「日本におけるキリスト教 ⑫ 滅びに至る道と命に至る道について」 | ルーク4のブログ

ルーク4のブログ

神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教 ⑫ 滅びに至る道と命に至る道について」

 

この日本で、既成のキリスト教会の牧師や伝道師、宣教師たちが「イエス・キリストの救いとは地獄行きからの救い」と確信をもって発信していることを見聞きします。

 

そして、約99%以上はイエス・キリストを信じていない状況の日本では、自分自身を含めて家族や愛する人たちはイエス・キリストとは無関係のように生きているという人が圧倒的に多いです。

 

それから、イエス・キリストとは無関係のままで次々に亡くなっているという現状があります。

(年々死者の数は増えていますが、特にここ最近は新型コロナウイルスの影響で突然に亡くなってしまうケースが急増しています。)

 

そのような日本の状況で、「イエス・キリストを生前に信じていない人々は天国には行けない、つまり地獄に行ってしまう」という教えを聞けば、「信じなければ地獄へ行くという恐ろしい神さまなど信じることはできない!」と思うのが支極当然と言えるでしょう。

 

すると、この聖書箇所によって教えを正当化しています。

 

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見い出す者はまれです。マタイ7章13~14」

 

 

この箇所だけを切り取って読めば

 

「滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多い」とは、イエス・キリストを信じない人たちのことです。

日本では約99%の人々が滅びに至る門から入っている状況です。

 

まさに聖書に書かれている通りに多くの者たちが滅んで地獄に行き続けているのです。

 

そして「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見い出す者はまれです。」とは、イエス・キリストを信じた人たちのことです。

 

日本では約1%の人々がいのちに至る門から入っている状況です。約1%というのは見い出す者は「まれ」です。まさに聖書に書かれている通りです。

 

このような聖書解釈をしているわけです。

 

それを聞いた既成のキリスト教会のクリスチャンたちは「御言葉通りだ!アーメン!」と確信を得るわけです。

 

 

さて「この滅びに至る門は大きく、そこから入って行く者が多い。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見い出す者はまれです。」という聖書の教えですが、世界的に見れば、その御言葉とはまるで違うのが現実です。

 

プレジデント オンライン2021年11月22日号の「もうイエス様では救われないのか」という記事ではこのように書かれています。

 

「世界最大の宗教勢力はキリスト教であり、世界総人口73億人のうち23億人(人口比で32%)をキリスト教徒が占めている。

 

米国の調査機関によれば、信じる宗教は何かとの問いに『キリスト教』と回答した米国の成人は2009年の77%から10年後に65%に急減した。」

 

 

他の大手通信社の記事を見ても、世界最大の宗教勢力はキリスト教であり、世界総人口の約32%がキリスト教徒ということで一致しています。

 

世界総人口の約32%がイエス・キリストを信じる「キリスト教徒」ということは、イエス・キリストを見い出してイエス・キリストを信じる者は多いのです。

 

米国では、77%から65%に急減したとはいえ、65%がイエス・キリストを信じるというのは、イエス・キリストを見い出してイエス・キリストを信じる者は非常に多いのです。

 

日本でも総人口では約1%弱ですが、これが牧師夫妻やクリスチャン家庭に生まれたクリスチャン二世となればイエス・キリストを見い出して、イエス・キリストを信じる者が非常に多いです。

 

クリスチャン三世となれば、もっと確率が高くなっています。

 

つまり、聖書の約2000年前頃にイエスさまが教えられたマタイ7章13~14の御言葉は、その当時はその通りに実現しましたが、現在の世界ではまるで違うのです。

 

 

ですから、このマタイ7章13~14を切り取って、現在の世界と同じに考えてしまうと支離滅裂になります。

 

また、イエスさまは全知全能でありながら、無知なように思えます。

 

このマタイ7章13~14節の続きの文章を見て見ましょう。

 

「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

 

あなた方は、実によって、彼らを見分けることができます。

良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。

 

良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

こういうわけで、あなた方は、実によって彼らを見分けることができるのです。

 

わたしに向かって『主よ、主よ』という者が皆、天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行なう者が入るのです。

 

その日には、大勢の者がわたしに言うでしょう。

 

『主よ、主よ、私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行なったではありませんか。』

 

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。

『わたしはあなた方を全然知らない。不法をなす者ども、わたしから離れて行け』マタイ7章15~23」

 

 

このマタイ7章13からイエスさまが教えられていることは、文脈から、マタイ24章15節からのユダヤへのさばきとニセ預言者出現についての重要な教えだとわかります。

 

あの荒らすべき憎む者が、聖なる所に立つのを見たならば、その時はユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

 

その時には世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

 

もし、その日数が少なくされなかったら、一人として救われる者はないでしょう。

 

しかし選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

 

その時、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても信じてはいけません。

 

にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

さあ、わたしは、あなた方に前もって話しました。」

 

 

この聖書箇所を見ますと、イスラエルのユダヤの地において、憎むべき者が聖なる所に立ち、にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、奇蹟とふしぎをして見せて、選民をも惑わします。

 

その日数が少なくされなかったら、一人として救われる者はないというぐらいのひどい苦難です。

 

それが「イスラエルのユダヤの地」に起こるということです。

 

ですから、その時の備えとして、イエスさまは前もってこのように話されました。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は狭く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見い出す者はまれです。」

 

 

ですから、現在の日本では、クリスチャンとすればマタイ7章13~14、マタイ24章15~25の御言葉を知識として持っているだけで十分です。

 

そして、その御言葉をもって、イエス・キリストを信じない者たちは滅びの門から入っている者たちというように教えるとすれば、奇想天外な教えに思えるし、まったくイエスさまの教えと異なってしまうでしょう。

 

つづく