界の教会に宣べ伝えられて、そのように信じられています。

 

しかし、聖書の教えは「使徒パウロの預言」として、次のように明確に教えられているのです。

 

「私たち(使徒パウロたち)は主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

 

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

 

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。テサロニケ人への手紙第一4章15~18節」

 

 

使徒パウロはこのように明言しています。

「主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たち(使徒パウロたち)が」

 

「次に、生き残っている私たち(使徒パウロたち)が、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」

 

 

さて、前述にこの御言葉を忘れずにと伝えました。

 

「聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

 

なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神のことばを語ったのだからです。第二ペテロ1章20~21節」

 

つまり、人間の意志ではなく、聖霊に動かされた使徒パウロが預言したことを信じることが、真のクリスチャンです。

 

ですから、使徒パウロたちは、紀元66~70年の大患難時代後に、生き残っていて、たちまち、よみがえったキリストにある死者たちといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会われたのです。

 

そして、使徒パウロたちは、肉の死を体験することなく、いつまでも主とともにいるのです。

 

その聖書に書かれているイエスさまと使徒パウロの預言を信じます。Amen!!!

 

 

ところが、まだ大患難時代や主の来臨はまだ来ていないと教えると、どういうことになるでしょう?

 

明らかに、イエスさまと使徒パウロは、滅びの子はエルサレム神殿(第二神殿)に立ち(座り)あらゆる悪の欺きが行われる。

 

その時には、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難(大患難時代)となる。と教えられました。

 

そして、その通りの大患難時代が起きました。そしてエルサレムとエルサレム神殿(第二神殿)は破壊されて、エルサレム神殿(第二神殿)は、わずかに嘆きの壁があるだけです。

 

そんな嘆きの壁に滅びの子が現われても、誰も相手にしないでしょう。

 

また、「これから第三神殿が建つんだ」という教えもありますが、そんなことを聖書のどこにも教えていませんし、現実に建ってはいないのです。

 

 

さらに、そのような教えは、使徒パウロの預言に私的解釈を施し、使徒パウロの預言は虚言ということになり、聖霊を欺いていることになります。

 

また、使徒パウロたちではなく、現在の私たちが、生きたままで、よみがえったキリストにある死者たちといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うことになる。という教えとなり、

 

使徒パウロたちよりも、現在のクリスチャンたちのほうが特別な主の恩計らいにあずかることができるということになります。

 

なんて傲慢すぎると思いませんか、

 

現在の牧師やクリスチャンたちは、イエスさまから御言葉と預言を授かり、あの大迫害、大患難時代を信仰によって乗り越えられた使徒パウロたちよりも優れているでしょうか?

 

そして、反キリストと大患難時代がこれから来るぞ!という恐怖の教えで、多くの平信徒や求道中のクリスチャンたちを苦しめているのです。

 

 

旧約聖書の中で、生きたまま空中に引き上げられて、神に逢えるという特別な神さまの恩計らいをあずかったのは、エリヤとエノクだけです。

 

そして新約聖書では、使徒パウロたちです。

 

(これは私的解釈になりますが、おそらく使徒ペテロたちの中でも恩計らいにあずかった使徒がいるのではないかと推測しています。)

 

 

以前は私自身も、大患難時代と主の来臨はこれからだという教えを信じさせられていました。

 

なので、以前のブログ記事に間違ったことを教えていたのでお詫びします。

今朝、神さまから直接、そのことを教えられました。

 

これからは、聖書の預言に私的解釈を施す教えを退けて、ただ聖書の御言葉と預言を誠実に忠実に伝えていきますので、よろしくお願いいたします。