「日本におけるキリスト教 96 聖書が教える異邦人について」 | ルーク4のブログ

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「日本におけるキリスト教 96 聖書が教える異邦人について」

 

聖書は「異邦人」について次のように教えています。

「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。ガラテヤ人への手紙2章15節」

 

そして「異邦人」といっても、それぞれ違いがあり、それゆえ、それぞれへの教えがまるで違うことを「聖書」は明確に教えているのです。

 

前回記事の「エフェソ人」への手紙では「生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」と教え、さらに次のように厳しく警告しています。

 

「悪魔に機会を与えてはいけません!エフェソへの手紙4章27節」

「神の聖霊を悲しませてはいけません。エフェソへの手紙4章30節」

 

前回記事で詳細に伝えましたが、当時のエフェソ人の実態を知れば、当時のエフェソ人は地獄に行くと言われても当然だと思いますが、なんと、そこまでは言われていないのです。

 

 

それでは次に聖書に書かれている当時の「異邦人」について見ていきます。

 

まずは、「コリント人」の実態を見てみましょう。

 

その事について、プロテスタント教会とは違って、「ものみの塔」は誠実に調べて次のようにまとめて教えています。

 

「コリントの町は高さ566メートルの岩山のふもとにあります。この岩山の頂上の平地に,コリントの城砦がありました。

 

ここにはまた,肉欲の愛の女神アフロジテあるいはヴィーナスの神殿がありました。

コリント人は他にも多くの神を崇拝しましたが,女神への献身は最も深いものでした。

 

1,000人もの女官は売春婦として女神に仕えていました。

 

この事は,コリントが不道徳な町として知られた大きな原因となっています。

 

金持ちの男は,この女神に仕えさせるため自分の所有する一番美しい女奴隷をささげる事を名誉と考えました。

 

偶像崇拝と堕落した不道徳に囲まれたコリントのクリスチャンには,神の前に清さを保つため,強い戒めが必要でした。

そのため使徒パウロは彼らに宛てた手紙の中で,偶像崇拝と道徳の汚れを強く戒めました。―コリント前 5,6章。コリント後 6:14-18。

 

 

「聖パウロの足跡をたどる」という本はこう述べています。「そのような二つの港に挟まれたコリントは,洗練された国際都市として発展する一方で,港に停泊する外国船から持ち込まれる様々な悪徳にまみれるようになった」。

 

東と西からの大小さまざまな悪徳がコリントで融合しました。

 

その結果,コリントは道徳的退廃と放縦の都市,古代ギリシャで最も不道徳でみだらな都市となりました。

 

「コリント風に生きる」という表現が,不道徳な放とう生活を送るという意味で用いられるようになっていたほどです。

 

この好色的な生き方は,コリント人の行なった崇拝,とりわけ女神アフロディテ(ローマ人のウェヌス[ビーナス],フェニキア人やカナン人のアスタルテ,およびバビロニア人のイシュタルに対応する女神)の崇拝の所産でした。

 

こうした物質主義的で不道徳な風潮は,クリスチャンの霊的健康を脅かしました。」

 

引用以上

 

 

次に聖書に書かれている当時の「テサロニケ人」の実態を見てみましょう。同じく、ものみの塔の記事から引用します。

 

テサロニケには,ゼウス,アルテミス,アポロといったギリシャの神々や,エジプトの神々の神殿が数多くありました。

 

皇帝崇拝も盛んで,市民は皆その儀式に参列しなければなりませんでした。そうしないことは,ローマに対する反逆とみなされました。

 

偶像崇拝によって,甚だしい不道徳が蔓延するようになりました。

 

テサロニケの守護神カベイロス,ディオニュソスとアフロディテ,およびエジプトのイシスなどの崇拝には,乱飲乱舞の儀式や浮かれ騒ぎを事とする性的色彩の濃い崇拝という共通点がありました。

 

妾を囲うことや売春が大っぴらに行なわれました。

 

民衆にとって淫行は罪ではありませんでした。

 

そこはローマの文化に影響された社会で,ある文献によると,「人の欲望を満足させる仕事に携わる男女が大勢いて,市民はそのサービスを利用でき,医者たちも,そうした欲望を抑えるべきではないと助言した」のです。

 

ですから,パウロがテサロニケのクリスチャンたちに,「淫行を避ける」よう,また「貪欲な性欲」や「汚れ」を避けるよう訓戒したのも無理はありません。―テサロニケ第一 4:3-8。

 

引用以上

 

 

次は聖書に書かれている当時の「ガラテヤ人」について見ていきます。同じく、ものみの塔の記事からです。

 

「この手紙(ガラテヤ人への手紙)は、パウロの時代のガラテアの人々の多くの特徴を反映しています。

 

北方から来たガリア系のケルト人が西暦前3世紀にこの地域を侵略したため,この地にはケルト人の影響が色濃く見られました。

 

ケルト人,またはガリア人はどう猛で野蛮な民族とみなされ,彼らは戦争捕虜を人身供犠としてささげたと言われています。

 

ローマ文学の中でも,彼らは多くの儀式を好む,非常に感情的で迷信深い民族として描写されており,この宗教的な特徴が,キリスト教のような,儀式のほとんどない崇拝様式から彼らを離れさせる影響力になっていたものと思われます。

 

引用以上

 

 

さらに、ゼノ哲学さんのブログ記事から引用します。

 

「時は紀元前278年。ガラテアはアナトリア現在のトルコ中北部の地域でケルト系ガリア人が定住しました。「ガリア」はギリシャ語で、ラテン語では「ガリ」と呼ばれたようです。

ガラテアに移住したケルト人はガラテア人と呼ばれるようになります。

 

ガラテヤ人は徐々に周囲の人々と同化し、シリア・ギリシャやフリギア人の習慣や服装を取り入れ、様々な王国や諸侯国の傭兵として、今日まで受け継がれている伝統的な役割を繋いできました。

 

3部族の全ての州300人の代表からなる元老院に対して責任を負わなければならず、ドル ネメトンと呼ばれる神聖な場所で定期的話し合われました。

 

ちなみにネメトンというのは、ネメトン(複数形:ネメタ)は古代ケルト宗教の異質な神聖な空間とされている場所です。

 

ネメトンには鳥も巣をつくらず、動物も近くに潜んでいなかった。そよ風もないのに、葉は絶えず震えている。

すべての木は犠牲の血で染まっていた。大地はうめき、枯れた針葉樹は蘇り、消費されなかった木々は炎に包まれ、巨大な蛇が樫の木に絡みついていた。

 

人々は木立に近づくことを恐れ、司祭でさえ、神の守護者に会わないよう、真昼や真夜中にそこを歩こうとはしなかった。

 

ローマ軍将校の義理の息子で、おそらく最初のローマ軍のアングルシー侵攻の目撃者であろうタキトゥスは、ローマ軍が(ガラテヤに)上陸したとき、次のように報告している。

 

海岸には、武装した戦士が密集した敵軍が立ちはだかり、隊列の間には、髪を乱し、烙印を振りかざした、フューリーのような黒い衣装を着た女たちが飛び交っていた。

 

周囲では、ドルイド教徒が両手を天に掲げて恐ろしい呪文を唱えており、見慣れぬ光景に兵士たちは怯え、まるで手足が麻痺したかのように立ちすくみ、傷だらけになった。

 

その後、将軍の呼びかけと、熱狂的な女たちの群れの前ではくじけないという互いの励ましに後押しされ、彼らは軍旗を掲げて前進し、すべての抵抗を打ち破り、敵を自らの焼き印の炎で包んだ。

 

次に、征服された人々の上に軍隊が配置され、非人間的な迷信に捧げられた木立が破壊された。

 

彼らは祭壇を捕虜の血で覆い、人間の内臓を通して神々に相談することを義務としていた。

このような場所の記述は、ケルト世界のいたるところで発見されている。

 

引用以上

 

 

このように、聖書に書かれている当時の「異邦人」たちの実態を知れば、使徒パウロが「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。」というのも非常に理解が出来ます。

 

そして、聖書に書かれている当時の「異邦人」たちと「現在のイエス・キリストを信じない異邦人」とはまったく違うことがわかります。

 

また「偶像崇拝」などについても現在とはまったく違うのです。

 

 

ところが、「イエス・キリストを信じない人々は地獄へ行く」という聖書解釈と福音理解では、

 

「現在のイエス・キリストを信じない人々」というのは、

 

聖書に書かれている当時の「蛇ども、まむしの末ども、お前たちは、地獄の刑罰を免れることができない」とイエスさまが言われた律法学者とファリサイ派の人(パリサイ人)たちであり、

 

主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、 異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げて、いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているために、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます。と言われたユダヤ人たちであり、

 

聖書に書かれている当時の「あらゆる種類の悪霊崇拝の中心地で、様々な形態の魔術が行なわれていることで世界中に知られていて、悪霊が特に活発に働いている様々な種類の悪霊崇拝が行なわれていたエフェソ人」たちであり、

 

聖書に書かれている当時の「肉欲の愛の女神アフロジテに献身して、1,000人もの女官は売春婦として女神に仕え、不道徳な町として知られ、古代ギリシャで最も不道徳でみだらな都市となったコリント人」たちであり、

 

聖書に書かれている当時の「偶像崇拝によって,甚だしい不道徳が蔓延するようになり、乱飲乱舞の儀式や浮かれ騒ぎを事とする性的色彩の濃い崇拝をして、妾を囲うことや売春が大っぴらに行なわれて、民衆にとって淫行は罪ではなかったテサロニケ人」たちであり、

 

聖書に書かれている当時の「どう猛で野蛮な民族とみなされ、古代ケルト宗教の異質な神聖な空間とされている場所ネメトンで犠牲の血で染まり、祭壇を捕虜の血で覆い、人間の内臓を通して神々に相談することを義務としていたケルト世界のガラテヤ人」たちであり、

 

というように、「現在のイエス・キリストを信じない人々」を、聖書に書かれている当時のイエス・キリストを信じない人々(ユダヤ人、ファリサイ派の人(パリサイ人)、異邦人)と同じように教えることは、

 

現在のイエス・キリストを信じない人々は、非常に相当に激しく超絶に恐ろしすぎる「罪人」と教えていることになるのです。

 

長くなったので、次回へ続く