「日本におけるキリスト教 95 生まれながら神の御怒りを受けるべき子らについて」
前回記事の中で、パウロはイエスさまが蒔いた良い種と伝えました。
その事が聖書に次のように明確に教えています。
「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。
わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。 また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。
しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、
御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、ガラテヤの信徒への手紙 1章13~16節」
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使徒パウロは、母の胎内にある時から神に選ばれていました。
その教えは、エフェソの信徒への手紙 1章でも教えています。
「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。エフェソの信徒への手紙 1章3~5節」
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しかしながら、使徒パウロは、イエスさまが、「蛇ども、まむしの末どもよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。」と告げられたファリサイ派の人(パリサイ人)の家系で生まれ育ったのです。
それは、童話「みにくいアヒルの子」のように思えます。
実は白鳥の子が、アヒルの子として生まれ育ち、同じアヒルと思えない「みにくいアヒル」として差別されていました。
使徒パウロは、実は、母の胎内にある時から神に選ばれている「イエスさまが蒔いた良い種」なのですが、悪魔が蒔いた悪い者の子たち毒麦の中で生まれ育ち、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていたのです。
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その事について、前述のエフェソの信徒への手紙 1章の続きの2章で詳細に教えられています。
「さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、
ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― エフェソの信徒への手紙 2章1~4節」
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使徒パウロは、「蛇ども、まむしの末どもよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。」と告げられたファリサイ派の人(パリサイ人)として生きてきました。
まさに、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
そして、このエフェソの人々も同じだったのです。
その事について色々調べてみると、詳しく教えているのが「ものみの塔」だったので、そこから引用します。
ちなみに、プロテスタント教会では都合が悪いのか、詳しくは教えているところを見つけることは出来ませんでした。
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「エフェソス(エフェソ)」は異邦人の中でも,放とうやみだらな行ない,つまり甚だしい不道徳で知られた都市でした。
ギリシャ人もアルテミスを崇拝していました。しかし,エフェソスで崇拝されていたアルテミスはギリシャのアルテミスと同じではなく,幾分似ていたにすぎません。
ギリシャのアルテミスは狩猟と出産の処女神でした。エフェソスのアルテミスは多産の女神です。
エフェソスにあったその巨大な神殿は,世界の七不思議に数えられました。天から落ちてきたと考えられていたその彫像は,多産の化身としてのアルテミスを表わしており
使徒パウロが背教を予告したのは,エフェソスにあったクリスチャン会衆の長老たちに対してでした。パウロは,背教者たちが起こって「曲がった事柄」を言うであろうと警告しました。(使徒 20:17,28-30)
アルテミスの神殿は一種の聖域だったため,犯罪が助長され,エフェソスの犯罪者の人口は増加しました。
どんな犯罪を行なった人でも,その神殿の城壁の周囲の一定の領域内に入れば,逮捕されずにすむことがありました。
その結果,神殿の周囲には泥棒や人殺しなどの住む集落が生じました。
ですから,悪意のある苦々しさ,わめき,有害な事柄などと共に盗みに関して述べたパウロの言葉は不適当なことではありませんでした。
エフェソスはあらゆる種類の悪霊崇拝の中心地でした。
実際,この都市は様々な形態の魔術が行なわれていることで世界中に知られていました。
それで,エフェソスでは悪霊が特に活発に働いていました。
ですから,パウロが神の霊により奇跡を行なったのは,魔術や呪術の影響を相殺し,心の正しいエフェソス人がそのような悪霊崇拝の慣行から離れるのを助けるためだったに違いありません。
そのような奇跡には,邪悪な霊を追い出すことさえ含まれていました。―使徒 19:11,12。
「エフェソス文字」は世界中で有名でした。
「それは文字や単語の特定の組み合わせでできていたものと思われる。
その文字を特定の抑揚を付けて発音すると,病気を除去したり,邪悪な霊を追い出したりするのに有効であるとか,それを皮紙<パーチメント>の上に書いて身に着けると,邪悪な霊や危険から身を守る護符,もしくはお守りの働きをするなどと考えられた。
したがって,プルタルコス(「シュンポシアカ」,7)はこう述べている。『魔術者は悪霊に取り付かれた者が「エフェソス文字」をある特定の順序で自分で復唱したり,発音したりするようにさせる』」―「使徒行伝に関する解説的実用的注釈」,A・バーンズ著
エフェソスの遺跡から出土した碑文は,エフェソス人が甚だしい精神的な暗闇の中で生活していたこと,
また使徒パウロがその都市のクリスチャンに,「もはや,思いのむなしさのままに歩む諸国民と同じように歩んでは(なり)ません。彼らは精神的な暗闇にあり(ます)」と書き送った理由を暗に示しています。(エフェ 4:17,18)
城壁や建造物に刻まれた碑文は,民衆の生活が迷信,占い,吉凶判断などに支配されていたことを示唆しています。
聖書の記述に,「魔術を行なっていたかなり大勢の者が自分たちの本を持ち寄って,みんなの前で燃やした。そして,それらの値を計算してみると,合わせて銀五万枚[デナリであれば,3万7,200㌦]になることが分かった」とあるからです。(使徒 19:19)
エフェソスで魔術がそのように広く行なわれており,様々な種類の悪霊崇拝が行なわれていたことからすると,パウロがエフェソスのクリスチャンに,「完全にそろった,神からの武具」を身に着けることによって邪悪な霊の勢力と戦うようにという優れた助言を与えたのは極めて適切なことでした。
悪霊崇拝に関するそのような書物を破棄したことは,それら初期クリスチャンが最初に行なった事柄の一つで,それが今日,悪霊の影響や嫌がらせから逃れることを願う人々のための手本となっているのは,注目すべきことです。―エフェ 6:11,12
引用以上
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こうして、聖書に書かれている当時のエフェソ人の実態を知れば、
使徒パウロが、エフェソ人への手紙において「エフェソ人は、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。 」と教えることは正しいことだとわかります。
また、現在のイエス・キリストを信じない人々と、当時のエフェソ人たちとはまるで違いすぎます。
そして「エフェソ」は、現在は遺跡が残っているのみです。
現在に「エフェソ」があれば、世界で最も危険な場所として、誰も行くことはないでしょう。
長くなったので、次回へ続く