「日本におけるキリスト教 87 悪魔の策略に対抗して立ち向かうこと」 | ルーク4のブログ

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「日本におけるキリスト教 87 悪魔の策略に対抗して立ち向かうこと」

 

聖書はこう教えています。

「 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。

 

わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。エペソ6章11~12」

 

 

最近の投稿記事のテーマは「最後の審判で地獄へ行く者について」です。

 

その事について、イエスさま御自身が明確に繰り返して教えられています。

 

イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。

 

毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。マタイ13:37~40」

 

つまり、イエスさまは、世の終わりの最後の審判において、永遠の火に投げ込まれる者は「悪魔が蒔いた悪い者(悪魔)の子たち」だと明確に教えられています。

 

さらに、その最後の審判で、永遠の火に投げ込まれる悪魔が蒔いた悪い者(悪魔)の子たちは、イエスさまの羊ではないために、イエスさまの言葉を信じることができないと教えられているのです。

 

イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。

 

しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。

 

わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 わたしは彼らに永遠の命を与える。ヨハネによる福音書10章25~28節」

 

 

そして、律法学者とパリサイ人(ファリサイ派の人々)は、イエスさまから地獄行きを免れることはできないと言われました。

 

「こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。 先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。

蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。マタイ23章32~33節」

 

さらに、イエスさまは次のように宣告されました。

 

「だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。 この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」

 

祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、 イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。マタイによる福音書21章43~46節」

 

 

イエスさまから「地獄の罰を免れることができようか。」「神の国はあなたたちから取り上げられる。」と言われたファリサイ派の人々(パリサイ人)や祭司長たちは、イエスを捕らえて殺そうとしました。

 

しかし、その時(イエスさまがエルサレムに入られた時)、群衆はイエスを預言者と信じていたために、捕らえることができなかったのです。

 

もしも、そのまま、群衆がイエスを預言者と信じていれば、悪魔の欲望を満たすためにイエスを捕らえて、イエスを神を汚している者として死刑に処することが出来なかったのです。

 

 

なので、その後、次の事が起きるのです。「イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。

祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。マタイ26章47節」

 

イエスを捕らえて「十字架につけろ!」と激しく叫ぶ「群衆」が起こされたのです。

 

彼らが信じることができなかった理由を、イザヤは次のように言っている。

「神は彼らの目を見えなくし、その心をかたくなにされた。」

 

 

こうして、神が「群衆」の目を見えなくし、その心をかたくなにされたことで、イエス・キリストの十字架の贖いが成就します。

 

ここが重要ですが、悪魔の力では、イエスさまを十字架につけることは不可能だったのです。

 

すると、イエス・キリストの十字架の贖いは、悪魔の力によってではなく、神の御心であり、御計画だということを信じることができます。

 

 

ところが、主イエス・キリストが繰り返して教えられていることに反逆して、

 

世の終わりの最後の審判において、永遠の火に投げ込まれるのは「悪魔が蒔いた悪い者(悪魔)の子たち」ではなく、

 

「イエス・キリストを信じない人々」が永遠の火に投げ込まれるというように、でっち上げてしまえば、悪魔の欲望を満たす教えになります。

 

 

イザヤの預言通りに、神は彼ら(イスラエルの民)の目を見えなくし、その心をかたくなにされました。

 

それ以後、現在に至るまで続いています。

 

現在も、イスラエル中央統計局によると、2016年時点でイスラエルの全国民うちどの割合の人たちがどの宗教を信仰しているかと言えば、74.7%がユダヤ教、17.7%がイスラム教、2.0%がキリスト教そして1.6%がドゥルーズ派です。

 

イスラエルの全国民のうち、イエス・キリストを信じている人は約2%です。

 

約98%はイエス・キリストを信じていないという状況です。

 

 

主イエス・キリストが地上で福音宣教されたのが、イスラエルです。

主イエスの御父は「イスラエルの神」と言われています。

 

イエスさまは御父に聞き従っています。

 

そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。

父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。

 

父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。ヨハネ5:19~20」

 

つまり、「イエス・キリストを信じない人々は地獄へ行く」という教えは、イスラエルの神が、約2000年前から現在に至るまでのイエス・キリストを信じない「イスラエルの民」を永遠の火に投げ込まれるということになります。

 

しかも、神が、彼ら(イスラエルの民)の目を見えなくし、その心をかたくなにされて、信じられないようにして、永遠の火に投げ込むというのです。

 

 

それゆえ、イエス・キリストが、非常に大勢のイスラエルの民も、非常に大勢の異邦人も、イエス・キリストを信じないという理由で、永遠の火に投げ込むというのは、

 

もはや「神」というのではなく、相当めちゃくちゃ激しく超絶にいけにえを好む「悪魔」です。

 

「イエス・キリストは、史上最悪の無慈悲で冷酷非道な悪魔のような神」と思われてしまうのです。

 

現実に、悪魔や地獄の話を教える雑誌や単行本などにおいて、「イエス・キリストを信じない人々は地獄行き」という教えを根拠にして、

「イエス・キリストの正体は悪魔」

「本当の悪魔はイエス・キリスト」

「イエス・キリストが恐怖の大王」などと教えているのを見たことがあります。

 

 

そして、世の終わりに起こることは次の通りです。

 

「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。

 

預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。 マタイ24章14~15」

 

「そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。

神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。

 

そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。

偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。 あなたがたには前もって言っておく。 マタイ24章21~25節」

 

 

悪魔は、世の終わりに、憎むべき破壊者を聖なる場所に立たせて、「わたしがキリスト(メシヤ)」だと宣言させます。

 

そのためには、聖書が教えているイエス・キリストを「悪魔」のように思わせなければなりません。

 

そうして、悪魔が憎むべき破壊者を聖なる場所に立たせるための道を備えるのです。

 

それが現実に起こされています。

 

それゆえ、クリスチャンは「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。

 

わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。エペソ6章11~12」という御言葉に堅く立たなければならない時代になっています。