「日本におけるキリスト教 97 “あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。” 」
“あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。” この御言葉は聖書に8回でてきます。
その理由が次のように明確に教えられています。
「 “あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。” この二つより大事な命令は、ほかにありません。マルコ 12:31」
「律法の全体は、あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。” という一語をもって全うされるのです。ガラテヤ 5:14」
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ところが、私が最初に導かれたプロテスタント福音派の教会では、最も信者数が多い大和カルバリーチャペルの大川主任牧師が次のように教えている通りの聖書解釈と福音理解です。
「罪が赦される唯一の方法が『イエス・キリスト」を地上にいる間に信じることで、それなくして死んでいった人たちは、天国に行くことができない。
つまり地獄へ行くのである、と教えてきました。
『罪の代価は死である』から、その帰結として、罪赦されることなく死んで行く者は、天国に行けずに、地獄へ行く……
私の生まれるずっと前から、100年以上そのような考えと教え(神学)の中で教会は営まれてきたのだと思います。」
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現在、私の周りには、毎日会う人の中で「クリスチャン」は1人もいません。
それどころか、日本のクリスチャンは人口の約1%弱といわれているので、自分自身も周りの会う人は全員がイエス・キリストとは無関係という人が圧倒的多数でしょう。
なので、プロテスタント教会の聖書解釈と福音理解では、周りの人すべてが地獄行きという神さまイエス・キリストは、なんて無慈悲で冷酷非道な神だと思います。
また、自分の愛する人々が地獄行きと聞けば、怒りと憤りが湧きあがります。
そして、本当にそれが本当の教えなのか、聖書を徹底的に調べることが、愛を現わす行動でしょう。
自分の愛する人たちは、絶対に地獄へ行く人間ではない!という確信がありました。
その確信が、隣人を自分自身のように愛するということだと思います。
それから、無教会のキリスト教の内村鑑三先生の「そんな神なら信じない!」という叫びに共鳴し、とても勇気と励ましを受けて、聖書を徹底的に調べて、こうしてブログ記事で伝えています。
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前々回、前回と聖書が教える異邦人の実態を伝えました。
まだ伝えていない異邦人の中で「べレヤ」の人々がいます。
その「べレヤの人々」については、使徒の働き17章10~15節に書かれています。
「兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。
ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。
ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。
そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。
パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。」
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パウロの異邦人の町での福音宣教は、その異邦人の町に住むユダヤ人たちが大勢、ユダヤ教からキリスト教への改宗の報告がなされていますが、その異邦人の町において、異邦人がイエス・キリストを信じたという報告はごくわずかでした。
ですが、この「べレヤ」の人々は異邦人の中でも特別で、数多い異邦人がイエス・キリストを信じたのです。
その異邦人の町べレヤに住んでいるユダヤ人たちは良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べたのです。
また、パウロを守って、海岸まで逃れ、そこから250km南下してギリシヤの中心都市アテネまで送るのです。
ですから、他の異邦人たちについては神の怒りについての教えがありますが、べレヤの人々についてはありません。
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それゆえ、「異邦人」といっても、「エフェソス」はあらゆる種類の悪霊崇拝の中心地であり、様々な形態の魔術が行なわれていることで世界中に知られていました。悪霊が特に活発に働いていました。
そのような聖書に書かれている当時の「エフェソの人たち」に対しては、次のように厳しく警告されています。
「生まれながら神の怒りを受けるべき者」
「こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。」
「悪魔に機会を与えてはいけません!」
「神の聖霊を悲しませてはいけません!」
また、聖書に書かれている当時の「コリントの人たち」「テサロニケの人たち」「ガラテヤの人たち」も同様に悪魔が支配している状況でした。
ですから当然に神は怒っていることを伝えています。
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聖書に書かれている当時のテサロニケの人たちは、偶像崇拝によって,甚だしい不道徳が蔓延していました。
テサロニケの守護神カベイロス,ディオニュソスとアフロディテ,およびエジプトのイシスなどの崇拝には,乱飲乱舞の儀式や浮かれ騒ぎを事とする性的色彩の濃い崇拝という共通点がありました。
妾を囲うことや売春が大っぴらに行なわれました。
民衆にとって淫行は罪ではありませんでした。
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このような聖書に書かれている当時の「テサロニケ」と現在の「日本」は同じでしょうか?
例えば、「淫行」についても、テサロニケの民衆にとっては罪ではなかったので、淫行が日常茶飯事に繰り広げられていたでしょう。
しかし、現在の日本ではどうでしょうか?
デイライト法律事務所のホームページでも「淫行」に対する法律を次のように教えています。
基本的に「わいせつ行為」は「淫行」よりも広く性的行為全般を指し、「淫行」はその中でも性交・性交類似行為を指す、と整理することができます。
淫行条例は青少年との性交を規制したものです。
青少年自身が警察に通報した場合はもちろん、家族や学校の通報をきっかけとして警察が捜査を開始することが考えられます。
「第十八条の六 何人も、青少年とみだらな性交又は性交類似行為を行ってはならない。」
警察が通報を受け、青少年の供述やスマートフォンの解析結果をもとに、容疑者の特定ができれば、実際に逮捕に踏み切る可能性は充分にあります。
東京都の青少年健全育成条例を例にとると、淫行規制違反の刑罰は2年以下の懲役又は100万円以下の罰金となっています(東京都青少年の健全な育成に関する条例第二十四条の三)。
引用以上
このように、現在の日本では「淫行」は非常に大きな罪です。
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悪魔が支配している状況のテサロニケでは、淫行は罪ではなく、我が子が淫行されていれば、その親も他人の子を淫行している状況です。
そうしてお互いに欲望を満たしているのです。
しかし、この日本では真逆です。
我が子が誰かに淫行されたら、激怒し、その者を通報し、警察が逮捕します。
そしてテレビ報道などで、実名とともに淫行で逮捕された無様な姿が全国に流されます。
それから、刑務所でも淫行の罪や婦女暴行の罪の囚人は、囚人の中でも最低だと見下されるそうです。
その他でも、悪魔礼拝などしませんし、
聖書に書かれている当時の「テサロニケの人たち」と「日本人」はまったく違います。
他の「エフェソ人」や「コリント人」「ガラテヤ人」とも、まったく違うのです。
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聖書は、きちんと誰に対して教えているかを明確に教えています。
また、それぞれの人たちに対する教えは、まるで違うことがあります。
きちんと「テサロニケ人」に対しては「テサロニケ人への手紙」で、「コリント人」に対しては「コリント人への手紙」で、「ガラテヤ人」に対しては「ガラテヤ人への手紙」で、というように。
そして、「主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、 異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げて、いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているために、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます。」と言われているのは「ユダヤ人たち」です。
さらに「御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」と言われているのも「ユダヤ人たち」です。
また、ある金持ちと貧乏人ラザロの話で、金持ちが死んだ後で、ハデスで炎の中でもがき苦しんでいるという教えは、
「蛇ども、まむしの末ども、お前たちは、地獄の刑罰を免れることができない」とイエスさまが言われた「ファリサイ派の人(パリサイ人)」に対して教えられたものです。
イエスさまは、ファリサイ派の人(パリサイ人)に地獄の刑罰の恐ろしさについて詳細に教えられたのでした。
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こうして、聖書を徹底的に調べると、現在の日本のイエス・キリストを信じない人々が、「イエス・キリストを信じなかった」という理由で地獄にいくことは絶対にないことがわかります。
イエスさまが次のように教えられた通りです。
「だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、霊”に対する冒瀆は赦されない。
人の子(イエス・キリスト)に言い逆らう者は赦される。
しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。マタイによる福音書12章31~32節」
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こうして、私が毎日、会う人は皆、イエス・キリストを信じていませんが、イエス・キリストを信じていない理由で、地獄へは行きませんので、安心します。
そして、クリスチャンである自分自身のように愛することが出来ます。
もしも、このままでは地獄へ行く人たちであれば、クリスチャンである自分自身のように愛することは不可能です。
日本人は、聖書に書かれている異邦人でいえば、「ベレヤの人たち」と思われます。
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まとめると、
プロテスタント教会の教えは、
聖書に書かれているファリサイ派の人(パリサイ人)、ユダヤ人たちに対する地獄の教えと、
異邦人のテサロニケの人たち、エフェソの人たち、コリントの人たち、ガラテヤ人たちに対する神の怒りの教えは、
すべて「イエス・キリストを信じない人々」に対する教えという聖書解釈と福音理解です。
とにかく、イエス・キリストを信じていない罪人は、全人類すべて同じである。
現在の日本人、聖書に書かれている当時のファリサイ派の人(パリサイ人)やユダヤ人、
また、異邦人のテサロニケの人たち、エフェソの人たち、コリントの人たち、ガラテヤ人たち、またはベレヤの人たちなど、まったく関係がない。
そんなの関係ない!そんなの関係ない!おっぱっぴ!(数年前に流行ったギャグ)という感じです。
昔も今も、イエス・キリストを信じていないすべての人類は地獄行きという解釈に帰結させているようです。
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そして、無教会のクリスチャンの立場で、聖書を徹底的に調べると、これまでの投稿記事と前述のような聖書解釈と福音理解になるわけです。
引き続き、続きます。