「日本におけるキリスト教 ⑧ 偶像崇拝の解釈について」
前回は、無限地獄を体験されたクリスチャンの福音理解について紹介しましたが、今回は暗闇の世界に生きるクリスチャンの信仰理解から聖書が教える偶像崇拝の解釈をみていきます。
この世に生まれてきて、目が見えず、耳が聞こえず、話が出来ない「三重苦」というヘレン・ケラーさんの話を聞いた時は衝撃的でした。
そのヘレン・ケラーさんは、ほとんど知られていないのですが「敬虔なクリスチャン」です。
どうして知られていないかと言えば、既成のキリスト教会の教えに反発を感じられていて、既成のキリスト教会に反する福音理解だったからだと言われています。
ヘレンさんは著書の中でこのように言われています。
「クリスチャンでない者はすべて罰せられる、と心の狭い人たちから聞かされてきて、私の魂は当然反発を感じていました。
というのも、異教徒であっても彼らなりに真理を見出し、その真理に殉じて生きて死んでいった素敵な人たちを私は知っていたからです。」
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「三重苦」の暗闇の中で、イエス・キリストの愛の光を見出されたヘレン・ケラーさんの福音理解は「究極の普遍的な神の愛と愛のあわれみの福音」でした。
次の機会でそのヘレンさんの福音理解の記事を書きます。日本人には最も心に響く「キリスト教の福音理解」になると思います。
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ヘレンさんは、異教徒であっても真理を見出していると言われていますが、無教会キリスト教の内村鑑三先生もまったく同じです。
内村鑑三は「代表的日本人」において、このように言われています。(現代訳)
「私は宗教とは何かをキリスト教の宣教師より学んだのではありません。その前には日蓮、法然、蓮如など敬虔にして尊敬すべき人々が、私の先祖と私とに宗教の神髄を教えてくれたのであります。
その人々により、召されてナザレの神の人にひれふす前の私が形づくられていたのであります。」
また、評論家の山路愛山は内村鑑三の講演に出席して、次のように内村の講演を記しています。
「されど書生よ記せよ、日本において世界に卓絶したる最も大きな不思議は、実に我皇室なり。
天壌と共に窮りなき我皇室は、実に日本人民が唯一の誇りとすべきなりと。」
内村鑑三の皇室と天皇への愛着と尊敬は死ぬまで変わることはなかった。と言われています。
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ところが、既成のキリスト教会は、ヘレン・ケラーさんと内村鑑三先生の福音理解とはまるで真逆です。
他の宗教を偶像崇拝と決めつけているのです。
特に皇室と天皇の皇室神道を「バアル宗教」と同じように決めつけ、最も警戒しています。
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カトリック教会のイエズス会の司牧センターとカトリック聖イグナチオ教会の共催で行われた「2019年冬季セミナー」では、プロテスタントの福音派の日本長老教会の星出牧師がメインスピーカーでした。
テーマは「天皇の『代替わり』をキリスト者としてどう捉えるか」でした。
天皇の代替わりという大問題について、カトリック教会と福音派の教会が一致団結しているのです。
セミナーでは、このように語られています。
「『天皇の代替わり』というテーマを考えるにあたって確認しなければならない事は、『戦後』も『戦前』とまったく変わらない連続しているものがあるということです。
宮中祭祀で祀られている神々は、聖書の世界観から見ると、これらを異なる『文化』や『皇室の伝統』と簡単には見過ごせない異教的礼拝であるということをキリスト者は、聖書の教えからまずは受けとめなければなりません!
いわば我が国は、バアルの礼拝を国家的行事として行なう、そのような国に私たちは主の民として遣わされているという事実をキリスト者はまず受けとめる必要があるでしょう。」
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このように、カトリック共催セミナーでは、皇室神道は「バアルの礼拝」を国家的行事として行っていると断言して教えているのです。
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これは、プロテスタント福音派の多くの教会が一致していることでもありました。
福音派の代表的な大きな教団の一つ「日本同盟基督教団」も「天皇制という宗教のある国で、キリスト者として生きる キリストの仮面を被った日本教徒にならないために」という緊急集会を開催しました。
聖書学者の津村氏が講師となり、このように最大限に警告しています。
「旧約聖書において偶像として名高いバアル神は、特定の場所に現れる、それぞれの土地に結びついた『地方神』として崇められていた。
実は『ヤハウェの仮面を被ったバアル宗教』を推進していたことになっていた。
教会は『宗教としての天皇制』に従ったと思ってはいなかった。」
つまり話の内容は、天皇制の正体は地方神として崇められていた「バアル宗教」という警戒心を持ちなさい。ということでしょう。
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ですから、カトリックとプロテスタントの多くが「皇室神道=バアル宗教」と思わせることで一致していると思いました。
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しかし、内村鑑三先生やヘレン・ケラーさんは、まったく違います。
ヘレン・ケラーさんは「神は、あらゆる地域に何らかの宗教を提供してこられたのですから、各人が理想とする正しい生き方に忠実でありさえすれば、誰がどんな人種や信条に属していようとも、まったく問題はないのです。
ムハンマドの信仰がなぜ、多くの国々で人を善へ向かわせるのに大きな影響力を発揮できたのかを説明しています。」などと、他の宗教とバアル宗教とはまるで違うと教えているのです。
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聖書が教える「バアル宗教」などの「偶像崇拝」の正体は「悪霊&悪魔」です。
パウロは「私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。偶像の神に、彼らの捧げるものは、神にではなくて悪霊に捧げられている、と言っているのです。私は、あなた方に悪霊と交わる者になってもらいたくありません。」と明確に教えられています。
偶像の神として最も有名なのが「バアル神」です。バアルは「モレク」などと、地方によって名前を変えています。
それは、本当の姿である「子どもの生贄を求める邪神」であることを隠すために、場所によって名前を変える神であり、その正体は「悪魔」である。ということが判明しています。
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そして聖書は、偶像の神を崇めると、子どもたちを食べるようになると聖書は教えています。
「あなた方は、自分たちの息子の肉を食べ、自分たちの娘の肉を食べる。」
「ある女が私に『あなたの子供をください。くだされば今日、そのくださった子供を食べましょう。そして明日は私の子供を食べましょう。」
「息子、娘たちを食い尽くしました。」
「女が産み育てた子供を食い物にしているのです。」
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聖書が教える偶像の神の正体は、悪霊&悪魔であり、悪霊と交われば、子どもを犠牲にします。
子どもを神(悪魔)に捧げる「人身御供」が行われ、飢饉の時は、子どもを非常食として食べるのです。
聖書は明確にその事を教えているのです。
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ですから神は、アブラハムが我が子イサクを捧げた時に、神はストップさせて、代わりに羊を生贄にさせました。
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ですから、皇室神道がバアル宗教と同じようにして言い広めているのは非常に恐ろしい教えです。
もしも皇室神道がバアル宗教であれば、聖書が教える通りに、悪霊と交わることになり、人身供養や人肉嗜食が行われていることになるからです。
そんな事実はありません。
その真逆で、皇室神道は、ヘレン・ケラーさんが言われる通りに、人を善へ向かわせるのに大きな影響力を発揮しています。
他の宗教もそうですね。
皇室神道や他の宗教(一部を除く)は、聖書が教える偶像崇拝(悪魔&悪霊と交わる)とはまるで違います。
皇室神道や他の宗教(一部を除く)は、神が与えた善良な資質と聖書の善を教える「イエスさまの味方」なのです。
つづく