「日本におけるキリスト教 ⑯ 人は教えによって変わらないし、変えられる」
私がプロテスタント福音派の教会に所属していた時期、教会の指導者たちの教えは素晴らしく、世の中のテレビ番組を見て教えられることは虚しいように思えていました。
それは、イエスさまの話を教える教会は素晴らしく、イエスさまの話が無い世の中のテレビ番組は虚しいというような風潮があったからです。
しかし、その風潮は変わってきています。
「クリスチャンが世の中のテレビを見て楽しんでもいい!」という牧師が増えてきたからです。
ところが、キリスト教の世界と世の中では、まるで教えていることが違ってきています。
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最近、Facebookクリスチャングループの中でも断トツ人気№1の牧師の投稿記事の中でも特に最高の評価の記事があります。
今日の時点で何人もの牧師や指導者を含む121名が「超いいね!」「いいね!」「大切だね」をしていて、まだまだ増える感じがします。
その最高評価の投稿記事は次の通りです。
「クリスチャンという奴は私も含め、なんでこんなアホで傲慢な奴ばかりなのかとずっと思ってきた。
でも最近、神様はそんな愚かな者たちを憐れんで救ってくださったのだと分かって来た。今日も救い主イエス様を賛美しながら生きる。」
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この断トツ人気の牧師が言う通り、自分自身も何十という福音派の教会と交流があった時、牧師や伝道師、宣教師、信徒リーダーを含め、クリスチャンはなんでこんなアホで傲慢な人ばかりなのかとずっと苦しめられていました。
経験上、それが大きな原因で、プロテスタント教会に所属していたけれど、教会から離れ去った人たちは何百人と知っています。
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この断トツ人気の牧師の伝えたいことは、「教会にはアホで傲慢な牧師やクリスチャンばかりで、つまずきを与えられたり、傷ついたり、気分を害することが多いけれど、
神様はそんな愚かな者たちを憐れんで救ってくださったのだから、相手を悪いように思うのではなく、お互いを認め合って、救い主イエス様を賛美しながら生きていこう」という教えだと思います。
その教えに共感している牧師、指導者、クリスチャンたちが多くいて、これから急増してくるような波を感じました。
カトリックの信徒たちも共感していたので、これから、牧師、神父、クリスチャンたちはアホで傲慢でもいいのだ。
神様は、そんな愚かな者たちを憐れんで救ってくださったのだから、お互い認めるといいのだ!という信仰がかなり増えてくると推測しています。
バカボンのパパの哲学「これでいいのだ!」を思い起こしました。
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さて、世の中を見てみると、その「キリスト教」の中で断トツ人気の牧師の教えとは真逆の教えが際立ってきています。
昨年に日本映画の記録を次々に更新したアニメ「鬼滅の刃」は累計来場者数2896万人、全世界では約4135万人です。
そのアニメ鬼滅の刃の主人公「竈門炭治郎」は、アニメ史上最も心優しくて、あわれみの心があり、へりくだっていると思うほどです。
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私は仕事帰りの夕方5時くらいから近くの公園でテニスの練習をしています。
その時間帯は子どもたちも学校が終わって遊んでいます。
そこで自己中心でわがままで傲慢な小学6年生の女の子がいました。他の子たちは気を使っていて、毎回嫌な思いをしていました。
ところが「鬼滅の刃ごっこ」という遊びをしてから、その傲慢な女の子が「炭治郎」のように心優しくて憐れみの心に芽生えたのです。
それから約1年が経ちましたが、以前の自己中心でわがままで傲慢だったことがウソのように、心優しくて憐れみの心にあふれている女の子となり、特に低学年の子たちから慕われていました。
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また、別の小学生グループは、野球の試合をしていて、毎回、ファールかフェアー、ストライクかボールか、セーフかアウトかで言い争いになっていました。
時々「アホ!絶対アウトやろ!」とつかみ合いのケンカになることもありました。
周りの親子たちは見ていて「アホで傲慢な子供たちだな」と嫌な気分にさせられていました。
それが、メジャーリーグの大谷翔平選手の大ファンの中学生たちが一緒に遊びだしてから、劇的に変わったのです。
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大谷翔平選手の教えは衝撃的でした。
世界一を目指す決戦を前に大谷翔平選手は、全日本の選手たちにこのように言いました。
「僕から一個だけ。(アメリカのメジャーリーグの素晴らしい選手たちに対して)憧れるのをやめましょう。
憧れてしまっては超えられないので、僕らは今日、超えるためにトップになるために来たので、今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけを考えていきましょう。」
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日本人が桁違いの力を持つ白人や黒人たちを超えましょうという教えにびっくり仰天しましたが、その教えで一致団結して、全日本は世界一になったのです。
大谷翔平選手は力強く、心優しく、へりくだって、楽しくプレーをしています。
その大谷翔平選手を見倣って、以前はアホで傲慢だと思われていた子供たちも、心優しく、へりくだって、楽しく、出来ないことに挑戦するようになりました。
すると、絶対に無理と諦めていたことに皆で挑戦する遊びを始めました。
皆で協力しながら励まし合う姿に感動しました。
そして出来るようになって、皆で喜び合う姿を見て、こちらも拍手しました。
以前は「自己中心で言い争っているアホで傲慢な子供たち」と思っていた子供たちが、「心優しく、力強く、励まし喜び合う子供たち」へと劇的に変わっているのです。
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他にも世の中では、自己中心でわがままで、アホのようで傲慢だった者が、心優しく、へりくだって、憐れみの心を持つ者に変わることは素晴らしいでしょう。という教えにあふれています。
昨年の夏シーズンのアニメ№1の「リコリス・リコイル」も、最近の福山雅治さん主演ドラマ「ラストマン」もそうですね。
また、知恵を養って、難題を解決していくことを教えるアニメやテレビドラマ、ユーチューバーの動画を見て、何も出来ないアホのままでもいいや。と諦めていた子供たちが、知恵を求めるようになり、賢く謙遜になっていく姿を見て感動する親も増えてきています。
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さて、今度は「無教会キリスト教」の内村鑑三先生の教えです。
約65万以上の命を救ったと言われている「中村哲」先生の著書「天、共に在り」の中で、このように語られています。
「『後世への最大遺物(内村鑑三著書)のインパクトは相当大きく、過去の世代の多感な青年たちと同様、私もまた自分の将来を『日本のために捧げる』という、いくぶん古風な使命感が同居するようになった。
当時、日本全国で『医療過疎』が大きな社会問題になって久しかった。そこで、医学部進学を決心した。」
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中村哲先生のように、内村鑑三の著書「後世への最大遺物」を読んで、後世へ何か遺したいという使命感が与えられた若者は少なくないそうです。
著書の中で内村鑑三はこのように語っています。
「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、この我々を育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずに死んでしまいたくはない、との希望が起こってくる。
後世の人が私を褒めたってくれいというのではない。私の名誉を遺したいというのではない。
ただ私がどれほどこの地球を愛し、どれだけこの世界を愛し、どれだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。
すなわち英語でいうMementoを残したいのである。こういう考えは美しい考えであります。」
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聖書のこの御言葉を思い起こされました。
「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。エペソ2:10」
「あなた方が、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって、傷のない神の子どもとなり、いのちの言葉をしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。ピリピ2:15~16」
「あなた方は世界の光です。
あなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い行ないを見て、天におられるあなた方の父をあがめるようにしなさい。マタイ5:14&16」
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人は教わることによって「このままでいいんだ」と思って変わらなかったり、「このようになれる」と思って変わることができます。
私自身は、聖書の教え「私たちは世界の光であり、神の作品です。良い行ないを備えられていて、良い行ないをするために生まれて来た。」という教えが大好きで、心にいつも響いています。
中村哲先生を通して、内村鑑三の無教会キリスト教を知り、サザエさんの著書である長谷川町子さんも無教会だと知りました。
そして、同じ福音理解の新渡戸稲造先生、マザーテレサ、ヘレン・ケラーさん、シシリー・ソンダース先生たちも「世界の光」となられていることを知りました。
その信仰者の方々から学んでいると、何も出来ない。アホで傲慢なところがある自分でも何かを生み出し、遺せることができると信じるようになりました。
すると、心優しく、へりくだってきます。
それから、音楽制作など夢にも思わず、絶対に不可能だと決めつけていましたが、前向きに祈っていると、曲を何曲も生み出すことが出来たのです。
音楽は習ったことがなく、未だに楽譜は読めませんし、自分で作詞作曲することは不可能でしたが、神に祈って与えられました。その自分で作詞作曲した曲をクリスチャン女性歌手の方々が歌ってくださいました。
音楽好きな人にとって、他人が気に入るほどの曲を作ること作詞作曲など不可能に思います。しかし、クラシック曲の場合、そのメロディを使って、好きに曲を作っていいので、作ってみました。
すると、気に入ってくださる方が多くいて、びっくりしました。
自分で歌うことはあり得なったのですが、新型コロナウイルスでクリスチャン歌手に依頼が困難になった時、自分自身で歌うことを決心しました。猛特訓して、何とか聞けるようになりました。
特に母親は、他人の歌声より我が子の歌声のほうがお気に入りです。友達にも評判が良かったので、神さまに感謝です。
また、障害者就労支援事業所でも働くようになり、大きな難題に取り組んでいます。
障害者の方々に、心優しく、へりくだって、楽しく、力強く接することが出来るようにもなりました。
人は教えられることによって、変わることができるのです。